写真:Naoyuki 金井
地図を見る東京オリンピックのメイン競技場である神宮外苑の国立霞ヶ丘競技場と代々木選手村を結んだのが「五輪橋」です。山手線を跨ぐ橋が明治神宮への参宮橋しかなかった為、最短距離の橋がオリンピックのために架けられました。
造られた当時は何の変哲も無い橋でしたが、1990年初期の景観整備により、親柱の上に地球儀、横には東京オリンピックマークがあしらわれ、欄干壁面にはマラソン・体操・柔道などのお家芸を初めとした競技のレリーフが施され、記念碑的な橋に生まれ変わりました。
代々木選手村のエントランスであり、後の都市公園への変貌の架け橋であった五輪橋は必見です。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る現在、五輪橋から続く代々木公園を南北に分断する写真の道路は、選手村時代のメインストリートで、選手村専用のバスが巡回した路線の一部でした。
路線の随所にオリンピック大会の開催都市の名称がつけられ、この通りは「ロンドン通り」と名付けられました。
オリンピック終了後、他にあった「メキシコ通り」「メルボルン通り」「ヘルシンキ通り」は園内の散策路となり、このロンドン通りだけは都道として整備され、1980年代には、一世風靡した竹の子族などの若者文化を生み出した「原宿ホコ天」として全国的に有名となりました。
現在は、代々木公園の緑と相まって、生垣や街路樹が四季折々の風情を楽しませてくれます。
東京オリンピックの遺産である4つの道路を、のんびり散策してはいかがですか。
オリンピック選手たちの悲喜交々が聞こえて来るかもしれません。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る東京オリンピックのために新たに造られた競技場の一つが競泳・バスケット用の競技場、国立代々木競技場です。
非常に斬新なそのフォルムは、言わずと知れた丹下健三氏の設計で、吊り橋の構造を使用し内部に柱を持たない珍しい構造の建物であり、現代でも通用するそのデザインは建造物というよりアートといえる日本を代表する最高傑作の一つです。
それは特に戦前から強かった当時の日本水泳にあって、その競技場が非常に重要な施設と考えられていたからです。
東京オリンピックの6年前に開催されたアジア大会のために造られた国立競技場とは違い、純粋に東京オリンピックのために造られたこの競技場は、まさに東京オリンピックの申し子です。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る代々木公園内にあるこの建物は、「ワシントンハイツ」の米軍用の住宅で、そのまま選手村宿舎に活用されました。
パーゴラ風のエントランスが特徴で、戦後まもない頃の日本では考えられないモダンな住宅です。ワシントンハイツの中でも一番の小型住宅でしたが、今見てもそれ程小さく感じないのは当時のアメリカの豊かさの現れでしょう。
選手村宿舎としてオランダ選手団に使われた後、東京オリンピック記念として1戸だけ保存された、ワシントンハイツと選手村時代を伝える貴重な住宅です。
また、この建物の裏手には、オリンピックの時に世界各国の選手が持ち寄った種から育てた樹木が植えられている見本園もあります。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る国立代々木競技場に並ぶこのトラックは代々木公園陸上競技場です。
このトラックもまた東京オリンピック時に造られたもので、当時は「選手村陸上競技練習所」と呼ばれていた施設です。選手村のアスリート達の練習用のトラックで、通称「織田フィールド」と呼ばれています。
これは1928年のアムステルダムオリンピック三段跳びで、日本初の金メダリストとなった織田幹雄氏を記念して名付けられたのです。
更にこのトラックの付近には、当時の選手村のレイアウトが刻まれた「選手村の碑」があります。
あまり一般には知られていませんが、東京オリンピックを陰から支えた競技場です。
いかがでしたか?
この他、旧ワシントンハイツ跡地には、岸記念体育館・国際放送センター・青少年記念センター・渋谷公会堂などご紹介できなかった数多くの遺産があります。
明治神宮参拝のついでに、あるいは代々木公園散策のおり、渋谷でショッピング帰りに、50年前の感動に浸ってみてはいかがですか。
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(2024/4/19更新)
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