写真:藪内 成基
地図を見る広島城のシンボルは、水堀に囲まれた五重五階建ての天守です。広島駅から約2kmと近く、近代的なビル群とのコントラストが楽しめます。特に夕日が沈む頃には、研ぎ澄まされたような水堀と、堂々と立つ天守、光が灯り始めるビル群が一望でき、息を飲むような光景が広がります。
写真:藪内 成基
地図を見るおすすめの鑑賞スポットは、広島城の北西部に位置する広島市立基町高等学校付近。広島駅から広島城天守を目指す場合、通常は広島城の東側や南側からの動線になるため、北西部は少し遠回りにはなってしまいます。ですが、広島城天守を目近にでき、水面に映った広島城天守を見られますので、足を延ばす価値があります。
写真:藪内 成基
地図を見る広島城の別名は鯉城(りじょう)。名前の由来には、広島城の堀に鯉がたくさいたという説や、広島城周辺が己斐浦(こいのうら)と呼ばれており、「己斐」が「鯉」に変化したという説などが残っています。
写真:藪内 成基
地図を見る実際に広島城の水堀では鯉がたくさん泳いでおり、二の丸に架かる御門橋付近では鯉にエサをあげることもできます。
写真:藪内 成基
地図を見る広島東洋カープの球団名の由来は、英語で「鯉」を表すcarp。「鯉城」と呼ばれていた広島城ゆかりの球団です。ほかにも、鯉は広島市内を流れる太田川の名産でもあり、出世魚である鯉に戦後の復興の願いを込めたなど、たくさんの想いが詰まっています。広島城址公園にある広島護國神社は、シーズン前の広島カープの選手たちが、必勝祈願に訪れることで知られます。
写真:藪内 成基
地図を見る広島城は天正17年(1589)、毛利輝元(もうりてるもと)が瀬戸内の交通の要衝である太田(おおた)川下流のデルタ地帯に、10年もの歳月をかけて築城しました。毛利輝元は、「三本の矢」のエピソードで知られる毛利元就(もうりもとなり)の孫に当たり、慶長5年(1600)に起きた関ヶ原の戦いでは西軍の総大将を務めるなど、非常に大きな力を持っていました。関ヶ原の戦いで西軍は敗北しますので、毛利輝元も広島城を離れることになります。
写真:藪内 成基
地図を見る昭和20年(1945)に広島城は原爆投下によって倒壊しますが、昭和33年(1958)に現在の五重五層の天守が再建されました。広島城の敷地に残る「広島大本営跡」には、原爆によって建物はなくなったものの当時の石が残存。明治時代の日清戦争の際に、広島城の敷地を利用し大本営が置かれ、明治天皇が滞在された場所だったのでした。
写真:藪内 成基
地図を見る広島駅から広島城まで約2km。徒歩で移動すると少し距離がありますので、路面電車の利用が便利です。また広島城の南約1kmには、世界遺産の原爆ドームがあります。さらに「原爆ドーム前」から路面電車約45分で、厳島神社への玄関口、フェリー乗り場がある「宮島口」にアクセスできます。原爆ドームや厳島神社にアクセスしやすい広島城へ、昼にも夜にも訪ねてみてはいかがでしょうか。
住所:広島県広島市中区基町21−1
電話番号:082-221-7512(公益財団法人広島市文化財団 広島城)
アクセス:JR山陽本線・山陽新幹線「広島」駅から広島電鉄市内線1・2・6号で約15分、「紙屋町東」停留所下車、徒歩約15分
※広島城の詳細については、下記の関連MEMOもご参照ください。
2019年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
藪内 成基
国内・海外で年間100以上の城を訪ねて執筆・撮影。著書に『講談社ポケット百科シリーズ 日本の城200』(講談社/2021年7月発売)。出版社にて旅行ガイドブック『るるぶ』海外シリーズや旅行雑誌『ノジュ…
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