家族の物語がここにある!ウラジオストク「スハノフの家博物館」

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家族の物語がここにある!ウラジオストク「スハノフの家博物館」

家族の物語がここにある!ウラジオストク「スハノフの家博物館」

更新日:2019/09/18 10:39

大山 平助のプロフィール写真 大山 平助
成田から飛行機で2時間半で行けるヨーロッパとして人気の高まっているロシアのウラジオストク。中心部は近代的な建物が多く、古くから残っている建物はそれほどありません。

「スハノフの家博物館」は19世紀の木造邸宅を博物館として公開している貴重なスポット。館内は当時使用されていた家具や調度品などで溢れ、まるで時代に取り残されたような空間が!ここではこの家に暮らしたスハノフとその一家の物語とともにご紹介。
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スハノフとはどんな人物だった?

スハノフとはどんな人物だった?

写真:大山 平助

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ロシア帝国時代、19世紀にウラジオストクへと派遣された文官「アレクサンドル・バシリエヴィチ・スハノフ(写真左側)」。彼自身はシベリア生まれで、アムール州の州都「ブラゴヴェシチェンスク」で教育を受け、優秀な人物であったため、1895年に沿海地方政府の上級顧問に就任し、ウラジオストクに転勤となりました。

家族は妻アンナ(写真右側)と7人の子供がいました。赴任した頃にこの一軒家を購入しています。今のウラジオストクには木造建築はほぼありませんが、当時はまだ人口2万人の小さな港町でこのような木造の家ばかりだったそうです。

スハノフとはどんな人物だった?

写真:大山 平助

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こちらはスハノフの執務室ですが、壁にはロシア皇帝ニコライ2世の肖像画が飾られています。当時のロシアはシベリア一帯に領土を広げている時代。スハノフは皇太子時代のニコライ2世とウラジオストク港から日本へと旅行した際に会ったという記録が残されています。肖像画は金の時計台と合わせてニコライ2世本人から与えられたもの。

壁には勤続35周年を記念した写真も飾られています。スハノフは最終的には文官から地方議員にまで出世をしました。そのキャリアは堂々たるものですね。

一家の共有スペースはアンティーク家具でいっぱい

一家の共有スペースはアンティーク家具でいっぱい

写真:大山 平助

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さてスハノフ一家が当時どんな暮らしをしていたか、リビングルームを見てみましょう。まず、壁にかけられた家系図を見ると、彼らの子孫はモスクワだけでなく、中央アジアの国々やアメリカに住んでいたりします。中には有名な天文学者になった人もいますよ。

古風な蓄音機やアンティーク時計は雰囲気バツグンですが、注目はピアノ。スハノフは顔の広い人物だったようで、家には生物学者から実業家まで相当なVIPが訪れることが多かったそうです。そこでお客様のために娘たちがピアノを弾いていました。こちらのピアノは130年以上利用され続け、今でも現役で弾くことができるんですよ。

一家の共有スペースはアンティーク家具でいっぱい

写真:大山 平助

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ダイニングルームには食器やパイのサンプルなどが置かれていて、当時はどんなものを食べていたかが分かるようになっています。サモワール(給茶器)は1882年製造と極東のロシアにいながら、スハノフ一家はヨーロッパ並みの最先端の暮らしをしていました。

お茶の時間にはパイ、ピロシキ、チョコレート菓子などを食べていたようです。実は20世紀初頭のウラジオストクは小さな港街だったにもかかわらず、パン屋とお菓子屋が多く、その数はなんと合計で73軒!そして、デパートまであったので、美味しいスイーツに関しては困らなかったでしょうね。

女の子の部屋は可愛らしい装飾でいっぱい

女の子の部屋は可愛らしい装飾でいっぱい

写真:大山 平助

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2階に上がると2つの大きな部屋があり、裏側が4人の姉妹が住んだ部屋になっています。部屋には人形や鏡台などが置かれていますが、制服はウラジオストク中心部の女子校のもので4姉妹はそこに通学していました。女の子の部屋らしく、可愛らしい装飾で溢れています。

長女のアンナと次女のオリガはピアノの演奏に熱心だったそうで、自分の部屋にもピアノが置かれており、ここでいつも練習をしていたのでしょう。スハノフの教育方針は「女性の任務は家庭と子育て」といったものであったため、アンナとオリガは家庭に入りましたが、三女のクセニアは首都サンクトペテロブルグで勉強をし、タイプライターとして活躍。四女のナターシャはウラジオストクにある学校の先生になり、同じ家に生まれた姉妹なのに全く違う人生をそれぞれ歩んでいきました。

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趣味でいっぱいの男の子の部屋

趣味でいっぱいの男の子の部屋

写真:大山 平助

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女の子の部屋の逆側が男の子の部屋で、チェスが置かれていたり、本棚があったりと子どもたちは趣味に没頭していたであろう内装。長男のグレゴリは農業に深い関心があり、技術者として生涯研究を続け、沿海地方の農業の発展に貢献しました。次男のパウェルは楽器の演奏や歌が得意で、チェスの腕前は大会で優勝するほどだったとか。ただ彼自身は事業家の娘と結婚したもののすぐに離婚し、ロシア北方で亡くなったそうです。

末っ子のコンスタンティンは学生時代から政治に関心が高く、違法な政治活動をつづけたため、警察に逮捕されてしまいました。スハノフもその影響で職場を離れざる得なかったようです。

その後、ボリシェヴィキを率いて彼の政治活動はさらに過激になっていき、ロシア革命のなか、とうとう逮捕されてしまいます。不幸にも彼は1918年に収容所から刑務所への移動中に死亡。24歳という若き情熱が招いた死は家族に深い悲しみを与えました。しかし、故郷であるウラジオストクでは「コンスタンティン・スハノフ」の名前を冠した通りや公園が作られ、彼の存在は今でも街に生き続けています。

建物とともに残るウラジオストクに住んだ家族の物語

建物とともに残るウラジオストクに住んだ家族の物語

写真:大山 平助

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スハノフは1921年に亡くなるまでこの家で暮らしました。その後、1922年にウラジオストク市の所有物となり、1970年までに8家族がここに暮らしたそうです。1970年に取り壊される予定でしたが、市民の反対活動により博物館として再建されました。

この家には家族でお菓子を食べたり、ゲストを招いて演奏会を開催したりと楽しい生活があった一方、親より早い子供の死という悲しい結末を迎えた歴史もあります。ウラジオストクを訪れたら現在の街を歩くだけでは見えてこない、古き良き暮らしと彼らの物語を覗いてみてはいかがでしょうか?

スハノフの家博物館の基本情報

住所:Ulitsa Sukhanova 9
電話番号:+7-423-243-28-54
アクセス:中心部から徒歩で15分程度。16ts番バスや68番バスも近くを通ります。

2019年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2019/08/25 訪問

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