写真:古都の U助
地図を見る多くの門弟がいた松尾芭蕉の弟子達の中でも、特に優秀な人物として蕉門十哲に数えられる向井去来。その去来の遺跡が京都嵐山にある落柿舎です。去来が書いた『落柿舎ノ記』には、『柿主や梢はちかきあらし山』の句とともに、かつてこの庵に40本もの柿の木があり、その木々になった柿の実が一夜にして落ちたことが書かれています。
現在の庵は去来の没後、1770年(明和7年)に再建されたものですが、樹齢300年もの柿の古木をはじめ庭には数本の柿があり、訪れる人を迎えてくれます。
写真:古都の U助
地図を見る落柿舎の入り口を入るとすぐに受付が有り、御朱印や各種の記念品などを求めることができます。御朱印は美しい和紙に文字が描かれた風雅なもので、どれも「柿」のモチーフがセンス良く配されています。
※御朱印は書置きタイプのみです。
写真:古都の U助
地図を見る御朱印のほか、柿の土鈴やしおりもあります。柿といえば秋の味覚ですが、こんな楽しみ方も素敵なものですね。
写真:古都の U助
地図を見る向井去来が最初にこの庵を入手したのは貞享2年(1685年)のこととされ、芭蕉は判明しているだけでも三度ここを訪れ、元禄4年(1691年)の滞在の際には『嵯峨日記』を書いたとされています。
写真:古都の U助
地図を見る落柿舎は決して広大な敷地や贅沢な調度があるわけではありませんが、茅葺の屋根といい四季折々の庭木の風情といい、これぞ「俳句の世界」と言いたくなるような洒落たセンスが感じられます。
写真:古都の U助
地図を見る現在は庵の見学は外からとなりますが、縁側には「落柿帳」が!この文字を見て、そうだ、らくがきちょうだよな、と妙に納得してしまいませんか?ぜひ実際にご自身の手でこの素敵なノートを開いて見て下さい。
また、拝観時に受付でもいただけますが、ここにも「落柿舎投句短冊」が。庵の横には竹製の投句箱があるのでぜひ一句ひねって投函してみましょう!秀句、佳句は来訪者に入場券とともに配布される季刊誌に掲載され無料で自宅まで郵送してもらえます。
写真:古都の U助
地図を見るこちらは落柿舎「次庵」です。申し込みをすれば、句会席の他、お茶会などの文化活動にも利用することができます。
写真:古都の U助
地図を見る落柿舎には去来の歌碑はもちろん高浜虚子句碑、昭憲皇太后御歌碑など多くの碑があります。こちらは芭蕉の『五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡』の歌碑。『嵯峨日記』の最後に書かれている句です。
写真:古都の U助
地図を見る四角い柱状の碑は右側が昭憲皇太后御歌碑、左側が高浜虚子句碑です。虚子の句碑は昭和34年建立された虚子最後の自筆句碑。
落柿舎の敷地には多くの歌碑のほか四季折々の風情が楽しめるようもみじや藤、紫陽花、くちなし、南天など俳句の季語となる植物が100種近くも植えられ美しい庭を形成しています。
写真:古都の U助
地図を見る落柿舎の周囲はのどかな光景が保たれ高浜虚子句碑のそばからは西南にそびえる嵐山の風景を楽しむこともできるほか、落柿舎のすぐ背後には五山の送り火で鳥居形に松明が点火される嵯峨鳥居本の曼荼羅山がそびえています。
また、落柿舎のすぐ西側には有智子内親王御墓があります。有智子内親王は嵯峨天皇の多くの子女のなかでもとりわけ文才に恵まれたとされる女性で、初代賀茂斎院でもありました。
住所:京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20
電話番号:075-881-1953
アクセス:JR嵯峨嵐山駅より徒歩15分
阪急嵐山駅より徒歩約30分
市バス・京都バス 嵯峨小学校前より徒歩約10分
料金:大人250円
時間:9時〜17時(1月、2月は10時〜16時)
休日:12/31、1/1
2019年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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