京都府・宮津市は明智光秀の娘「細川ガラシャ」ゆかりの地

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京都府・宮津市は明智光秀の娘「細川ガラシャ」ゆかりの地

京都府・宮津市は明智光秀の娘「細川ガラシャ」ゆかりの地

更新日:2019/09/11 17:01

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者

京都府宮津市は、2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀の娘「細川ガラシャ」ゆかりの地です。宮津は、織田信長の命により、細川藤孝・忠興父子が築いた城下町で、明智光秀の娘の玉(のちのガラシャ)は、忠興の妻として細川家に入嫁。細川父子の丹後入国にともない宮津に入り、本能寺の変までの約2年間をこの地で幸せに暮らしました。宮津市で天橋立とともに、細川ガラシャゆかりの地を巡ってみませんか?

明智光秀の娘であるが故に数奇な運命をたどった細川ガラシャ

明智光秀の娘であるが故に数奇な運命をたどった細川ガラシャ

写真:モノホシ ダン

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宮津市内の細川ガラシャゆかりの地めぐりでは、最初に道の駅「海の京都 宮津」内にある観光交流センターに行ってみましょう。北前船の蔵をイメージした観光案内所では、観光パンフレットの入手や、親切な観光案内を受けることもできます。

レンタサイクルの貸し出しでは、天橋立ビューランドの入園券付きのお得なセットプランもあります。マイカーの方は、無料駐車場に車を停めて散策するものおすすめです。

<道の駅「海の京都 宮津」の基本情報>
住所:京都府宮津市字浜町3007
電話番号:0772-25-1382
定休日:なし(年中無休)
営業時間:9:00〜18:00
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」より徒歩約10分
車利用の場合は京都縦貫自動車道 宮津天橋立ICから約5分

明智光秀の娘であるが故に数奇な運命をたどった細川ガラシャ

写真:モノホシ ダン

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明智光秀の娘である細川ガラシャ(玉)は、1563年(永禄6年)、光秀の三女として、越前国で誕生。1578年(天正6年)、16歳の時に長岡勝龍寺城主だった細川藤孝の長子忠興に嫁ぎました。夫婦仲はよく、三男三女に恵まれています。

宮津にやってきたのは、1580年(天正8年)、織田信長の命により、細川藤孝・忠興父子が丹後を治める任を受けてからです。運命が暗転したのは、2年後の1582年(天正10年)6月2日、光秀が本能寺の変を起こしてからです。

謀反人の娘となった玉は、忠興に離縁され、丹後の山中の味土野(みどの)に幽閉されます。キリスト教への興味が深まったのはこの頃といわれています。約3年後、秀吉のとりなしで味土野から幽閉を解かれ、宮津に戻り、のちに忠興と復縁して大坂玉造にあった細川屋敷に移住します。写真は、大手川ふれあい広場で、居城、宮津城に向かって祈りを捧げている細川ガラシャの像。

<大手川ふれあい広場の基本情報>
住所:京都府宮津市字柳縄手
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」より徒歩約7分

明智光秀の娘であるが故に数奇な運命をたどった細川ガラシャ

写真:モノホシ ダン

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玉が、カトリックの洗礼を受けたのは、大坂に移ってからで、セスペデス神父により、ドンナ・ガラシャ(恩寵・神の恵みの意)の霊名を授かりました。しかし、大坂へ移った後も、丹後国守の妻として、丹後にカトリックの布教を計画しており、宮津に深い愛着があったことが伺えます。

ガラシャは、1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦に先立ち、敵将石田三成の人質になるのを拒み、玉造の屋敷に自ら火を放ち、38歳の生涯を終えます。

ガラシャの没後、約300年後の1896年(明治29年)に宮津にカトリック宮津教会が建立されました。教会は、木造畳敷きという全国的にも珍しい和洋折衷建築で、現在もミサが行なわれている教会としては日本最古のものです。

<カトリック宮津教会の基本情報>
住所:宮津市字宮本500
見学:現在修復工事中のため、外観のみの見学
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」から徒歩約8分

明智光秀の首塚がある「盛林寺」

明智光秀の首塚がある「盛林寺」

写真:モノホシ ダン

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宮津天橋立ICの近くにある盛林寺は、「明智光秀の首塚」がある寺として知られています。山崎の合戦で敗れた光秀の首は、秀吉の命により本能寺に晒されたのちに、娘の玉のもとへ届けられました。

明智光秀の首塚がある「盛林寺」

写真:モノホシ ダン

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玉によって建てられたと伝わる明智光秀供養の宝篋印塔は、盛林寺の裏山の墓地にあります。光秀の首塚については、ほかにもあり、光秀の存在と死の意義の大きさが分かります。

<盛林寺の基本情報>
住所:京都府宮津市字喜多969
電話番号: 0772-22-4481
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」から徒歩約50分

父・光秀との別れの地となった天橋立

父・光秀との別れの地となった天橋立

写真:モノホシ ダン

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旧宮津城は、1871年(明治4年)の廃藩置県により、城郭そのものは完全に姿を消しました。一色稲荷神社は、旧宮津城内に祀られ、最後の丹波国の城主・一色義清を鎮魂する神社です。

一色氏は、室町幕府の「四職」の名家で、戦国時代には丹後の大名として続きましたが、安土桃山時代に至り、細川藤孝・忠興らの侵攻により滅亡しました。

その最後は謀殺ともいわれ、一色氏の怨霊に対するおそれが、城郭内に鎮魂の社を存続させたものと考えられています。

<一色稲荷神社の基本情報>
住所:京都府宮津市字敦賀2075
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」より徒歩約5分

父・光秀との別れの地となった天橋立

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宮津の地名の発祥の地といわれているのが、和貴宮神社(わきのみやじんじゃ)です。宮津城下東部の産土神で、江戸時代には町人の社として栄え、社の玉垣には北前船の往来などにより、西日本一帯から参詣した豪商たちの名前も残されています。境内の大岩は、波越岩(水越岩)と呼ばれ、かつて社まで海岸線に面していました。

<和貴宮神社の基本情報>
住所:京都府宮津市字宮本431
電話番号: 0772-22-2773
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」より徒歩約8分

父・光秀との別れの地となった天橋立

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日本三景のひとつ天橋立は、1581年(天正9年)、細川幽斎(藤孝)・忠興父子が、「細川三斎(忠興)の初茶会」を開催した際に、明智光秀やその娘の玉、茶人の津田宗及、連歌師の里村紹巴ら、豪華メンバーを招待し見学した場所としても知られています。そして、この時が玉にとって父・光秀との最後の別れになったのです。

<天橋立ビューランドの基本情報>
住所:京都府宮津市文殊437
電話番号:0772-22-1000
営業時間:9:00〜17:00(期間によって営業時間が異なる)
入園料及びリフト・モノレール利用料金:大人850円 小人450円
アクセス:京都丹後鉄道「天橋立駅」からリフト・モノレール乗り場まで徒歩約5分
車利用の場合は、京都縦貫自動車道 宮津・天橋立ICより約10分 有料駐車場利用

宮津市内の欧風料理「精養軒」は昔ながらの洋食屋さん

宮津市内の欧風料理「精養軒」は昔ながらの洋食屋さん

写真:モノホシ ダン

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宮津市内でおすすめの昼食場所が、欧風料理「精養軒」。海鮮料理店が多い中で、路地裏にひっそりとたたずむ、昔ながらの洋食屋さんです。

宮津市内の欧風料理「精養軒」は昔ながらの洋食屋さん

写真:モノホシ ダン

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精養軒は創業大正年間、創業80年以上の老舗欧風レストランで、店内は、懐かしさと気品ある雰囲気がとても素敵です。

宮津市内の欧風料理「精養軒」は昔ながらの洋食屋さん

写真:モノホシ ダン

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メニューは創業時代から変わらないものが多く、ワンプレートに盛られたボリューム満点のランチがいただけます。写真は、Bランチ(1400円)で、有頭エビフライ、ハンバーグ、ハヤシビーフなどがついてお腹一杯になります。

ほかに、オムライスハッピーセット、オマールロブスター、タンシチューなども人気。また「御客様ノート」に記入すると、ドリンクが無料になる嬉しいサービスも。

<宮津精養軒の基本情報>
住所:京都府宮津市字島崎2021-1
電話番号:0772-22-2426
定休日:木曜日(祝・祭日は営業の場合あり)
営業時間:11:00〜14:00(入店)、16:00〜19:00(入店)
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」より徒歩約10分

カフェタイムにおすすめ「HAMAKAZE Cafe」

カフェタイムにおすすめ「HAMAKAZE Cafe」

写真:モノホシ ダン

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カフェタイムには、道の駅「海の京都 宮津」おさかなキッチンみやづ内にある「HAMAKAZE Cafe」がおすすめ。木材をふんだんに使った落ち着いた雰囲気の店内で、食事や飲み物を気軽に楽しむことができます。

カフェタイムにおすすめ「HAMAKAZE Cafe」

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おすすめのスイーツでは、橋立ロールがイチ押し。ほかに天橋立チーズケーキなども美味しい。

<HAMAKAZE Cafeの基本情報>
住所:京都府宮津市字浜町3007
電話番号:0772-25-1080
営業時間:10:00〜23:00(LO22:30) ※火水曜のみ10:00〜17:00
定休日:水曜日(その他、貸切営業や施設整備などで休業する場合あり)
アクセス:京都丹後鉄道「宮津駅」より徒歩約10分

明智光秀の娘・ガラシャの劇的な生涯は遠くヨーロッパでも

いかがでしたか。戦国武将の妻として、また光秀の娘であるが故に辿った数奇な運命。そしてカトリック教義への信仰と傾倒を守り抜いた細川ガラシャの生涯は、多くの人々に感銘を与え、当時、布教のために日本を訪れていた宣教師たちによって、遠くヨーロッパでも広く紹介されました。

例に挙げると、1698年(元禄11年)、ウィーンの劇場でガラシャを主人公とした「TANGO(丹後)の奥方」というオペラが上演されるなど、当時のヨーロッパでもっとも知られた日本人のひとりとなり、今でも多くの人たちにその感動を伝えています。

宮津を訪れたら、天橋立の絶景ととともに、宮津を愛した細川ガラシャの波乱万丈の生涯にも思いをはせてみてはいかがでしょうか。

2019年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/01−2019/09/06 訪問

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