『麒麟がくる』主人公・明智光秀ゆかりの地 滋賀県「西教寺」

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『麒麟がくる』主人公・明智光秀ゆかりの地 滋賀県「西教寺」

『麒麟がくる』主人公・明智光秀ゆかりの地 滋賀県「西教寺」

更新日:2019/06/20 17:05

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者

滋賀県大津市の坂本にある「西教寺」は、2020年放送予定のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公「明智光秀」ゆかりの地です。1571年(元亀元年)織田信長の比叡山焼き討ちの際に焼失した西教寺を復興したのが、坂本城主となった光秀です。逆臣とされる光秀ですが、近年は皇室への崇敬の厚さや、領民に慕われた愛妻家として再評価されつつあります。復興に尽力した明智一族が眠る西教寺を訪れてみませんか。

天台真盛宗の総本山「西教寺」

天台真盛宗の総本山「西教寺」

写真:モノホシ ダン

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西教寺縁起によると、創建は聖徳太子で669年(天智天皇8年)に西教寺の号を下賜されたと伝わります。その後、室町時代に比叡山で修業された真盛上人が戒律・念仏の根本道場として再興、織田信長の焼き討ちによって焼失後、坂本城主になった明智光秀によって復興され、天台真盛宗約400寺の総本山として現在に至っています。

西教寺の総門(写真)は、天正年間に坂本城主明智光秀が、坂本城門を移築したと伝えられている城門です。ちなみに明智氏の家紋は桔梗紋で、旗指物には、薄い青色地に白抜きで桔梗が描かれていたために「水色桔梗」とも呼ばれていました。

天台真盛宗の総本山「西教寺」

写真:モノホシ ダン

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西教寺の本堂は、豪壮な総欅入母屋造で国の重要文化財になっています。江戸時代の1739年(元文4年)に上棟落成したもので、用材は紀州徳川家からの寄進されたものです。

正面の欄間や須弥壇はすべて欅の素木造で、江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されていて、内陣には、重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。荘厳な雰囲気の内陣で、阿弥陀如来像を拝んでください。

領民にも慕われ愛妻家でもあった「明智光秀」

領民にも慕われ愛妻家でもあった「明智光秀」

写真:モノホシ ダン

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本堂正面西側には、「明智光秀公と一族の墓」があります。西教寺では、明智光秀の命日である毎年6月14日に追善供養が行なわれ、全国から多くの光秀ファンも参列します。ところで、光秀はなぜ本能寺の変(1582年)を起こしたのでしょうか。

怨恨説、野望説など様々な推測がありますが、いずれも疑問の余地があり、一言で断定するのは難しいかと思われます。むしろ、問題はそのような事態を招いてしまった信長のほうにあるといっていいでしょう。当時、強大な武力により急速に版図を広げていた信長は、それだけに敵も多く、いわば“日本一狙われている男”でした。

その自覚に乏しく、わずかな手勢とともに京都に宿泊したことは、下剋上の世の中にあって油断以外のなにものでもなく、信長を狙う勢力にとっては願ってもない千載一遇のチャンスでした。その敵対勢力が光秀に接触、言葉巧みに懐柔し、本能寺に向かわせたというのは十分に考えられます。

領民にも慕われ愛妻家でもあった「明智光秀」

写真:モノホシ ダン

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本坊には、光秀と妻の熙子の座像が祀られています。製作者は著名な彫刻家で、成安造形大学名誉教授の富樫実氏です。光秀は領民のために尽くした優れた民政家であり、かつ愛妻家でもありました。熙子は、美濃の妻木氏の出で、当時の戦国武将は何人もの側室を置くのが普通でしたが、光秀は熙子が存命中は一人の側室も置かず、熙子を大切にしました。

明智城の落城後、光秀は越前の朝倉家に仕えながらも困窮した生活を送り、熙子は自分の黒髪を売って光秀を助けたという内助の功も伝えられています。やがて信長に仕えた光秀は過労のため、病に倒れてしまいます。熙子は、懸命に看病し、その疲れから本能寺の変が起こる約6年前に、この世を去ります。熙子の墓は、明智光秀公と一族の墓とは別に本堂正面西側に建てられています。

ちなみに熙子と光秀の間に生まれた三女が、細川忠興の正室となった珠(たま)で、のちにキリスト教の洗礼名から細川ガラシャと呼ばれた人物です。ガラシャは関ヶ原の戦いの前に西軍の人質となるのを拒み、家臣に自らを刀で突かせて壮烈な最期を遂げ、石田三成の人質戦略を狂わせたことで有名です。

西教寺の法難を救った「護猿」

西教寺の法難を救った「護猿」

写真:モノホシ ダン

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西教寺を開山した真盛上人は、善男善女とともに日夜、六万遍のお念仏を唱え「念仏の功徳」によって民衆を救いました。それ以後、西教寺のお念仏が栄え、不断念仏(途切れることなく念仏を唱えること)の道場として、約500年絶えることなく今日に受け継がれています。写真は、宗祖大師殿前に建つ宝珠丸(宗祖真盛上人幼名)の像です。

西教寺の法難を救った「護猿」

写真:モノホシ ダン

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ところで、西教寺をお参りしていると、屋根の上などいたるところに猿の像を見かけます。しかもそれぞれ格好が違います。比叡山にはもともと、猿がたくさんいたことから、坂本一帯の神社仏閣では、猿は神様の使いとされていて、西教寺では「護猿(ござる・まもりざる)」と呼ばれています。

西教寺の法難を救った「護猿」

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なかでも、念仏の鉦を叩こうとしている護猿の像は「身代わりの手白猿」と呼ばれて、その木像は本堂にあります。1493年(明応2年)、坂本で一揆が起こり、首謀者は真盛上人だという噂が広がり、怒った比叡山の僧兵たちが西教寺に乱入してきました。

しかし、境内に人影はなく、本堂から鉦の音だけが聞こえてきます。そこで僧兵たちが、目にしたのは人ではなく手が白い猿が、真盛上人の代わりに鉦を叩く姿でした。神の使いである猿にまで、真盛上人の「不断念仏」の教えが及んでいることに感銘を受けた僧兵たちは黙ってその場を立ち去ったということです。

そのことで、身代わりの猿はあらゆる災難からお守りいただける護猿としてあがめられています。さらに「縁がござる」「福がござる」と言って親しまれ、猿は猿でも五猿(客ござる)といって商売繁盛のお守りともされています。以来、ござる(五匹)の猿がお念仏を唱えている姿がお守りとされています。

西教寺おすすめのフォトスポットは

西教寺おすすめのフォトスポットは

写真:モノホシ ダン

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西教寺おすすめのフォトスポットとしては、まず最初に総門をくぐった先の一直線に伸びる参道です。目にも鮮やかな新緑が、来るべき夏の暑さを予感させてくれます。

西教寺おすすめのフォトスポットは

写真:モノホシ ダン

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もうひとつは、天台真盛宗宗祖の真盛上人のお木像をお祀りしている宗祖大師殿からの眺望です。とくに宗祖大師殿とともに国の登録有形文化財になっている唐門を通じた琵琶湖の眺めはカメラマンの人気のフォトスポットでもあります。目の前に広がる琵琶湖の絶景を心ゆくまで楽しんでください。

このように西教寺は、雄大な琵琶湖を望む高台に位置し、2020年放送予定のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀公ゆかりの地でもあります。光秀ファンの方やそうでない方も、この機会にぜひ西教寺を訪れて様々な歴史体験の旅を楽しんでみてください。

西教寺の基本情報

住所:滋賀県大津市坂本5丁目13-1
電話番号:077-578-0013
拝観料:大人500円、中学生300円、小学生200円
拝観時間:9:00〜16:30
アクセス:JR湖西線「比叡山坂本駅」下車、江若バス約7分(西教寺下車)、または徒歩約30分
京阪電車「坂本比叡山口」下車、江若バス約4分(西教寺下車)、または徒歩約25分
車利用の場合は湖西道路「滋賀里ランプ」より約10分、「坂本北IC」より約5分。無料駐車場利用

2019年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/06/08 訪問

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