写真:いなもと かおり
地図を見る「岐阜城」は、長良川を背に標高329mの金華山に築かれた山城です。岐阜城の前身である稲葉山城を攻略した織田信長は、金華山を大改修し、1567年に「岐阜城」と改めました。
ズバリ見どころは、自然の石を積んだ野面積み(のづらづみ)の石垣!城の歴史のなかでは、信長の頃の岐阜城は中世の城から近世の城へと進む転換期にあたり、この当時、石垣を高く積むことはすごい技術だったのです。高さのある石垣を見た人はさぞや驚いたことでしょうね。
また、経済面での功績も大きく、独占権を廃し自由に商売ができるようになった岐阜城下では商業が大きく発展。信長は、たった9年しか岐阜城にいなかったにも関わらず、岐阜城=信長というイメージが根強く残っています。信長亡きあとは、信長の息子や孫、池田輝政などが城主となり、1601年に廃城となりました。山頂には、昭和時代に建てられた模擬天守があり、濃尾平野を一望する絶景が待っています。
<岐阜城の基本情報>
住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18 金華山頂
電話番号:058-263-4853(岐阜城)
アクセス:JR岐阜駅、名鉄岐阜駅より「高富行き」「長良橋方面行き」「市内ループ線左回り」のバスに乗り、「岐阜公園・歴史博物館前」バス停下車。金華山ロープウェー(山麓駅)まで徒歩3分。金華山山頂へは金華山ロープウェーで(山頂まで)4分
写真:いなもと かおり
地図を見る岐阜城を訪れたら山の麓にある「信長公居館跡」にも立ち寄ってみてください。「城」といえば「天守」のイメージですが、城主は天守の中ではなく御殿に暮らしていました。ましてや、毎日山頂に行き来するのは大変!信長も山麓に居館を設けていました。
かつて、信長公居館跡を見学した宣教師ルイス・フロイスの記録によると、4階建ての宮殿(御殿のこと)があり、内装の一部が純金で縁取られた豪華な屋敷で、庭園や池に囲まれていたそうです。そして周囲を大きな石壁で巡らし、まるで「地上の楽園」のようだったとか!現在は、発掘調査が行われており、度重なる発見から話題のスポットとなっています。
<信長公居館跡の基本情報>
住所:岐阜県岐阜市大宮町1-46
電話番号:058-263-4853(岐阜城)または 058-214-2365(岐阜市教育委員会社会教育課)
写真:いなもと かおり
地図を見る長良川の水運を利用した川湊として栄えた「川原町(かわらまち)」は、レトロモダンが楽しめるオシャレストリート。建物の構造は、軒先の桁が前面へと張り出し、そこに屋根を乗せた「出桁造り」。間口の狭さに対して奥行きがある日本家屋は、江戸時代以降の町家のおもかげを残しています。
伝統工芸品などの土産屋やカフェ、ベーカリーなど、新旧入り混じった町並みが特徴的です。
<川原町の基本情報>
住所:岐阜県岐阜市湊町・玉井町・元浜町
アクセス:JR岐阜駅、名鉄岐阜駅より「長良橋方面行き」「市内ループ左回り」バスに乗り、「長良橋」バス停下車。徒歩1分ほど
写真:いなもと かおり
地図を見る「鵜飼」とは、仕留めた魚を飲み込む鵜の習性を利用した漁法で、長良川では1300年以上の歴史を誇る伝統文化です。かの信長も、鵜飼を用いた接待を行っていました。この伝統文化を手厚く保護し、漁師らを「鵜匠」と名付けたのも信長だったとか。
鵜飼が開始されると、鵜舟と一緒に川を下りながら漁を観覧する「狩り下り」か、川岸に観覧船を寄せてそこから観る「付け見せ」のどちらかを見学し、その後は6隻の鵜舟が横一列に並び魚を追い込む「総がらみ」を観覧します。観覧船に乗り、間近で見学する鵜飼漁は一瞬にして気持ちが引き込まれる!10〜12本の手縄(たなわ)で鵜をつなぐ、鵜匠の手縄さばきは実にお見事。「ほうほう」と、声の合図をだして鵜を操っていたのが、なんとも印象的です。思わず「おぉぉ」と歓声がでてしまいますよ。
<ぎふ長良川の鵜飼の基本情報>
住所:岐阜県岐阜市湊町1-2(岐阜市鵜飼観覧船事務所)
電話番号:058-262-0104(岐阜市鵜飼観覧船事務所)
アクセス:JR岐阜駅、名鉄岐阜駅より「高富行き」「市内ループ線左回り」バスに乗車、バス停「長良橋」下車、徒歩1分ほど
写真:いなもと かおり
地図を見る岐阜城から直線距離で15km北に位置する「大桑城(おおがじょう)」は、信長が岐阜城へ入城するよりも前の時代に、室町幕府の美濃国守護・土岐氏が最後に拠点としていた城です。岐阜城の前身である稲葉山城の城主・斎藤道三と戦いを繰り広げており、度重なる抗争の結果、大桑城は落城。土岐氏最後の守護・頼芸は美濃から追放され、200余年に続いた美濃国統治は終焉を迎えました。
この土岐氏は、数多くの支流を輩出し、かの明智光秀も土岐支流の氏族だったとか!大桑城の東にある山県市中洞地区には、光秀誕生の地伝説や、本能寺の変ののちに名を変えて生き延びた伝説など、驚きの言い伝えが残っているのです。なんともミステリアス!
登城口から登り、標高407mの古城山に展開する城域を巡ると、その所要時間は往復3時間ほど。眺望を楽しみながら、わずかに残された石積みや竪堀を探して山城トレッキングを満喫しましょう!山頂には、昭和に建てられたミニチュア模擬天守と、山県市を見下ろす眺望スポットが待っています。
<大桑城の基本情報>
住所:岐阜県山県市大桑
電話番号:0581-22-6845(山県市教育委員会生涯学習課)
アクセス:JR岐阜駅、名鉄岐阜駅より車で約40分で大桑城登城口
※野生動物には十分にご注意ください
写真:いなもと かおり
地図を見る日本三大山城の一つに数えられる「岩村城」は、標高717mに位置する山城。戦国時代には、城主だった夫亡きあと、妻であるおつやの方(信長の叔母にあたる)が実権を握った、女城主の城です。
今見ることができる姿は、1601年に城主となった松平家乗が再整備したもので、江戸時代にも度々積み直しがされています。約4万個の石が使われた石垣造りの城は圧巻です!なかでも注目は、山頂にある本丸の六段の石垣。高石垣の崩落を防ぐために補強され、段差が設けられています。また、岩村城の北西山麓には藩主邸が築かれ、太鼓櫓、表御門、平重門が復元されています。
そして、重要伝統的建造物群保存地区に選定(岐阜県で3番目、全国で48番目)された岩村の城下町は連続テレビ小説『半分、青い。』のロケ地にもなり、話題性も抜群!名物の五平餅や、かんから餅といったグルメ、酒蔵など、全長約1.3kmの城下町散歩も楽しいです。
<岩村城の基本情報>
住所:岐阜県恵那市岩村町字城山
電話番号:0573-43-3057 (岩村歴史資料館)
アクセス:明知鉄道・岩村駅より徒歩約1時間
写真:いなもと かおり
地図を見る県指定史跡の「妻木城(つまぎじょう)跡」は標高409mに築かれた戦国時代の山城です。展望スペースからは土岐市や多治見の市街地を望む眺望が広がり、城内には石垣や土塁、堀切といった城の遺構や、石を割る時についた痕跡(矢穴という)を見学することができます。山はところどころで岩が露出し、“節理”という石に割れ目ができる現象が!歴史だけではなく自然の力も感じられるスポットです。
城主だった妻木氏は織田方の家臣としてこの地を治めますが、江戸時代以降は、幕府の交代寄合となり山の麓にある屋敷地に陣屋をかまえました。「妻木城士屋敷跡」には立派な石垣が残っています。1658年には妻木氏に後嗣がなく断絶となり、城もその役割を終えました。
ちなみに、明智光秀の妻はこの妻木地域の出身地だったと考えられています。
<妻木城・妻木城士屋敷跡の基本情報>
住所:岐阜県土岐市妻木町字本城、及び御殿跡地内
電話番号:0572-54-1111(土岐市文化スポーツ課)
アクセス:東海環状自動車道「土岐南多治見IC」より車で約15分
写真:いなもと かおり
地図を見る1625年、関市下有知にある龍泰寺の末寺として開山した「天龍寺」。境内には明智氏歴代のお墓や、本堂には明智光秀の木像・ご位牌が収められています。ご位牌の高さは、6尺1寸3分(184cm)と、光秀の命日6月13日に由来するものです。手を合わせ、時をかけて光秀に会いにいく。そんな経験ができるのも、天龍寺の魅力です。
ちなみに、天龍寺の御朱印は特別!プレミアムフライデーには、墨書きに金色の印を押したありがたい限定御朱印がいただけます。ただし、人気殺到のため御朱印帳への直接書きは行っておりませんので、ご了承ください。
<天龍寺の基本情報>
住所:岐阜県可児市瀬田1242
電話番号:0574-62-1859
アクセス:名鉄広見線・明智駅よりタクシー15分、または徒歩約25分
写真:いなもと かおり
地図を見る天龍寺の後ろの山には、可児市の「明智城」があります。14世紀中頃に土岐氏が築城したと伝わり、山頂に設けられた本丸や中ノ曲輪など複数の曲輪(城を構成する区画)を散策することができます。
明智光秀誕生の地は、いくつかの説がありますが可児市もその一つ。可児に住んだ土岐氏は名を「明智」と改め、明智城で生まれた光秀は城が落城するまで過ごしたそうです。もしかしたら、光秀もココにいたのかもしれないと考えるだけで、わくわくしますね!
<明智城の基本情報>
住所:岐阜県可児市瀬田
電話番号:0574-62-1111(可児市文化スポーツ部文化財課)
アクセス:名鉄広見線・明智駅よりタクシー15分、または徒歩約25分
写真:いなもと かおり
地図を見る「江馬氏館」は、14〜16世紀に飛騨地域の高原郷を拠点にした地方領主・江馬氏の居館です。京都の上級武士の館の形式に似た格式の高いもので権力を誇示していたと考えられています。
発掘調査では、庭園の立石や会所などの建物跡、周りを囲む土塀跡や堀跡が見つかり、主門の前はV字型の堀にして権威を示していました。この調査結果や絵図、文献を元に館を復元整備し、かつて館を訪れた人が見たであろう景観を体験することができます。国の名勝にも指定された飛騨の宝です!
<江馬氏館の基本情報>
住所:岐阜県飛騨市神岡町殿573番地1
電話番号:0578-82-6001(史跡江馬氏城館跡公園)
アクセス:JR飛騨古川駅よりタクシーで約30分
写真:いなもと かおり
地図を見る歴史の街として知られる岐阜県高山市。市街地の東方にある県指定史跡「高山城跡」は、東は長野・北は富山・西は白川村・南は下呂・美濃へと通ずる交通の要所にあります。城主は、信長亡きあと豊臣秀吉の命で飛騨へ侵攻し、飛騨一国を賜った金森長近。1588年から築城をはじめ16年の歳月をかけ完成しました。高山城の天守は外観2層、内部3階の構造をもち御殿風の建物と繋がっていたようです。
金森氏が東北へ転封となると高山城は廃城となり、17世紀には幕府の命で城は壊されました。そのため現在見る城山公園には、わずかに残った石垣の一部や曲輪のみを見学できます。しかし、今の姿こそ高山城の歴史のすべて!古の片鱗を探す冒険も楽しいですよ。
<高山城の基本情報>
住所:岐阜県高山市城山
電話番号:0577-35-3156(高山市教育委員会文化財課)
アクセス:JR高山本線・高山駅より徒歩約25分
写真:いなもと かおり
地図を見る飛騨の小京都とも称される「高山の古い町並」は、高山城下町にあった町人町の姿を引き継いでいます。建物の造りは、間口が狭い一方で奥行きのある家、そして2階には格子を設けるなど町家造りの構造が特徴的です。家の前は水路が通り、屋根から落ちた雨水がしたたるように設計されています。そのため軒先のラインがビシっと一直線に繋がり、より一層美しい景観を保つのです。
伝統的建造物群保存地区に選定されたエリアの中でも、上三之町のあたりは特に風情のある一角です。普段着でも充分レトロな雰囲気は味わえますが、レンタル着物や浴衣を利用した町歩きは、さらにタイムスリップ気分を味わえるかも!
<高山の古い町並の基本情報>
住所:岐阜県高山市上三之町、ほか
電話番号:0577-35-3145(高山市観光課)
アクセス:JR高山駅より徒歩12分
写真:いなもと かおり
地図を見る1995年にユネスコ世界遺産に登録された「白川郷合掌造り集落」。岐阜県北部に位置する白川郷は、国の重要文化財に指定される和田家をはじめ、114棟の合掌造り家屋が残っています。
まるで集落全体が一つの博物館!合掌造り建物の中で食事やショッピング、さらには合掌家屋で宿泊することもできますよ。
<白川郷の基本情報>
住所:岐阜県大野郡白川村荻町
電話番号:05769-6-1013 (一般社団法人白川郷観光協会)
アクセス:名古屋駅、高山駅、金沢駅、富山駅からそれぞれバスが運行
写真:いなもと かおり
地図を見る白川郷で見逃せないスポットといえば、「民芸館神田家」です。江戸時代後期に建造された4階建ての合掌造り建物。その築年数はなんと約200年!定休日を除き、9:00〜17:00の時間帯に見学することができます。毎日欠かさず囲炉裏で火を焚いているため、茅に煤(すす)が付いて腐食を防げるのだとか。まさに、集落で息づく知恵ですね。

神田家は蚕を育て繭をとる養蚕業(ようさんぎょう)のほか、火薬の原料となる焰硝(えんしょう)づくりも行っていました。特別拝観では、神田家の床下で焰硝を製造していた跡を、神田家に暮らす6代目・当主が自ら特別にご案内してくださいます。こちらは「清流の国ぎふ めぐる旅キャンペーン」の限定体験プランとなっておりますので、お見逃しなく!(要予約)
<民芸館神田家の基本情報>
住所:岐阜県大野郡白川村荻町796
電話番号:05769-6-1072
アクセス:白川郷バスターミナルより徒歩約7分
写真:いなもと かおり
地図を見るこちらは、白川郷で生まれ育った車夫がご案内する特別な人力車。白川郷で唯一となる人力車のため、休日限定1日4組までしか体験することができません。現在も、白川郷に暮らす車夫だからこそのマニアックな情報がてんこ盛り!歴史ガイドや白川郷の生活秘話はもちろん、写真映えスポットだって網羅しています。
人力車は初めて白川郷を訪れた方にもピッタリの体験ですが、リピーターにこそ参加して欲しい内容です。車夫を通して見る白川郷は、心の距離がグッと縮まって感じるはず!(要予約)
<人力車の基本情報>
住所:岐阜県大野郡白川村荻町152-1 荻町公園に集合
アクセス:白川郷バスターミナルより徒歩約9分
ボリューム満点の歴史の町、岐阜県。現在、岐阜県では「清流の国ぎふ めぐる旅キャンペーン 〜体験!武将たちの夢のあと〜」を実施中。戦国時代気分を味わえる特別体験プログラムなど、とっておきの歴史旅ができますよ!
今も岐阜に息づく伝統文化には、織田信長や明智光秀など戦国武将も深く関わっていました。歩けば歴史にぶつかるような地域で楽しむタイムトラベル。戦国武将たちが愛した場所で、彼らの息吹を感じながら、岐阜の歴史に癒される体験をしてみませんか?
※2019年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
【この記事は 岐阜県 とのタイアップです】
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(2023/12/10更新)
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