有名教会に再開発ビル群!御茶ノ水の西洋チックな幽霊坂と界隈坂道めぐり

有名教会に再開発ビル群!御茶ノ水の西洋チックな幽霊坂と界隈坂道めぐり

更新日:2019/07/26 12:58

雲本 らてのプロフィール写真 雲本 らて 散歩ブロガー、坂道探検家
幽霊坂といえば、昔は人通りが少ない寂しい場所や都市伝説に関連して名付けられることが多かったのですが、JR御茶ノ水駅そばの幽霊坂はひと味違っています。近年、隣接した場所が再開発され名前とは打って変わり近代的な雰囲気に変貌しました。今回はそんな時間が止まったような名前の幽霊坂とあわせて界隈の近代的な再開発ビル群や御茶ノ水のシンボル的存在の教会と坂道の関係についても取り上げてみたいと思います。

大規模再開発ビルに囲まれた幽霊坂

大規模再開発ビルに囲まれた幽霊坂

写真:雲本 らて

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「幽霊坂」は、JR御茶ノ水駅から徒歩2分ほど、東京メトロ・新御茶ノ水駅からなら駅出口すぐの場所にあり、本郷通りから外堀通りに下っている坂道です。坂名については紆余曲折あり、江戸時代の初め頃は緩やかにカーブしており、光感寺という寺院が坂の途中にあったことから光感寺坂という名がつけられていました。その後、直線上に整備され、坂上には火消屋敷があり火の見櫓がそびえていたそうですが、維新後官収されて空地になり荒廃した武家屋敷の間を抜けるさびしい坂道だったため、それ以降幽霊坂という名前が定着していったという説が有力です。

大規模再開発ビルに囲まれた幽霊坂

写真:雲本 らて

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現在の幽霊坂は、坂上に御茶ノ水ソラシティ、坂下にワテラスという坂道と隣接した場所で大型複合施設が再開発され、坂名の由来とは打って変わり雰囲気は大きく変わりました。

また御茶ノ水ソラシティとワテラスは相互に行き来できる橋でつながっています。そしてその橋が幽霊坂の上空を走っており、未来的なデザインもあいまって坂道の雰囲気と坂名とがますます乖離していく感じが歩いていると感じられて興味深いです。

大規模再開発ビルに囲まれた幽霊坂

写真:雲本 らて

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幽霊山の坂上には、昭和の初めに「軍艦山」と呼ばれる子供たちの遊び場となっていた場所がありました。現在は、御茶ノ水ソラシティの開発により施設内に軍艦山の案内板が設置されその存在が知られるようになりましたが、幽霊坂の坂上あたりからも往時のまま残されている軍艦山に関係する石垣とクスノキが確認できます。

<幽霊坂の基本情報>
住所:東京都千代田区神田駿河台4丁目および神田淡路町2丁目
アクセス:JR・御茶ノ水駅より徒歩2分

紅梅坂とニコライ堂

紅梅坂とニコライ堂

写真:雲本 らて

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「紅梅坂」は、幽霊坂の坂上からさらに北側に上っている坂道です。元々、関東大震災後に本郷通りが新設されて分断されるまでは、幽霊坂と一本の坂道でした。

坂名については、幽霊坂と同じく光感寺坂という名前でしたが、明治時代に、武家屋敷であったこのエリアに駿河台紅梅町・東紅梅町という町名がつけられていたことから、この坂道を紅梅坂と呼ぶようになったという説が有力です。

紅梅坂とニコライ堂

写真:雲本 らて

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紅梅坂といえば、御茶ノ水界隈のシンボル的教会で、ニコライ堂という名で親しまれている東京復活大聖堂が坂道に隣接していることでも有名です。

ニコライ堂のある場所は江戸時代、幕府の火消屋敷があり、火の見櫓がそびえていたそうですが、維新後官収されて空地となっていたそうです。その後ロシア宣教師ニコライ主教が土地を買い取り、7年の歳月をかけて大伽藍を建て、明治24年に竣工させたという経緯があります。

なおニコライ堂についてはロシア人建築家ミハイル・シチュールポフが原設計を行い、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルが実施設計を担当したことでも知られ、今では想像もできませんが、建設当初はドームの上から外国人たちが地域を見下ろすのはけしからんと一部新聞が書き立てるような事件もあったといわれるほど、当時は異様な存在に見えたようで賛否両論だったことが記録に残っています。

<紅梅坂の基本情報>
住所:東京都千代田区神田駿河台4丁目
アクセス:JR・御茶ノ水駅および東京メトロ・新御茶ノ水駅より徒歩1分

幽霊坂と紅梅坂の間を走る坂道

幽霊坂と紅梅坂の間を走る坂道

写真:雲本 らて

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幽霊坂と紅梅坂の間を分断するように横切っている本郷通りも印象的な坂道となっています。坂上あたりでは、東側にニコライ堂、西側に御茶ノ水ソラシティが隣接しており、そこからスキースノーボード関連のお店が軒を連ねる靖国通りのほうへと下る形になっています。

なお、この坂道は本郷通りでもあるとおり、関東大震災後に新設された道路ですが、幽霊坂の項ででてきた軍艦山は、まさにこの坂道というか本郷通りができたことで高台が削られてできた特異な場所ともいえるでしょう。

雰囲気が一変した新坂

雰囲気が一変した新坂

写真:雲本 らて

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ワテラスの南側を東西に走っているのが「新坂」です。この坂道は、明治維新後、武家屋敷跡に駿河台上にのぼるための通路として新たに造られたため、新坂と名付けれました。

なお新坂の北側には、ワテラスと一体で再整備された淡路公園が隣接しており、再開発前と比べて公園と坂道の連携がより強くなったようなつくりとなっています。

あとプチ情報として、新坂の坂下にはコミュ二ティサイクルのポートもあります。要はレンタル自転車のことですが、都内にはここと同じような指定ポートが多数あり、どこでも借りれて乗り捨てもできるので、坂道巡りの移動手段として登録の検討をしてみるのもいいかもしれませんね。

<新坂の基本情報>
住所:東京都千代田区神田淡路町2丁目
アクセス:東京メトロ・新御茶ノ水駅より徒歩2分

再開発前の雰囲気を残す観音坂

再開発前の雰囲気を残す観音坂

写真:雲本 らて

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新坂の南側、東京メトロ・新御茶ノ水駅からすぐの場所を東西に走っているのが「観音坂」です。坂名の由来は、元禄期(1688年~1704年)まで、この坂の上に芦浦観音寺が建っていたことから観音坂と呼ばれるようになったという説が有力です。

ここは、明治時代、実業家や政治家の邸宅があったことで有名だったそうですが、現在はその面影はなく、むしろこのエリアのワテラスや御茶ノ水ソラシティなどの大規模再開発ビルができる前の雰囲気が残っている坂道といえるのかもしれません。

<観音坂の基本情報>
住所:東京都千代田区神田淡路町1丁目と2丁目の間
アクセス:東京メトロ・新御茶ノ水駅より徒歩1分

お茶の水の歴史がぎゅっとつまったエリアにある坂道

今回は再開発によって雰囲気が一変した幽霊坂を中心に界隈の坂道を歴史をまじえて取り上げてみました。都内でもこれほど坂道に隣接したエリアが再開発によって雰囲気や風景が一変した場所は珍しいですし、新旧スポットと坂道はよく観察してみると密接に関係していて、そんなことを気にしながら界隈を歩いてみれば、また違った視点が得られると思います。ぜひ試してみてください。

2019年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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