地中海を臨むアレキサンドリアは、紀元前331年から約300年間エジプトの首都でした。アレキサンダー大王没後、エジプトを治めたのが家臣のプトレマイオス。プトレマイオス朝最後の王がクレオパトラです。
当時の遺跡はあまりたくさん残ってはいません。戦乱によって焼かれたり、地震や地盤沈下によって倒壊し、あるいは海に沈んでしまいました。なかでも失われた重要な建造物のひとつがアレキサンドリア図書館です。
図書館はアレキサンダーの命によりプトレマイオス一世によって建てられました。続く王たちも、単なる書籍の収集にとどまらず、ヘレニズムの学問を集積し、地中海世界に広めること、つまりアレキサンドリアを学問の中心都市にすることに情熱を注ぎます。
目指すところは、4万冊とも7万冊(40万冊とする説も)ともいわれる膨大な蔵書と、学術研究所であり教育施設でもある併設施設ムセイオンとして実現します。ここにはアルキメデスやユークリッドなど、ギリシャ哲学や数学など数々の学者が集い、手厚い庇護を受けたといいます。
その後、王朝内部の権力争いやローマとの戦闘で、図書館は焼失と再建をくりかえし、その威光を失っていきます。また、7世紀のイスラムの侵攻によっても多くの蔵書が散逸し、図書館は消滅してしまいました。
その図書館を復活させようと建造されたのが、「新アレキサンドリア図書館」です。着想は1974年、エジプトとユネスコの共同作業で始まり、日本をはじめ世界の支援の下、完成したのは2001年のことです。
11階建ての巨大な建物の中には4つの博物館やプラネタリウムなどもあり、エジプトの歴史を知る上でも重要な図書館となっています。建築コンペで選ばれたのはノルウェーの設計事務所。世界の知の集積を象徴するように、カーブを描く外壁には世界各地の文字が刻み込まれています。
敷地内には古代彫刻やアレキサンダー大王の頭部像なども設置されており、外観を見るだけでも訪れる価値があります。
<アレキサンドリア図書館の基本情報>
住所:Al Azaritah WA Ash Shatebi, Qism Bab Sharqi,Alexandria
開館時間:日曜日〜木曜日/10時〜19時、金・土曜日/14時〜19時
アレキサンダー大王の遠征は、ギリシャ文明とオリエント文明の融合(ヘレニズム)をもたらしました。ここアレキサンドリアでは、ギリシャ文明はエジプト文明と融合していきます。
大王はギリシャ風を押し付けることをせず、エジプトでは歴代のファラオが信仰していた豊穣の神アメン神の神託を受けたと伝えられています。
異教を全否定する後の一神教の破壊性とは異なり、芸術だけでなく宗教に対しても融和姿勢がとられたことが注目されます。また、異国の宗教祭事も平気で日常に取り入れてしまう国民としても、親近感を覚えます。
ギリシャ・ローマとエジプトの融合が彫刻や壁画でみられるのが、裕福な一家の私的な墓所だった「コム・エル・シュカファのカタコンベ(地下墓地)」です。一家は古代エジプトとギリシャ・ローマの宗教を統合した教えを信仰していました。
入り口付近にはローマ時代の石棺や大理石の柱の一部などが、明るい日差しの下にさらされています。一転して地下内部は暗く、温度も違えば空気も違う、ミステリアスで厳粛な雰囲気がただよっています。
提供元:The Catacombs of Kom el-Shoqafa on Feb. 24, 2016 – CC via Wikimedia Commons/Asiatologist
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%CE%9A%CE%…地図を見る祭室の柱も頭柱の装飾はどこかギリシャ風ですが、その横の壁面には上下エジプトの王冠を戴く蛇が浮き彫りされ、祭室の奥のレリーフでは、ギリシャ・ローマの神々が葬儀の儀式を行っています。
別の壁面にはエジプトのファラオの墓に見られるような、顔は横顔で体は正面を向いた女性神が描かれています。印象的なのは、その腕に羽が生えていること。キリスト教の天使を思わせます。
興味深い立像も置かれています。まっすぐ正面を向き、直立不動の姿で立つ像が、右足を前に一歩出しているのです。エジプトの歴代ファラオの立像に倣ったものでしょう。
三世紀以降は迫害を受けたキリスト教の共同墓地として拡張され、300体以上のミイラが埋葬されていたといいます。
コム・エル・シュカファのカタコンベは紹介写真や詳細な解説が少ないのですが、コスモポリタンな地中海都市アレキサンドリアのヘレニズムを目のあたりにできる、見ごたえのある貴重な歴史遺跡です。
<カタコンベの基本情報>
住所:12 Karmouz, Alexandria
開館時間:8時〜16時
ローマ帝国はどの植民都市にもローマ式の建造物を築きました。アレキサンドリアでも2世紀の円形劇場と浴場跡が発掘されています。
劇場部分では階段状の観客席が半円形に残っています。収容人数は約600人と、あまり規模は大きくありません。
遺跡内には海中から引き揚げられた石柱や石棺、頭部の失われたスフィンクス像などが、年代もばらばらに無造作に転がっています。これらはいつの日にか整理され、修復され、再建されるのを、番号をふられた状態で待っているのです。
<ローマ円形劇場の基本情報>
住所:Ismail Mahana Road,Kom Ad Dakah Gharb, Ataren, Alexandria
開館時間:8時〜17時
同じような混在は「ポンペイの柱」が立つ丘にも見られます。高さ27メートル、重さ300トンという堂々たる石柱は赤みを帯びた花崗岩。アスワンから運ばれたものです。
3世紀にディオクレティアヌス帝に捧げられたものといわれていますが、何故シーザーと戦ったポンペイウスの名前で呼ばれているのか、諸説はあるものの、はっきりしたことはわかっていません。
この柱を守る狛犬のように二体のスフィンクスが並べられていますが、これも何故、ローマの柱を守るのがスフィンクスなのか? 謎です。
この丘には古代エジプトのセラピス神殿があったのですが、隣接するアレキサンドリア図書館の分館もろとも、キリスト教徒によって破壊されてしまいました。往時をしのぶ「セラぺウム遺跡」では、石壁にくりぬかれた、パピルスの蔵書が保管されていたという棚を見ることができます。
<ポンペイの柱の基本情報>
住所:Al Karah WA at Toubageyah WA Kafr Al Ghates, Karmouz, Alexandria
開館時間:9時〜16時
港湾都市アレキサンドリアの象徴として紀元前2世紀に建てられた灯台は、高さ120メートル、56キロメートル先からも見えたといいます。この灯台もまた、14世紀の地震で倒壊してしまいました。
15世紀のスルタンカーイト・ベイは、残された石材を利用して跡地に要塞を築きます。青い空と深い緑の地中海を背景にそびえる要塞は、地元の人にも人気のスポットとなっています。
海岸通りにはシーフードレストランが軒を連ねています。席は地中海を望む窓側に取りましょう。地元の人が釣りを楽しむ海の向こうにはローマがあり、ギリシャがあり、フェニキア(レバノン・シリア)があります。古代、地中海はこれらの地域を結ぶ優れた道だったのです。
<カーイト・ベイの要塞の基本情報>
住所:As Sayalah Sharq,Alexandria
開館時間:8時〜17時
近年水中考古学が注目される中、最も驚きと期待をもたらしたのが、1996年にアレクサンドリア港内の海底で発見された「クレオパトラの宮殿」でしょう。アレキサンドリアでは他にも、カーイト・ベイ付近の海底から、伝説にすぎないとも思われていた”世界の七不思議”のひとつ、「ファロス灯台」の一部も発見されています。
これらは地上に露出していたものと違って風化をまぬがれており、略奪や破壊とも無縁なまま、静かに眠っていました。ギリシャ・ローマとエジプト文明の交差と融合の歴史も、これから更に明らかにされていくに違いありません。
伝説にロマンをかきたてられ、それがリアルな歴史として体感できるアレキサンドリア。効率よく安全に観光するには、カイロ発の日本語ツアーがおすすめです。車で片道三時間ほどかかりますが、日帰り観光が可能です。
2019年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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