まるで城塞都市!福井城は世にも珍しい県庁敷地内にあるお城

まるで城塞都市!福井城は世にも珍しい県庁敷地内にあるお城

更新日:2019/07/09 10:45

浦賀 太一郎のプロフィール写真 浦賀 太一郎 週末トラベラー
北陸観光の玄関口・福井!恐竜王国としても有名で、見事な崖っぷち景観の東尋坊、越前ガニや鯖江スイーツなど観光資源も豊富です。魅力的な福井の中心地が県庁所在地の福井市なわけですが、その県庁は水堀を巡らし、石垣を積み上げ、平成30(2018)年には城門を構え、なぜか鉄壁を誇っています。まさか恐竜の襲撃を怖れて?な訳もなく…今回は、まるで城塞のようなたたずまいを見せる福井県庁の謎に迫ります!
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日本一鉄壁!?福井県庁の謎

日本一鉄壁!?福井県庁の謎

写真:浦賀 太一郎

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まずは福井県庁の鉄壁っぷりを観ていきましょう!福井駅から徒歩5分程で、お堀に到達することができます。広々と県庁を囲む水堀に架かる橋は三ヶ所。石垣は市内にある足羽山で採石された、笏谷石(しゃくだにいし)を用いており、青緑色が美しいです。布積(ぬのづみ)の打込接(うちこみはぎ)でどっしりと積まれ、見るからに堅牢な印象です。

日本一鉄壁!?福井県庁の謎

写真:浦賀 太一郎

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内部の石垣上からは攻め込んでくる敵(恐竜?)を楽々と見渡すことができ、どの橋から渡ってこようとしても、弓や鉄砲でまさに狙い撃ちにすることができます。しかも、どの橋にも、渡った先で殲滅されてしまう過酷な仕掛けが隠されています。

日本一鉄壁!?福井県庁の謎

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例えば西側にある「御廊下橋」。何とか渡れたとしても、L型の狭いスペースに囲い込まれており、正面の櫓門から、これまた狙い撃ち、ハチの巣になってしまいます。命からがら奥に見える城門を通れたとしても、その先は更に狭い枡形となっていて、石垣上や城門からめった撃ちにされるエグい構造になっているのです。

松平32万石・福井城はこうして県庁となった

松平32万石・福井城はこうして県庁となった

写真:浦賀 太一郎

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実は!というかお気づきと思いますが…。福井県庁のある場所は、かつて越前福井藩の主城「福井城」の本丸があった場所なんです。福井駅からまっすぐ歩いて最初に見える「御本城橋」を渡ると、関ヶ原合戦後に越前68万石の大名となり、現在の福井の礎を築いた結城秀康(徳川家康次男)公の騎馬像があります。

松平32万石・福井城はこうして県庁となった

写真:浦賀 太一郎

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築城当初は高さ28m、4層5階の巨大な天守が建っていたとされており、これは、長野県に残る国宝・松本城よりも3m程大きかったという事になります。江戸初期に焼失してしまい、その後再建されず、櫓を改修し天守代わりとしていました。紆余曲折を経て、石高も約32万石となり、明治維新を迎えます。

明治政府の廃城令が出ると、日本中でお城が取り壊されるという、今考えるととってももったいない事があったのですが、そのまま政庁として城跡を使うことは多くありました。ですが、福井城の様に本丸にドンと県庁がそびえ立つのは非常に珍しいんですよ!

松平32万石・福井城はこうして県庁となった

写真:浦賀 太一郎

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本丸内には天守台が残っており、昭和23(1948)年の福井地震による一部崩壊の痕も含め、貴重な遺構となっています。天守台上は広々としていて、町中とは思えないのんびりとした空間です。ちなみに、本丸跡には県庁だけではなく、福井県警察本部もあるので、そういう意味では今でも鉄壁と言っても過言では無いかもしれません。

城名の由来となった「福の井」!雁木などの遺構も

城名の由来となった「福の井」!雁木などの遺構も

写真:浦賀 太一郎

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天守台には、「福井」の地名の基になった「福の井」が復元整備されています。当初、北ノ庄城と呼ばれていましたが、「北」は敗北を連想させるという事で、江戸初期には福居城、中期には福井城となりました。福の井は城の特別な井戸として、築城当初から存在していたと考えられています。

城名の由来となった「福の井」!雁木などの遺構も

写真:浦賀 太一郎

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元々の福の井の木枠は福井地震で破損し、造り変えられていましたが、平成29(2017)年に、発掘調査の結果に基づいて復元され、その際上屋や釣瓶も修景施設として新たに設置されました。

城名の由来となった「福の井」!雁木などの遺構も

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本丸内には他にも、福井城の歴史を刻む石碑(写真中央)や、近世城郭でよく見られる「雁木(がんぎ・写真左)」という、兵士が一斉に石垣上に登って敵を迎え撃つ石段、石垣に銘打たれた石工の刻印など、随所に古城の趣を感じられる遺構を見ることができます。石垣は近世城郭らしい、打込接(うちこみはぎ)や、切込接(きりこみはぎ・写真右)が主に用いられ、造形の美しさも城郭の魅力の一つとなっています。

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必見!蘇った御廊下橋と山里口御門

必見!蘇った御廊下橋と山里口御門

写真:浦賀 太一郎

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先程も少し触れましたが、福井城の鉄壁を偲ぶ遺構として、平成20(2008)年に御廊下橋(写真中央)が、平成30(2018)年には山里口御門枡形が復元されました。山里口御門は本丸西側を守る門として築城当初からあり、天守台の直下に位置することから、非常に重要な役割を持った城門でした。

必見!蘇った御廊下橋と山里口御門

写真:浦賀 太一郎

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歴代福井藩主のうち数人は、この近くの西三の丸に在していたので、この山里口御門を通り本丸へ向かったと考えられています。御廊下橋が屋根付きで雅なのは、藩主専用の橋だったからなのです。

必見!蘇った御廊下橋と山里口御門

写真:浦賀 太一郎

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復元された櫓門内部も見学ができ(7:00〜18:00荒天など臨時休館あり)、外の景色も眺めることができます。堀の広さや枡形の狭さなどを実感できますよ!御廊下橋や山里口御門は夜間にはライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出します。

福井の町中に残る遺構やゆかりの人物も巡ろう!

福井の町中に残る遺構やゆかりの人物も巡ろう!

写真:浦賀 太一郎

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ここまで本丸を中心に紹介してきましたが、町中にも福井城の壮大さを実感できる遺構を見ることができます。本丸の北には国の名勝に指定されている大名庭園「養浩館庭園」や、福井市立郷土歴史博物館があり、福井市の歴史をより深く知りたい人におすすめです。

郷土資料館の裏手には、福井城の外堀に設けられていた「舎人門(とねりもん)」が資料を基に復元されています。ここでは石垣がメインだった本丸とは一味違い、土をかきあげて盛った「土居」を使っていたことがわかります。

福井の町中に残る遺構やゆかりの人物も巡ろう!

写真:浦賀 太一郎

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御本城橋の東側にある内堀公園には、越前藩士・三岡八郎(後の由利公正)と、福井藩の政治顧問に抜擢されていた熊本藩士の横井小楠の「旅立ちの像」があります。

二人は幕末に、「四賢侯」の一人として数えられていた松平春嶽に見いだされ、長崎での物資販売のルート開拓の役割を果たすべく九州へ向かい、見事に成功、藩の財政を改善しただけではなく、幕末における雄藩・福井の地位をも固めたのです。

福井の町中に残る遺構やゆかりの人物も巡ろう!

写真:浦賀 太一郎

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越前福井藩第16代藩主・松平春嶽は、親藩・御家門筆頭の福井藩主でありながら、開明的な大名でありました。前述の三岡、横井をはじめ、橋本佐内や中根雪江といった人材の才能を見抜き、積極的に登用しました。

倒幕の志士であった坂本龍馬と交流を持ち、莫大な資金援助をするなど、先見の明に優れた人物でした。福井神社には、維新回天に大きな役割を果たした松平春嶽の像が鎮座しています。

続日本100名城にも選ばれた福井城!江戸時代の政庁が、そのまま県庁として機能している全国でも珍しいお城です。ぜひその遺構を巡ってみて下さいね!

福井城の基本情報

住所:福井県福井市大手3
電話番号:0776-20-0252(福井県財産活用課)
アクセス:福井駅から徒歩約5分
開館時間:常時見学可能

2019年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2018/11/03 訪問

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