写真:山口 琴美
地図を見るスルタン・アブデュルハミト1世の霊廟は、世界遺産に登録されているイスタンブール歴史地区内にあります。あのオリエンタル急行の終着駅として知られる「シルケジ駅」と、スパイスの香りが漂うエキゾチックな市場「スパイス・バザール」のちょうど中間あたりに位置します。
イスタンブールの有名観光地のなかに紛れ込むように建つその霊廟は、まるでスルタンの威厳を今に伝えているかのように存在感抜群です。大理石の美しい建物が目印です。
写真:山口 琴美
地図を見るアブデュルハミト1世は1725年に誕生しました。父はオスマン帝国第23代皇帝のアフメト3世です。父から皇帝の座を受け継ぐまでは長い道のりでした。父アフメト3世の弟の子にあたるマフムト1世が皇帝の座につくと、その後はマフムト1世の弟であるオスマン3世、アフメト3世の長男ムスタファ3世と後が継がれ、アブデュルハミト1世に皇帝の座が巡ってきたのは彼が48歳になった頃でした。
遅咲きのアブデュルハミト1世の治世におけるオスマン帝国は、戦争の時代で彼にとっても苦労の多い時代となりました。兄ムスタファ3世の時代から始まっていた第一次露土戦争に敗れたオスマン帝国は、不利な条約を締結せざるを得なくなり、ドン川、ドニエプル川の河口と、ロシアのロストフの都市にあるアゾフ海沿岸地帯をロシアに割譲し、これによってロシアの黒海における自由航行を認めざるを得なくなったのでした。
さらにそれから10年後の1784年、ロシアにクリミアを奪われ、3年後には再び露土戦争が勃発します。不利な戦況のなか、1789年に64歳で亡くなり、彼の時代は幕を閉じたのです。
写真:山口 琴美
地図を見る高齢にしてスルタンの座につきながらも、先代から下り坂であったオスマン帝国の情勢を立て直そうと奮闘したアブデュルハミト1世はいまでも多くの人に崇められ、彼の魂の平安を祈って霊廟を訪れる人が毎日後を絶ちません。
バロック様式の美しいデザインとクルアーンの一節を書いたアラビア文字のコラボレーションや、いくつもある大きな窓から差し込む太陽の光に照らされる堂内は、霊廟というよりも、まるで宮殿の一室かのような空間です。
写真:山口 琴美
地図を見るアブデュルハミト1世の霊廟内には、最も大きな彼自身の棺以外にも約20もの小さな棺が並べられています。オスマン家に生まれ、幼くして亡くなってしまった皇子・皇女の棺で、後のスルタンであるムスタファ4世の棺もこの霊廟内に設置されています。
写真:山口 琴美
地図を見るこの霊廟の、もう一つの大きなチェックポイントは、「預言者ムハンマドの足跡」が保存されているということです。このような重要な展示物が至るところに残されているのもイスタンブールの魅力のひとつ。この霊廟を訪れる人は、この聖なる足跡の前でも必ず足を止めて祈りを唱えています。
写真:山口 琴美
地図を見るスルタン・アブデュルハミト1世の棺だけでなく、オスマン家の子息の棺や美しいバロック様式の建築、さらに預言者ムハンマドの足跡など、霊廟を訪れるだけでオスマン帝国の歴史やイスラムの世界を肌で体感することができます。
イスタンブール歴史地区を観光する際は、ぜひスルタン・アブデュルハミト1世の霊廟も併せて見学してみてくださいね!
写真:山口 琴美
地図を見る住所:Hobyar,Hamidiye Cd. No:2, 34112 Fatih/Istanbul
アクセス:トラムT1線シルケジ駅から徒歩約5分
2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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