これが噂の明智城跡!岐阜県可児市に伝わる明智光秀生誕の地

これが噂の明智城跡!岐阜県可児市に伝わる明智光秀生誕の地

更新日:2019/10/14 18:06

旅人間のプロフィール写真 旅人間 はらぺこライター、旅ブロガー
明智光秀と言えば本能寺の変で主君を討った「謀反人」と言った印象の強い人物ですが、近年では優れた政治力、高い文化的教養、軍事的な力量、人柄と言った人物像が見直されてきています。しかし出生地など謎が多いのも事実。

岐阜県可児市では、光秀が過ごした明智城跡、日本一大きな光秀の位牌、産湯井戸、明智家の墓など見所も多い。大河ドラマ『麒麟がくる』で話題の光秀ゆかりの地を、この機会に巡ってみましょう。

明智光秀ゆかりの地!桔梗坂を歩き明智城跡へ

明智光秀ゆかりの地!桔梗坂を歩き明智城跡へ

写真:旅人間

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明智光秀の出生地については諸説様々あり、岐阜県の可児市、恵那市、山県市など複数の土地に古くから様々な逸話が残っています。その一つ岐阜県可児市は明智伝説を巡るには絶対に外せない場所。それでは、明智城跡から散策をスタートしてみましょう。
(※明智城跡は明智長山城跡とも呼ばれています)

明智城跡は、登山口から本丸跡まで続く「桔梗坂」がおすすめルート。この登山口付近は5月中旬〜9月頃に地元の小中学生の発案で植えられたと言う桔梗の花が咲き誇ります。

明智光秀ゆかりの地!桔梗坂を歩き明智城跡へ

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桔梗坂を歩き始めると、大手口跡の少し手前に「明智城跡」の案内看板があります。ここでは地図付きで説明があり、それを読んでから散策すると良いでしょう。

大手口跡の大手門のあった場所には「冠木門」が立ち、山城のムードを盛り上げています。その先には木々が生い茂り、登山道の道のりは大変そうに感じますが、ここから本丸跡までは約10分、意外と楽チンに登れます。

明智光秀ゆかりの地!桔梗坂を歩き明智城跡へ

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明智城跡は歩きやすく整備されていますが、やはり山の中。山城を歩く時の基本として、特に夏場は虫よけスプレーを持っておいた方が無難です。

明智城跡の本丸跡に到着!

明智城跡の本丸跡に到着!

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明智城跡は、東西に長く延び、標高は175m、中央に本丸を築き、別の峰に小城塞、見張り台、城郭施設を配置させていたと考えられています。

一説によると、この明智城跡は1342年に美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が「明智」と改名し城を築いたことに始まり、その子孫が代々の居城としたと伝わっています。その一族が土岐明智氏、すなわち明智光秀の一族と考えられているのです。

明智城跡の本丸跡に到着!

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明智光秀は、1528年に可児郡明智荘で生まれ、早くに父を失います。その後は叔父の明智光安のもとで、ここ明智城で暮らしたと『美濃国諸旧記』に記されています。

そして、1556年に、斎藤道三とその子義龍の争いに巻き込まれ落城したとも伝わっています。

明智城跡に残る七ッ塚と展望台

明智城跡に残る七ッ塚と展望台

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斎藤義龍が父・道三に対して挙兵し親子の対立は美濃を二分する争いになります。明智城の城主であった明智光安は、いずれの勢力にも加担しない事を決断するが、道三が討ち取られた後も道三への義理を貫いた結果、明智城は義龍に攻められ籠城するも耐え切れず落城します。そして光安はじめ多くの武将が命を落としたのです。
(明智城落城に関しては諸説あり、戦の有無に関しても議論されています)

この落城での戦没者を葬ったと言う「七ッ塚」は出丸跡付近に、ひそかに村人が建立したという「六親眷属霊魂塔」は見張り台跡付近に残されています。

明智城跡に残る七ッ塚と展望台

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また、この七ッ塚付近には馬場跡があり、敵の通過を防ぐ「馬防柵」が再現されており、ちょっとした臨場感を味わえます。

明智城跡に残る七ッ塚と展望台

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本丸跡近くの展望デッキからの眺望も見事。北側の明智駅方面が一望で、織田信長の小姓として有名な森乱丸が城主だった美濃金山城跡も見えます。

展望デッキから景色を眺めていると、後に織田信長の家臣として深く関わる明智光秀と森乱丸。この二人の生誕の地が目と鼻の先と言うのも不思議な因果を感じますね。

<明智城跡の基本情報>
住所:岐阜県可児市瀬田1238-3
電話番号:0574-50-7056(観光協会)

明智光秀の産湯の井戸

明智光秀の産湯の井戸

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明智城跡から北へ5分ほど歩くと瀬田川があり、この川の畔には明智光秀の産湯の井戸があったと伝わっています。残念ながら、現在は耕地整理で開発されて水田となり、大きな木の下に案内板があるのみです。

昭和6年に発行された可児郡廣見尋常小学校の副読本には「そこに古い井戸が有ったということだ、村の人たちはそれを光秀のうぶ湯の井戸と言い伝えている」と書かれています。

天龍寺の日本一大きな明智光秀の位牌

天龍寺の日本一大きな明智光秀の位牌

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明智城跡の麓にある天龍寺は、永平寺を本山とする曹洞宗のお寺で「聖観世音菩薩」を本尊としています。このお寺は明智一族と深い関わりがあり、明智一族の菩提寺として毎年6月には「光秀供養祭」が行われています。

また、ここには日本一大きな明智光秀の位牌、そして明智氏歴代の墓所があります。

天龍寺の日本一大きな明智光秀の位牌

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日本一大きな明智光秀は本堂の真正面に置かれています。位牌の大きさは6尺1寸3分(184cm)で、戒名は「長存寺殿明窓玄智禅定門(ちょうぞんじでんみょうそうげんちぜんじょうもん)」です。

天龍寺の日本一大きな明智光秀の位牌

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明智光秀と言えば本能寺の変で主君を討った逆臣として、その一族は迫害に怯え、明智の姓を名乗らず名字を変えた人も多いと言われています。その為もあって、明智光秀の生誕地説として有力な可児市でも資料や史跡は乏しいのが現状です。

この天龍寺にある明智氏歴代の墓所は貴重な史跡の一つと言えるでしょう。

<天龍寺の基本情報>
住所:可児市瀬田1242
電話番号:0574-62-1859
拝観時間:9:00〜16:00

明智城跡&天龍寺へのアクセス方法について

明智城跡&天龍寺へのアクセスは、2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の影響で大変混雑します。出来る限り公共交通機関の利用がおすすめです。名鉄明智駅から明智城跡の登山口にある大手門付近までは徒歩で16分ほど。

車の場合は、明智城跡&天龍寺付近は道幅が狭くなっています。必ず臨時駐車場を利用しましょう。詳しくは下部MEMOより「可児市公式サイト」にてご確認下さい。

2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

取材協力:岐阜県

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/09/19 訪問

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