黒田官兵衛幽閉地!兵庫県「有岡城跡」は壮大な惣構えの城郭

黒田官兵衛幽閉地!兵庫県「有岡城跡」は壮大な惣構えの城郭

更新日:2023/08/07 16:06

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
「有岡城(伊丹城)」といえば、戦国時代末期、織田信長に反旗をひるがえした武将・荒木村重の居城として、その名を知る歴史ファンも多いのではないでしょうか。有岡城は村重の乱の後に廃城となりましたが、廃城から400年以上の歳月を経た今日も各所に当時の痕跡が見られます。今回は秀吉の軍師・黒田官兵衛の幽閉地としても知られる有岡城の痕跡を探る旅にご案内しましょう。

荒木村重が城主!JR伊丹駅前に広がるかつての主郭部

荒木村重が城主!JR伊丹駅前に広がるかつての主郭部

写真:乾口 達司

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「有岡城跡(ありおかじょうあと)」は兵庫県伊丹市にある城郭跡。南北朝時代、摂津国の国人であった伊丹氏によって築かれました。当時は「伊丹城(いたみじょう)」と呼ばれ、日本最古の天守台を持つ平城であったといわれています。

織田信長の畿内進出後は信長の配下であった「荒木村重(あらきむらしげ)」が城主となり、「有岡城」と名があらためられました。現在、残っている遺構や地割は村重の時代に整備されたものです。信長に反旗をひるがえした村重の没落後、有岡城は数年で廃城となりますが、近年の発掘調査により、その遺構の一部は国の史跡となっています。

写真はJR伊丹駅の西側に広がる主郭部跡。近代に入ってからの鉄道工事によって主郭部の東半分が削り取られましたが、西側は史跡公園として整備されています。

荒木村重が城主!JR伊丹駅前に広がるかつての主郭部

写真:乾口 達司

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当時は主郭部に沿うように防御用の掘割も設けられていました。写真はその掘割の跡ですが、ご覧のように、現在は埋め立てられて、市民の憩いの場となっています。

官兵衛の幽閉場所はいずこに?主郭部の遺構

官兵衛の幽閉場所はいずこに?主郭部の遺構

写真:乾口 達司

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主郭部にはかつての石垣の一部が残されています。

官兵衛の幽閉場所はいずこに?主郭部の遺構

写真:乾口 達司

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石垣を良く見ると、何やら加工された石材も組み込まれていることがわかりますね。当時の城郭にはしばしば自然石のほかに石塔や墓石などが利用されており、こちらも石塔か墓石の一部と考えられます。

官兵衛の幽閉場所はいずこに?主郭部の遺構

写真:乾口 達司

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主郭部には2ヶ所の井戸があったようで、その痕跡も残されています。

では、黒田官兵衛はどこに幽閉されていたのでしょうか。残念ながら、その痕跡は発見されていません。もちろん、村重やその家族が暮らしていた主郭部の敷地内に牢獄があったとは考えられないものの、官兵衛の場合は人質としての意味合いもあったため、主郭部からそれほど離れたところに幽閉されていたわけでもないでしょう。実際に主郭部周辺を散策し、ご自身で官兵衛の幽閉地を推定してみてください。

<有岡城跡(伊丹城跡)の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市伊丹1丁目
アクセス:JR伊丹駅よりすぐ

「惣構」(総構)の城郭であったことを示す猪名野神社の「岸の砦」

「惣構」(総構)の城郭であったことを示す猪名野神社の「岸の砦」

写真:乾口 達司

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村重によって整備された有岡城では、主郭部の西側に武家屋敷が立ち並ぶ侍町や町人たちが暮らす町屋地区が広がっていました。それらが天然の河川、人工の堀割や土塁によってぐるりととりかこまれており、さながら小さな都市国家のような様相を呈していました。

こういった城郭の構造は「惣構/総構(そうがまえ)」と呼ばれており、有岡城の場合、その規模は東西800メートル、南北1700メートルとまことに壮大。有岡城が信長軍の攻勢に対して一年間も持ちこたえたことからも、その規模とすぐれた防御性がおわかりいただけるでしょう。

写真はその北端に位置する「猪名野神社(いなのじんじゃ)」です。

「惣構」(総構)の城郭であったことを示す猪名野神社の「岸の砦」

写真:乾口 達司

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もちろん、有岡城の廃城後、城のまわりをとりかこんでいた掘割は埋め立てられ、土塁も撤去されましたが、猪名野神社の境内には、ご覧のように、現在も当時の土塁の一部が残されています。

当時、このあたりは「岸の砦」と呼ばれ、村重の家臣・渡辺勘大夫が守りについていました。

「惣構」(総構)の城郭であったことを示す猪名野神社の「岸の砦」

写真:乾口 達司

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猪名野神社をまわり込むようにして続く裏手の遊歩道は北に向かって下り坂となっており、「岸の砦」が崖際に築かれていたことがわかります。下方とは十メートル程度の高低差があるため、下からよじ登らなければならなかった当時の攻め手は「岸の砦」の攻略にさぞ苦労したことでしょう。

<猪名野神社の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市宮ノ前3丁目
アクセス:JR伊丹駅より北西へ徒歩約10分

かつての「上臈塚砦」の上に立つ墨染寺

かつての「上臈塚砦」の上に立つ墨染寺

写真:乾口 達司

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現在、「墨染寺(すみぞめでら)」と呼ばれる寺院のあたりには「上臈塚砦(じょうろうづかとりで)」がありました。上臈塚砦の位置からは、ここが有岡城の西側を守る砦であったことがわかります。

かつての「上臈塚砦」の上に立つ墨染寺

写真:乾口 達司

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「岸の砦」とは異なり、当時の土塁などは見当たりませんが、境内には村重の墓と伝わる九層の石塔や落城時に処刑された城中の女性たちのものとされる塚などが残されています。

かつての「上臈塚砦」の上に立つ墨染寺

写真:乾口 達司

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ただし、付近の道路をご覧になると、人の背丈ほどの高低差があることがおわかりになるはず。これこそ「上臈塚砦」とその外側に設けられていた掘割との高低差を示したものです。

ほかにも、かつての有岡城の南端には古墳を修築した「鵯塚砦」も築かれていました。

<墨染寺の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市中央6-3-3
電話番号:072-772-2764
アクセス:JR伊丹駅より南西へ徒歩約10分

廃城後の歴史を残す大掘の跡と伊丹老松酒造

廃城後の歴史を残す大掘の跡と伊丹老松酒造

写真:乾口 達司

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有岡城の廃城後、荒廃した城下では新たな動きがはじまりました。写真はそのことを示す遺構。有岡城のあった時代、このあたりには大きな掘割がありました。発掘調査によると、廃城後は掘割が埋め立てられた上、江戸時代になってあらためて大溝が作られました。大溝は江戸時代に入って発展した酒蔵からの排水を流すために利用されました。

<伊丹郷町の大溝の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市伊丹1丁目
アクセス:JR伊丹駅より西へ徒歩約5分

廃城後の歴史を残す大掘の跡と伊丹老松酒造

写真:乾口 達司

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街中を歩くと、現在でも何軒もの酒造店を見かけます。たとえば、こちらの伊丹老松酒造は伊丹を代表する銘柄「老松」を造っている酒蔵。有岡城の遺構を求めて街中をめぐった後は立ち寄って「老松」などの地酒を買い求めてみてはいかがでしょうか。

<伊丹老松酒造株式会社の基本情報>
住所:兵庫県伊丹市中央3-1-8
電話番号:072-782-2470
アクセス:JR伊丹駅より西北へ徒歩約5分

有岡城跡(伊丹城跡)をめぐろう!

有岡城がいかに壮大な城郭であったか、おわかりいただけたことでしょうか。とりわけJR伊丹駅前に広がるかつての主郭部はJR伊丹駅の駅前にあるため、アクセスはきわめて快適です。有岡城の痕跡を探りながら、あの信長でさえ攻めあぐねたその壮大な規模に思いを馳せてみてください。

2023年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2023/05/21 訪問

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