ウズベキスタンの英雄!サマルカンド・ティムールゆかりの地巡り

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ウズベキスタンの英雄!サマルカンド・ティムールゆかりの地巡り

ウズベキスタンの英雄!サマルカンド・ティムールゆかりの地巡り

更新日:2019/07/09 15:46

大山 平助のプロフィール写真 大山 平助

14世紀末から15世紀にかけて中央アジアと西アジアに広大な帝国を築いたティムール。彼が帝国の首都として定めたのはサマルカンドで、今ではウズベキスタン最大の観光地であり、彼が築いたモスクや廟などが多く残っています。

現在の美しい建物は帝国が発展していく過程で増えていくのですが、ここではサマルカンドの中でも特にティムールとゆかりの深いスポットをご紹介。

ティムールとサマルカンド

ティムールとサマルカンド

写真:大山 平助

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さて大帝国を築いたティムールはここが生まれ故郷ではなく、彼自身はサマルカンドから約80km離れたシャフリサブスという街の近郊で生まれました。彼は故郷であるシャフリサブスを愛したのですが、サマルカンドのほうが交通の面で便利だった為、広大な帝国の首都は紀元前10世紀からの長い歴史を誇るこの街に決定しました。

ティムールとサマルカンド

写真:大山 平助

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元々のサマルカンドは現在の町の北部、アフラシヤブという地域にあり、交易都市として古来から栄えていました。しかし、13世紀初頭にモンゴル帝国のチンギス・ハーンに徹底的に破壊され、現在のアフラシヤブは廃墟となっています。ティムールの時代にサマルカンドの中心部は少し南へ移動し、帝国の首都として青く輝くモスクや神学校が多く建設されました。

ビービー・ハーヌム・モスクは中央アジア最大級のモスク

ビービー・ハーヌム・モスクは中央アジア最大級のモスク

写真:大山 平助

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実はティムールの時代の建築物はあまり残っておらず、サマルカンドの代名詞的存在であるレギスタン広場も彼の死後に作られたものなのです。しかし、ティムールがどれだけの権力と財力を持っていたかを知るには、旧市街にあるビービー・ハーヌム・モスクを訪れてみると良いでしょう。

ビービー・ハーヌム・モスクは中央アジア最大級のモスク

写真:大山 平助

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こちらのモスクのドーム部分は40mと他の建築物と比べると驚くほど巨大です。晩年に作られたこのモスクは1399年に造成を始め、1404年に完成と5年の歳月を費やして作られました。ドームが3つもあり、ティムールの威厳を示すかのような巨大さです。しかし、時が過ぎ去り、19世紀には廃墟となってしまいました。現在見られるモスクは20世紀に大幅改修したもの。

ビービー・ハーヌム・モスクは中央アジア最大級のモスク

写真:大山 平助

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それでもティムールゆかりのモスクとして、観光客が絶えません。広大な中庭にある大理石の「説教台」を3周回りながらお願い事をするとその願いが叶うといわれています。

<基本情報>
住所:Bibikhonim ko’cha

シャーヒ・ズィンダ廟群はティムールの関係者が多く眠る

シャーヒ・ズィンダ廟群はティムールの関係者が多く眠る

写真:大山 平助

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サマルカンドの北東にあるシャーヒ・ズィンダ廟群は20以上ある墳墓の集合体。シャーヒ・ズィンダは、イスラム教の開祖ムハンマドのいとこである「クサム・イブン・アッバース」を指し、この地に葬られたことからこの名がつけられました。現在でもイスラム教との聖地として、多くの人々が訪れます。

シャーヒ・ズィンダ廟群はティムールの関係者が多く眠る

写真:大山 平助

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ティムールの関係者も多く眠っており、これは彼のお気に入りの妻であった「トゥマン・アカ」の廟。他にもティムールの乳母、ティムールの妹「シリンべク・アカ」、ティムールの姪である「シャーディムルク・アカ」など、どの廟も美しい装飾が施されており、見応え抜群!

シャーヒ・ズィンダ廟群はティムールの関係者が多く眠る

写真:大山 平助

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入口からは参道沿いに多くの廟が並びますが、最奥部にはクサム・イブン・アッバースの廟があります。これが最も古い部分。かつてはこの廟を3回詣でるだけで、メッカに詣でるのと同じとされていました。

<基本情報>
住所:M-37

ティムールが眠るグーリ・アミール廟

ティムールが眠るグーリ・アミール廟

写真:大山 平助

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大帝国を建設したティムールはこの地で眠っています。グーリ・アミールはティムールを指し、「支配者の墓」という意味。

元々はティムールの孫であるムハンマド・スルターンの廟として建設を始めたものの、彼自身は生まれ故郷であるシャフリサブスに墓を建設していました。しかし、遠征の途中で死亡し、道が凍結していて、シャフリサブスまで遺体を運べなかったために、サマルカンドに埋葬されました。

ティムールが眠るグーリ・アミール廟

写真:大山 平助

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霊廟そのものを建設したのは、彼の孫であるウルグ・ベグ。正面にある美しいイーワーン(入口の装飾)をくぐると、青く輝くドームがある中庭が現れます。霊廟の中に入り、しばらく歩くと黄金に輝く大広間が目の前に。まるでティムールの栄光を体現したかのような豪華な空間が広がっています。

ティムールが眠るグーリ・アミール廟

写真:大山 平助

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ティムールの棺は地下室にあるのですが、黒緑石で作られた墓石が棺の位置を示すのみで、中に入ることはできません。

1941年にソ連の学術組織によって地下室が発見されました。調査の際、棺の内側に「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が刻まれていることが判明しました。その後、ソ連にナチス・ドイツが侵入したという恐ろしいも偶然も。もちろん、調査後は丁寧に埋葬されましたが、死しても影響力を持つというティムールらしいエピソードです。

<基本情報>
住所:Bustonsaroy ko’cha

ティムールの足跡とともに巡るサマルカンドの旅

こうやってティムールの足跡を辿ると、帝国を拡大していく中で現在のサマルカンドの基盤を作り、彼の死後に優美な建物が徐々に作られていったということが分かってきますね。偉大なる英雄が思い描いた理想都市が現在のサマルカンドなのかもしれません。

サマルカンドを訪れる際は、ティムールにスポットを当てながら巡ってみるのもおすすめですよ。

2019年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/05/01−2019/05/02 訪問

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