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写真:スズキ ミズエ
地図を見るジンバラには多くの“クローズ(close)”と呼ばれる小道を目にすることがあります。建物の中を通り抜けるこの小道は場所によっては人が一人通れるほどの幅の広さ。抜け道となるので昔からとても重宝していました。そんな数あるクローズの一つに「メアリー・キングス・クローズ(Mary King’s Close)」があります。
同じ場所が博物館として公開されていて、当時の状況をリアルに再現しています。今でも一部が残り、石灰に馬の毛を交ぜて強度を高めた天井を見ることができます。
写真:スズキ ミズエ
地図を見る昔は王や上流階級は高台に住み、貧しい市民たちは丘の下に住んでいました。下町にはクローズを中心に、建物が密集していました。17世紀には2万人を超える市民が、常に薄暗くじめっとした場所でプライバシーもなく暮らしていました。そして強い悪臭と不衛生。
当時は、上流階級も市民も生ゴミや排泄物など、全てのゴミを窓から通りに捨てていました。上で上流階級の人たちが捨てた汚物は、市民たちが暮らす下へと流れていきます。人口過密の町に不衛生な環境が追い打ちをかけ、町からペストが発生し、瞬く間に広がっていきました。
博物館には鳥のようなマスクを被った、当時の医者が再現されています。ミントなどのハーブは万能薬とされ、そのクチバシ部分には大量のハーブが詰められ、予防と悪臭を防ぐのに効果があると信じられていました。
またペストにかかって、家族から捨てられて、亡くなった少女アニーの霊を慰める場所には世界中から彼女に捧げるぬいぐるみが数多く積まれています。
写真:スズキ ミズエ
地図を見るそしてペストに汚染された下町をエジンバラ市は町ごと埋め立てることを決定。1811年にはこのメアリー・キングス・クローズの上には新しい市庁舎が建てられました。市民たちの抵抗も虚しく、1897年に最後の一人が強制退去させられ、完全に町は葬られることになりました。
その後、地下に町があったという話は都市伝説となっていきました。しかし1980年代に考古学者による発掘で明らかになりました。狭くて薄暗い環境での生活を見てみたい方は是非足を運んでみてください。
写真は現在の市役所。この下にメアリー・キングス・クローズの町がありました。
<リアル・メアリー・キングス・クローズの基本情報>
住所:2, Warriston’s Close, High St, Edinburgh EH1 1PG
電話番号:+44-131-225-0672
営業時間:9:00〜21:45
入場料:大人16.5ポンド、子供9.95ポンド
館内は写真撮影禁止
写真:スズキ ミズエ
地図を見る次にご紹介する場所は世界的にも有名な心霊スポット「グレイフライアーズ・カークヤード」です。1562年にスコットランド女王メアリーの寄贈によって作られました。
この墓地にはジョージ・マッケンジーのお墓と霊廟があり、彼の霊によってポルターガイスト現象が起こる!と多くの人が訪れる墓地になりました。
写真:スズキ ミズエ
地図を見るこのジョージ・マッケンジーとはスコットランドの弁護士であり、議員でもありました。彼はカトリックである国王ジェームズ2世に反乱を起こしたプロテスタントの長老派たちをグレイフライアーズ墓地に隣接する刑務所に投獄しました。その数1000人以上。
刑務所といってもさら地、飢餓状態で放置し、殴る蹴るなどの暴行が行われ、結果、多くがマッケンジーの拷問によって命を落としました。その後、彼は囚人たちの首を切断し、鉄柵に一つづつ刺して飾っていました。その残虐性から彼は“血まみれマッケンジー”というあだ名がつくようになりました。
写真:スズキ ミズエ
地図を見る1691年にロンドンで亡くなったマッケンジーの遺体は再びエジンバラに戻り、このグレイフライアーズ墓地に埋葬されることになりました。しかし1999年の冬に寝ぐらを探していたホームレスがマッケンジーの霊廟を開けてしまい、それ以降、訪れた人に様々な怪奇現象が起こるようになりました。
それにもかかわらず2004年には少年二人組が再び彼の霊廟を開け、さらに墓石まで開けて頭蓋骨をサッカーボールのようにして芝生で遊んだという罰当たりな事件まで起こりました。
今ではしっかり施錠されています。しかし霊廟と並びにある当時の刑務所跡地を今でもマッケンジーの霊が夜な夜な彷徨っていると言われています。確かめたい方はぜひ、夜のツアーに参加してみてはいかがでしょう?
<グレイフライアーズ・カークヤードの基本情報>
住所:26A Candlemaker Row, Edinburgh EH1 2QE
電話番号:+44-131-225-1900
写真:スズキ ミズエ
地図を見るキャノンゲートはロイヤル・マイル通りの先にあり、ここは1856年にエジンバラに併合されるまでは一つの準自治都市でした。そして都市の中心は墓地周辺に集中していました。この墓地を少し行ったところにスコットランド議会会館がありますが、以前ここはクィーンズベリー・ハウス侯爵のお屋敷があった場所でした。
次は彼の長男ドラムランリング伯爵にまつわるお話です。彼は幼い頃から窓に板が貼られ、常に暗く、さらに鍵が掛かった部屋で軟禁されていました。1707年、彼が10歳の時、連合王国が建国され街は祝賀と暴動で大混乱でした。そんな最中、彼は脱走し、空腹で台所に向かいます。そしてそこにいた召使いを生きたままオーブンの中に入れて、丸焼きにしたのです。彼が発見された時には既に体の一部を食べきっていました。
クィーンズベリー・ハウスは既に取り壊されていますが、その一部がまだ現存し、彼が当時使ったオーブンも未だに議会会館に残されています。写真はキャノンゲートの元裁判所兼刑務所です。
写真:スズキ ミズエ
地図を見る「キャノンゲート・カークヤード」は貴族や上流階級の人たちが眠る墓地で、国富論で有名な経済学者アダム・スミスもこの墓地に埋葬されています。エジンバラの墓地には所々鉄格子に囲まれたお墓を見かけます。それは19世紀に横行した死体泥棒対策のためです。
19世紀医学の進歩により、解剖学も発展していきました。徐々に解剖に必要な死体が足りなくなると、高値で売買されることから墓荒らしが横行するようになりました。そしてついに殺人事件まで起こる事態となったのです。1827年の“バークとヘア連続殺人事件”です。
彼らは殺人を犯してまで死体を売っていました。その数16人。その後、彼らは捕まり、バークは大衆の面前で絞首刑となりました。遺体は大学で解剖されましたが、その際、医者は彼の頭にペンを刺して彼の血をインク代わりにしたり、皮膚を剥がして手帳を作るなど、当時の医者もかなり酷いことを行っていたことに驚きですね。
<キャノンゲート・カークヤードの基本情報>
住所:153 Canongate, Edinburgh EH8 8BN
電話番号:+44-131-556-3515
写真:スズキ ミズエ
地図を見るいかがでしたか?綺麗な建物の裏にある影の部分。行ってみたくなりませんか?エジンバラにはまだまだちょっとダークな場所がいっぱいあります。もっと詳しく知りたい方は、現地のツアーに参加してみてはいかが?夜にお墓を巡るツアーはちょっと他では味わえない体験かもしれません!
ロンドンのキングス・クロス駅から約5時間、エジンバラ・ウェバリー駅に到着。双方の駅は街の中心部にあるのでアクセスはとても便利です。ご紹介した場所は全て徒歩圏内で回ることができます。
2019年9月現在の情報です。最新の情報などは公式サイトなどでご確認ください。
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(2022/8/13更新)
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