写真:井伊 たびを
地図を見る笠森観音の正式名称は、「天台宗・別格大本山笠森寺」である。
784年(延暦3年)伝教大師最澄上人が、楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたとされる。観音堂は、1028年(長元元年)に、後一條天皇の勅願により建立された。
鐘楼堂にて興楽の鐘を撞けば、境内に荘厳な響きがこだまする。そして、振り向けば、自然林の海に千年のときを刻む観音堂が浮かびあがった。深呼吸をひとつして耳をすませば、野鳥のさえずりがとても優しい。この五感をくすぐる心地よさは、誰のモノでもない。あなたのモノだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る観音堂を見上げれば誰もが思うだろう!どこかで見た風景?京都の「清水寺・本堂」に似ている!その通り!同じ方式の「懸造」である。しかし、こちらは四方向のすべてが「懸造」である。
日本唯一の「四方懸造」として、1908年(明治41年)「国宝」に、その後1950年(昭和25年)には、「国指定重要文化財」となっている。
もともと、「懸造」という工法は、本堂を建築した後に作られる。建物の前面にあるのが基本だ。しかし、ここの「懸造」は例外だ。始めから岩山の頂上に作るという構想だったため、建物を支える四方が61本もの束柱で支えられている。
岩の上に建てられた観音堂。回廊から見わたす展望では、雄大な房総の山なみが堪能できる。
写真:井伊 たびを
地図を見る二天門手前の崖の上に、三基の句碑が並んで建立されている。中央の句碑が、1777年(安永6年)に建立されたとされる芭蕉の句碑である。左右にはそれぞれ各務支考、渡辺雲裏の「片枝に 脈や通ひて 梅の花」「すへられて 尻の落着く 瓢かな」の句碑が、芭蕉句碑を守るかのように並んでいる。
「五月雨に この笠森を さしもぐさ」
観音堂の上で芭蕉が詠んだとされる句である。「さしもぐさ」とは、もともと「ヨモギ」のことだが、ここでは観音さまに救われ、一切衆生のことのようだ。
「五月雨」、「芭蕉」とくれば、「五月雨を あつめて早し 最上川」が有名だ。ところで、五月雨は春の季語と間違われやすいが、夏の季語だ。芭蕉が詠んだ江戸時代は陰暦。その頃の五月は、今の六月で梅雨の頃にあたる。
写真:井伊 たびを
地図を見る周辺の山々は「県立笠森鶴舞自然公園」に指定されており、特に観音山は1970年(昭和45年)以来「国指定天然記念物笠森寺自然林」として保護されている。
辺りは、典型的な暖帯性照葉樹林だ。植生が豊かなことと同時に、生息する野鳥の種類や個体数も多く、ここで観察できる鳥類は、19科36種。獣類は3科3種いる。もちろん、千葉県により「鳥獣保護区」に指定され、野生鳥獣の保護が図られている。
写真:井伊 たびを
地図を見る「たくさんの方から、ありがとう!御利益があった!ってね!お礼を頂くんですよ!」熱のこもった店主。つい財布の紐が緩くなる。オススメは断然!人気NO.1の黒猫ペアだ。
「ほとんどの人が、こちらをお求めになります!」店主の若干抑え気味のお誘いに、野口英世先生が店主のもとへと、ひとり旅立った。御利益を呼び込むには、東か南、あるいは東南の方を向くように置くのがベターだそうだ。さて!費用対効果は?
趣がある「小湊鉄道」に揺られ、バスに乗り継ぎ、辺りの自然に触れながら、悠久の時空に身をゆだね、たっぷり時間をかけて訪れるのがオススメだ。
疲れきった心を癒したい人、様々な蹉跌を精算したい人、楽しい人生がこれからも続くことを願う人。訪れる人すべてに、千年変わらず佇まう観音さまが、それぞれに恵みを授けてくれるだろう。
人生は長いようで短い。肺胞に滞留する疲れた空気があるならば、自然林が放つマイナスイオンたっぷりの新鮮なものと、交換する旅に今出よう!
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(2023/11/29更新)
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