写真:木村 岳人
地図を見る山形県と福島県の県境にそびえる西吾妻山を源流とする最上川は、長井盆地の中央部で置賜野川と合流します。その合流地点の南側に広がる長井の町場は、米沢と庄内地方や出羽三山を結ぶ街道沿いにあり、かつ越後へと向かう街道との結節点でもあったことから、古くより交通の要衝として重視されていました。
写真:木村 岳人
地図を見る元来、長井の町場は中世以前より存在した「宮村」と「小出村」という二つの村に起源を持ちます。現在、宮村の政治拠点であった宮村館の跡地には小桜館(旧西置賜郡役所)が建っており、小出村の政治拠点であった白山館には白山神社が鎮座します。
そのうち白山神社には白山館の土塁(土を盛った壁)の一部と樹齢700年のケヤキの巨木が残っており、わずかながらも往時の名残を今に留めています。
写真:木村 岳人
地図を見る全長229キロメートルにも及ぶ最上川の流域のうち、長井の下流にある五百川(いもがわ)峡谷には難所が多く、長らく舟の通行ができませんでした。
しかしながら江戸時代前期の元禄6年(1693年)に米沢藩の御用商人であった西村久左衛門(にしむらきゅうざえもん)が膨大な私財を投じて五百川峡谷の開削に乗り出します。事業は見事成功し、日本海から米沢に近い長井まで舟で直接来られるようになりました。
写真:木村 岳人
地図を見る翌年の元禄7年(1694年)宮村に米沢藩の船着き場が設けられ、また小出村には商人たちによって私営の船着き場が設けられました。最上川舟運の開通により、長井は上方(京都・大坂)との交易拠点として大いに栄えたのです。
米沢藩の特産品である青苧(あおそ、衣服を織る繊維の原料)や米、生糸、漆などが上方へと輸出され、また上方からは反物や金物、塩、干魚などが米沢藩に輸入されました。それらの輸出品を蓄えるべく、宮村には多数の蔵が設けられていました。蔵自体は残っていませんが、青苧蔵の敷地門だけは現在も宮地区内に現存しています。
写真:木村 岳人
地図を見る最上川舟運の交易によって長井は置賜地域西部における物資の集散地となり、流通や往来の中心地として大いに賑わいました。宮村の十日町、小出村のあら町には巨大な商家が建ち並び、長井は在郷町としての役割を持ちつつ商家町としても発展していったのです。
写真:木村 岳人
地図を見る宮地区における代表的な建物は、茅葺屋根が印象的な金物屋「鍋屋本店店舗」や現在も酒蔵を営まれている「長沼合名会社」、かつて呉服商を営んでいた「丸大扇屋」など。
小出地区での代表的な建物は、長井の伝統的な商家の形態を良く留めている「山一醤油店」、江戸時代に米殻商を営んでいた「齋藤家住宅」、数多くの土蔵が建ち並ぶ「旧丸中横仲商店」など。国の有形文化財に登録されている建物も数多く存在します。
写真:木村 岳人
地図を見る長井の町場に見られる最大の特徴は、清涼な音を立てて流れる水路網です。これは氾濫しやすい置賜野川を水路に分散させて水量を抑制すべく江戸時代中期に築かれたもので、長井の町場や周囲の農村に網の目のように張り巡らされています。
写真:木村 岳人
地図を見る中でも小出地区の南西部、長井税務署の裏手には立体交差する水路まであり目を見張ります。複雑に入り組ませつつ、緻密に計画して築かれた水路網であることが分かりますね。
写真:木村 岳人
地図を見る水路は治水のためのみならず、町場の人々の生活用水としても利用されていました。各家では家屋の間を縫うように「入り水」と呼ばれる水路を通し、共用の水路から敷地内へと水を引き込んでいます。
写真:木村 岳人
地図を見るまた敷地内の水路には洗い場として階段状の「かわど」が設けられ、さらには屋敷の中にまで水路を引き込んだ「入れかわど」など、水を活用するための様々な工夫が見られます。
明治時代から大正時代にかけては、この水を利用して醤油や酒などの醸造業も盛んに行われるようになりました。長井の水路網は置賜野川の水量を抑制しつつ、生活も文字通り潤うという、実に一石二鳥なシステムなのです。
このように、長井の宮地区と小出地区には最上川舟運の繁栄によって築かれた商家群や、治水と利水の知恵である水路網が良好に残されていることから、2018年には「最上川上流域における長井の町場景観」として国の重要文化的景観に選定されました。今もなお昔ながらの風情が残る長井の町場を、ぜひとも散策してみてください。
住所:山形県長井市十日町・あら町等
電話番号:0238-88-5279(長井市観光協会)
アクセス:山形鉄道フラワー長井線「長井駅」から徒歩約10分
2019年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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