北海道・木古内町“サラキ岬”に眠る「咸臨丸」の栄光と悲劇

北海道・木古内町“サラキ岬”に眠る「咸臨丸」の栄光と悲劇

更新日:2019/10/03 13:14

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
「咸臨丸」は、幕末の1857年(安政4年)にオランダで建造され、1860年(安政7年)日本の船として初めて太平洋横断の快挙を成し遂げた軍艦です。しかし、過去の栄光とは裏腹に、その晩年は旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争の渦中に巻き込まれ、数奇な運命をたどります。時代の波に翻弄され、故郷を遠く離れた北の海に消えていった咸臨丸。その最期の地を巡りながら、その栄光と悲劇に思いを馳せてみませんか。

日本初の太平洋横断に成功した軍艦「咸臨丸」の栄光

日本初の太平洋横断に成功した軍艦「咸臨丸」の栄光

写真:モノホシ ダン

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「咸臨丸」は、オランダのキンデルダイクで建造された日本初の軍艦で、99日間かけて日本に回航され、幕府海軍創世期の主力艦として配備されました。

3本マストの木造蒸気帆船ですが、洋式のスクリューを装備する船としては初の軍艦で、100馬力の蒸気機関で6ノット(時速約10km)の速度を出すことができました。排水量は約600t、全長は約49m、全幅は約8m、兵装は砲12門です。

咸臨丸最期の地となった北海道上磯郡木古内町のサラキ岬には、「咸臨丸とサラキ岬に夢みる会」によって、咸臨丸のモニュメントが製作されています。ちなみに、咸臨丸とサラキ岬に夢みる会は、国土交通省「手づくり郷土賞」受賞しています。

日本初の太平洋横断に成功した軍艦「咸臨丸」の栄光

写真:モノホシ ダン

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幕府大老井伊直弼による開国の嵐が吹きすさぶ中、咸臨丸は1860年(安政7年)、木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せてサンフランシコに向けて浦賀を出航しました。

これは、日米修好通商条約の批准書の交換目的で渡米する幕府正使一行が乗艦するアメリカ軍艦ポーハタン号の随伴艦としてです。往路は38日間、復路はハワイ経由で45日間、往復83日間の大航海となり、日本の船としては初めて太平洋横断の快挙を成し遂げた軍艦となりました。

咸臨丸終焉の地となった“サラキ岬”には太平洋横断で難航する鈴藤勇次郎作「咸臨丸難航図」(横浜開港資料館保管)が船の歴史とともに紹介されています。この絵は、1960年(昭和35年)発行の日米修好通商百周年記念切手のうち、咸臨丸を描く切手のデザインにもなりました。

風雲急を告げる!新政府軍による清水港での襲撃、そして拿捕

風雲急を告げる!新政府軍による清水港での襲撃、そして拿捕

写真:モノホシ ダン

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咸臨丸が太平洋横断に成功して約8年後の1868年(慶応4年)、旧幕府軍と新政府軍との間で戊辰戦争が勃発しました。咸臨丸は、海軍副総裁榎本武揚の指揮のもと、旧幕府艦隊の一員として、品川沖から奥羽列藩同盟の支援に向かいます。しかし、銚子沖で暴風雨に遭遇、榎本艦隊とはぐれ、修理のため清水港へと入港。

ここで新政府軍艦隊に追いつかれ、容赦ない攻撃を受けて、乗組員の多くは戦死、または捕虜となりました。咸臨丸は拿捕され、乗組員の遺体は“逆賊”として港内にそのまま放置されました。

これを哀れに思い葬ったのが、“海道一の親分”として知られる清水次郎長。新政府軍はこの収容作業をとがめましたが、次郎長は「死ねばみな仏。仏に官軍も賊軍もない」と突っぱね、翌年には「壮士墓」を建立したという有名なエピソードがあります。

北海道開拓使の輸送船への転身とその終焉

北海道開拓使の輸送船への転身とその終焉

写真:モノホシ ダン

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明治新政府に接収された咸臨丸は、その後、北海道開拓使の輸送船になりました。船に装備されていた蒸気機関は、酷使のため故障が頻発していたため撤去され、すでにこの頃には普通の帆船となっていました。

1871年(明治4年)9月12日、戊辰戦争で敗れ北海道移住を余儀なくされた白石藩片倉氏の旧臣401名を乗せて仙台の寒風沢を出航した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、同9月20日に木古内町サラキ岬沖で座礁。現地の泉沢集落の人々の懸命な救助もあり、乗船者は一人の犠牲者もなく避難しましたが、船は数日後に破船・沈没しました。

北海道開拓使の輸送船への転身とその終焉

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咸臨丸が眠るサラキ岬からは、津軽海峡を一望することができるほか、北海道最南端の白神岬や函館山を望むこともできます。

北海道開拓使の輸送船への転身とその終焉

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サラキ岬には、咸臨丸終焉の碑のほかに、沖合から引き揚げられた咸臨丸の錨も展示されています。

サラキ岬では、毎年春には5万球のチューリップも咲き誇る

サラキ岬では、毎年春には5万球のチューリップも咲き誇る

写真:モノホシ ダン

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咸臨丸はオランダで建造されました。それを記念して、サラキ岬の公園には、約80種5万球のチューリップ花園を初め、オランダ風車型休憩所などが整備されています。

サラキ岬では、毎年春には5万球のチューリップも咲き誇る

写真:モノホシ ダン

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サラキ岬は、国道沿いにあります。入口には目印として帆船型の大型看板が建っているのですぐに分かります。道南地方を訪れた際には、サラキ岬を訪れて、数奇な運命をたどった咸臨丸の14年間の栄光と悲劇の足跡に触れてみてください。

サラキ岬の基本情報

住所:北海道上磯郡木古内町字亀川
電話番号:01392-6-7357(木古内町観光協会)
見学時間:通年(冬期間は積雪状況により見学不可な場合あり)
アクセス:JR木古内駅から国道228号線を函館方面へ車で約20分

2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/06/07 訪問

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