基隆の大武崙古砲台をハイキング 知られざる日露戦争史跡

基隆の大武崙古砲台をハイキング 知られざる日露戦争史跡

更新日:2019/05/30 15:54

吉川 なおのプロフィール写真 吉川 なお 台湾在住ライター、元旅行会社勤務の旅行マニア
台湾北部最大の港町、基隆市の北側にある大武崙(だいぶろん)古砲台は、基隆港の守りとして築かれた砲台の跡地です。北部で最も完全な形で残った軍事施設跡でもあり、日本などの列強が東アジアで覇を競った時代の面影を今に伝えています。

基隆港を守る要塞

基隆港を守る要塞

写真:吉川 なお

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標高231メートルの大武崙山中に初めて砲台が置かれたのは清仏戦争後の19世紀後半。同世紀末から台湾を統治した日本は、日露戦争でロシアのバルチック艦隊が台湾を一時占拠する可能性を想定して、その対策として大武崙山に砲座をはじめ兵舎、防弾壕、弾薬庫、観測台などを設置して砲台の守りを大幅に強化しました。現在目にすることができるのはこの当時の建造物群です。

バルチック艦隊は結局、台湾のはるか東の宮古海峡を通過したため、大武崙砲台が戦闘に加わることはありませんでした。それでも昭和13年(1938年)に廃止されるまで、基隆港を守る重要な要塞としての役割を果たしました。

基隆港を守る要塞

写真:吉川 なお

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大武崙古砲台は現在、緑に覆われた山の中の公園のようになっています。入り口からまっすぐ100メートルほど歩くと、右手に兵舎が現れます。開けた場所に位置する古砲台のメインエリアです。入り口の壁のみが残った建物と、山腹を利用した洞窟兵舎があり、レンガ造りの2間の洞窟兵舎は、それぞれ幅8メートル、奥行き6メートルで、調和の取れた作りとなっています。指揮所として、また兵士の寝所として利用されました。

基隆港を守る要塞

写真:吉川 なお

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さらに奥に進むと、砲台や防弾壕のエリアがあります。砲台では大砲2門を1組として配置していました。窪状の長方形を砲座として、扇形のバックヤードがあります。周囲の壁には砲弾が置かれた小穴が3つ設けられています。全て石づくりで、苔がむしており、風情を醸し出しています。

東シナ海を一望

東シナ海を一望

写真:吉川 なお

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避弾壕は深さ1.8メートル。大人がすっぽり隠れられる深さです。弓状で長く、両端から階段を降りて入ります。周囲を囲む高い木々は、当時は敵から見られないようにする役割を果たし、今は訪れる人たちに涼しさを与えてくれます。

東シナ海を一望

写真:吉川 なお

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大武崙古砲台からは東シナ海に面していて、高い場所から海が一望できます。訪れた日はあいにく靄(もや)が立ち込めていましたが、晴れていれば絶景を楽しむことができます。

情人湖を巡る

大武崙古砲台から山道を10分ほど下ると、情人湖というロマンチックな名前の緑の小さな湖があります。周囲に遊歩道が巡らされていて、一周40分で歩くことができ、ハイキングを楽しむ人たちが多く見られます。

湖は昔「五叉埤」という名前でしたが、湖の周囲に生い茂る木々の下で恋人とのひとときを楽しむカップルが多かったことから「情人湖」と改称されました。湖に架かる「情人橋」には、恋人と手をつないで渡ると良い縁が結ばれるという言い伝えがあります。

情人湖を巡る

写真:吉川 なお

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台湾好行が便利

大武崙古砲台の行き方は、台湾鉄路基隆駅から公営観光バス「台湾好行」の基隆市西岸線に乗り、最初のバス停「情人湖公園」で下車、そこから舗装された山中の道を徒歩で15分です。日本が関わった近代の軍事遺産に触れつつ、新鮮な空気の中で散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/05/04 訪問

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