写真:乾口 達司
地図を見る曹源寺の創建は元禄11年(1698)。岡山藩第2代藩主・池田綱政が、高先祖・恒興と父・光政の菩提を弔うために伽藍を造営したのが、そもそものはじまりです。造営にあたり、綱政自身、みずからの菩提所を曹源寺に定めます。以後、継政以下、歴代の岡山藩主の多くが当地に葬られ、曹源寺は岡山藩主・池田家の菩提所としての地位をゆるぎないものにしていきました。現在、曹源寺の墓所は和意谷の池田家墓所(備前市)などとともに、「岡山藩主池田家墓所」の名で、国の史跡に指定されています。
「正覚谷墓所」とも称される曹源寺の池田家墓所は、境内の北方に位置しています。広大な墓域にはさまざまな形の墓石や石燈籠が林立しており、当時の岡山藩主・池田家の権勢がしのばれます。お参りがてら、どのような形の墓石や石燈籠があるのか、目を凝らしてみるのも一計でしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る池田家墓所にお参りしたら、その参道にも目を向けてください。特に墓所の西側、第6代藩主・斉政や第10代・章政の墓所に通じる参道の石段には、写真のような、カマボコ型の側石が見られます。幾つかの石を円弧状に巻くようにして積む構造は一般に「巻石構造」と呼ばれており、その珍しい形をはじめて目にする人も多いのではないでしょうか。「巻石」は備前市にある国宝・閑谷学校の石塀にも見られますが、曹源寺の池田家墓所と閑谷学校いずれの造営にも岡山藩士・津田永忠が深く関わっていることを踏まえると、双方の「巻石」に密接なつながりがあることは、充分に考えられますね。
写真:乾口 達司
地図を見る池田家墓所にお参りしたら、是非、境内の諸堂にも目を向けてください。境内を歩くと、石畳の参道を主軸として、総門・三門・仏殿が南北に一直線に並んでいることにお気づきになるでしょう。これは中国から伝来した禅宗寺院特有の伽藍配置であり、曹源寺がどのような宗派のお寺なのかを見事に指し示しているといえます。なかでも、必見は文政年間に再建された仏殿!その構造は桁行七間・梁間六間の重層入母屋造で、高さは何と20メートル!岡山県下最大級の木造建造物であり、その威容にはただただ圧倒されます。
写真:乾口 達司
地図を見る仏堂の西方に位置する経蔵は創建時からあるお堂。三間四方の方形造りで、内陣には円形の壇の上にのった巨大な経架が据えられています。経架は、その名のとおり、経典を収めるもので、必要に応じて回転させることも出来るのです。ここまで大規模な経架は珍しいので、是非、経蔵も拝観しましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る曹源寺の背後にそびえる操山を遠くから眺めると、寺の上方、山の中腹に木造の三重塔が立っているのがうかがえるでしょう。高さは約20メートル。江戸時代後期の建造とされており、組物からは和様と禅宗様とが混在した意匠が認められます。経蔵の裏手から山道を登ること十分足らずで到着するので、ぜひ、訪れてください。
曹源寺が、岡山の歴史においていかに重要な寺院であるかが、おわかりになったのではないでしょうか。曹源寺には、ほかにも仏殿と並ぶ大きさを誇る三門や岡山県指定の重要文化財に選ばれている大光院・康永四年法華題目石などもあり、曹源寺の絶大な権勢とその豊かな歴史を学ぶのに欠かすことが出来ません。岡山を旅した折には曹源寺にも参拝し、江戸時代、岡山藩に君臨していた池田家の華やかな時代に思いを馳せてみてはいかかでしょうか?
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(2024/10/5更新)
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