本能寺で散った美少年!森乱丸の故郷・岐阜県可児市兼山を巡る

本能寺で散った美少年!森乱丸の故郷・岐阜県可児市兼山を巡る

更新日:2019/10/14 18:07

旅人間のプロフィール写真 旅人間 はらぺこライター、旅ブロガー
織田信長の小姓として仕え、本能寺で信長と共に命を落とした森乱丸の生誕の地、岐阜県可児市兼山。ここでは乱丸の産湯井戸が残る美濃金山城跡、菩提寺の可成寺、乱丸のお墓など、その面影を今に残しています。もし乱丸が現代にいたら食べていただろう的な蘭丸亭の「野戦なべ」もユニークで美味しい。本能寺で信長と乱丸を急襲した明智光秀生誕の地もすぐ近く!戦国の山城を巡るなら岐阜県可児市は絶対に外せません。

織田信長の小姓として仕えた美少年!森乱丸生誕の地

織田信長の小姓として仕えた美少年!森乱丸生誕の地

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森乱丸と言えば、織田信長の小姓として仕えた美少年。文武両道に秀で、機転が利き、細やかな気遣いも出来る人物。ドラマ、アニメなどでは必ずと言って良いほどカッコイイ!

そんな森乱丸が誕生したのは岐阜県可児市兼山です。木曽川沿いの県道381号には「森乱丸の像」があり、その先が乱丸の故郷の城下町。信長の小姓と言う印象ばかり先行しますが、実は本能寺の変が起きた時、森乱丸は現在の美濃金山城跡の城主だったのです。

(※可児市では、今後「森蘭丸」ではなく「森乱丸」と表記されることになりました)

織田信長の小姓として仕えた美少年!森乱丸生誕の地

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この城下町には森乱丸にまつわる昔話が残っています。それは…、夜な夜な木曽川に河童が出ると噂。役人が調べると河童の正体は少年の乱丸でした。

幼い頃に父(森可成)を亡くした乱丸は、父が戦から戻ると木曽川で泳ぎを教えてもらった記憶から、父恋しさに城を抜け出しコッソリ一人で泳いでいたと言う。それを人々は河童と間違えたと言うが、胸に切なくジーンと響く逸話ですね。

乱丸が幼少時代に過ごした城下町、歩いていると何だかホッと安らぎます。

森乱丸のお城!美濃金山城跡に登ろう

森乱丸のお城!美濃金山城跡に登ろう

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美濃金山城跡は、十文字槍の名手として「攻めの三左」と呼ばれた森可成が織田信長から与えられ、その名を金山城(現:美濃金山城跡)と名付けました。

可成が宇佐山城の戦いで討死すると、息子の森長可が13歳と言う若さで家督を継ぎ城主になります。数々の功績をあげ「鬼武蔵」と呼ばれた長可は武田家滅亡後に海津城へ移ります。

その後、金山城主に抜擢されたのが18歳の森乱丸でした。しかし、その数ヶ月後に本能寺の変が起き、乱丸は信長と共に命を落としてしまうのです。

森乱丸のお城!美濃金山城跡に登ろう

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この美濃金山城跡の見所は、信長・秀吉時代の城郭の特徴を色濃く残す石垣でしょう。

自然の石が積む野面積、角は強度を増すために長方形の石を交互に積む算木積、二の丸では石垣が再利用できないように人の手によって壊された破城の痕跡、これらが創建当時そのままに残こり、文化財的評価が高く、国の史跡にも指定されています。

森乱丸のお城!美濃金山城跡に登ろう

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美濃金山城跡の中腹には「蘭丸ふる里の森」が広がっています。山頂の城には井戸が無く、ここから汲み上げて森乱丸の産湯に使ったと言う「乱丸産湯の井戸」も見逃せません。乱丸が誕生したのは1565年。中を覗くと古井戸が見え、歴史ロマンを感じますね。

森乱丸が眠る場所!森家の菩提寺 可成寺へ

森乱丸が眠る場所!森家の菩提寺 可成寺へ

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森乱丸ゆかりの地を巡る際、絶対に立ち寄っておきたいのが森家の菩提寺として知られている可成寺(かじょうじ)です。

本堂の奥に見える急傾斜地崩壊対策の擁壁工の裏側まで進むと、乱丸の父である森可成、鬼武蔵と言われた兄の森長可、そして森乱丸、坊丸、力丸3兄弟のお墓があります。

森乱丸が眠る場所!森家の菩提寺 可成寺へ

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お墓の前には「森家廟所案内」の看板があり、「森乱丸 本能寺にて討死 18歳、坊丸17歳、力丸16歳」と書かれた文字が目に入ります。若い…。この事実と向き合うと、言葉を失ってしまいますね。ここは静かに手を合せましょう。

甲冑の着付け体験も出来る!可児市観光交流館

甲冑の着付け体験も出来る!可児市観光交流館

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森乱丸のゆかりの地を巡る時、情報源となるのが観光案内所の「可児市観光交流館」です。館内は戦国時代の本陣をイメージした内装で、 陣幕や甲冑、槍や弓などが展示されています。雰囲気も抜群。

また、甲冑の着付け体験、また甲冑を着て美濃金山城跡まで行ける「イクササイズ」の体験も出来ます。※要予約

<可児市観光交流館の基本情報>
住所:岐阜県可児市兼山674-1
電話番号:0574-59-2288
開館時間:8:30〜22:00(甲冑体験は17:00まで)
休館日:年末年始(12月28日から1月4日)のみ

甲冑の着付け体験も出来る!可児市観光交流館

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可児市観光交流館の隣には「戦国山城ミュージアム」があります。ここでは織田信長に仕えた戦国時代の武将・森家ゆかりの資料などを展示されています。

<戦国山城ミュージアムの基本情報>
住所:岐阜県可児市兼山675-1
電話番号:0574-50-8443
開館時間:9:00〜16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日、祝日の翌日、および年末年始
(月曜日が祝日の場合は開館)

森乱丸ゆかりのグルメ!?「蘭丸亭なかえ」の野戦なべ

森乱丸ゆかりのグルメ!?「蘭丸亭なかえ」の野戦なべ

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美濃金山城跡の登山口から車で2〜3分の場所に城をイメージした「蘭丸亭なかえ」は、座敷から木曽川が流れが見え、散策疲れも癒される景観の良いレストラン。

この店では、もし森乱丸が今の時代に生きていたら、こんな料理を食べていただろう!そんなユニークな視点の名物「野戦なべ」が食べられます。

森乱丸ゆかりのグルメ!?「蘭丸亭なかえ」の野戦なべ

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この「野戦なべ」は、醤油やニンニク、胡麻をベースに戦国をイメージしたオリジナルのタレを加えた和風焼肉。アツアツの鉄鍋で届いたら、箸でかき混ぜるとジューって音が食欲を加速させます。しっかりとした味付けが実に美味しい。定食はご飯に味噌汁、そして小鉢も付いてボリューム満点。

<蘭丸亭なかえの基本情報>
住所:岐阜県可児市兼山1203-2
電話番号:0574-59-2543
営業時間:11:00〜14:00、17:00〜20:00
定休日:毎週水曜日(第3水・木連休)

森乱丸ゆかりの地についての補足

美濃金山城跡は、本能寺で明智光秀に急襲され信長と共に命を落とした森乱丸のお城。ここから車で約10分の場所に光秀の生誕地と伝わる明智城跡があります。

明智光秀に関しては諸説様々ですが、森乱丸と深く関わりのある人物。一緒にゆかりの地を巡ってみては如何でしょうか。

2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

取材協力:岐阜県

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/09/19 訪問

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