写真:bow
地図を見るおがさわら丸が停泊する二見湾のちょうど南東側にある
波の静かな小さな湾、そこが境浦と呼ばれる場所です。
湾に沿って白砂のビーチが広がっており、
父島でも人気のあるポイントの一つになっています。
しかし、何やら人工物らしき不釣り合いなオブジェが
その湾のど真ん中に見えるかと思います。
これが、濱江丸(ひんこうまる)と呼ばれる沈没船です。
境浦のシンボルとして観光スポットの一つにもなっています。
写真:bow
地図を見るこの濱江丸、なんと70年近くもこの場にいるのです。
実は太平洋戦争時に輸送船として活用された船だったのです。
サイパンから本土へと戻る際に空襲を受けてしまい、
なんとか父島まで辿り着いたものの、再び攻撃を受け座礁、
さらに追い打ちの攻撃も受け、現在の位置に放棄されたのです。
歴とした、太平洋戦争の遺物。
それが目の前の日常に存在するのも小笠原諸島ならではなのかもしれません。
70年近い年月はこの船の姿を大きく変えてしまいました。
以前はちゃんとした船体が残っていたので沈没船という見た目ではなかったのですが、
今は機関部分を残して朽ち果てて海に沈んでいます。
こうした太平洋戦争時に沈んだ船が父島近海には他にも100隻以上あるとされ、
現代の平成になってからも新しく発見される船があるのです。
写真:bow
地図を見るかつての父島は父島要塞と呼ばれ、
小笠原諸島の重要な防衛拠点として司令部もおかれた島なのです。
硫黄島のような激戦の場にはならなかったために
ほぼ、当時の姿のままで戦時中の遺物が残っています。
ちょうどおがさわら丸がある二見港の近くに歩行者用のトンネルがあるのですが、
そのトンネルも軍事施設のなごりであり、ふつうのトンネルに見えるのですが
無数の横穴があり、どこかへ続いているのです。
ウェザーステーションへと行く道の途中にも砲台の跡がありますし、
とにかく無数の戦跡が父島じゅうにあるのです。
こういった地下壕や、砲台などの武器類の保存状態がかなり良好な為、
大日本帝国時代の貴重な史料として、そして父島の観光資源ともされています。
写真:bow
地図を見るそんな歴史をかみしめつつ、話を再び境浦海岸へと戻します。
沈没船・濱江丸までは波打際から数十m、じゅうぶんに泳いで行ける距離です。
濱江丸の周辺はいわゆる漁礁のような状態になっていて魚が沢山見られます。
シュノーケリングポイントにもなっていますが、船の残骸で怪我をしないように注意が必要です。
経年劣化が激しいので、年々船の全体像を捉えることが困難になってきているようです。
しかし、せっかくここまで来たのなら、ぜひ沈没船との接近戦を味わいましょう。
こんなリアルな体験、なかなかできませんからね!
写真:bow
地図を見る境浦海岸へは小笠原村役場からバイクで10分程度、
海を右手に見ながら走り、トンネルを3つ過ぎれば視界が広がります。
そして「境浦海岸」のバス停が見えますので、
その脇にある急こう配の坂を降りて行けば境浦海岸です。
(余談ですが、バス停のデザインが可愛いんですよね。
頭と尾びれを出しているクジラの親子がいい味を出しています。)
この境浦海岸は親子連れでも遊べるような比較的安心なビーチですが、
売店やシャワー等、海水浴場にあるような施設はありませんのでご注意ください。
父島は陸から離れているから豊かな自然がそのまま残っています。
また、戦争という過去の悲劇の爪痕も残っているのです。
父島へ来たのなら、そんな事を実感できる境浦海岸へ行ってください。
その場で、自分なりに何かを感じ取ってください。
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(2024/3/29更新)
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