写真:松縄 正彦
地図を見る東京都には400〜500基もの古墳があるといわれます。史跡が多い国立・府中市も例外ではなく、府中市には50〜60基もの古墳があるといわれます。これら古墳の多くが多摩川沿いの崖(府中崖線を中心)に沿っている事が特徴です。
まず国立の「四軒在家古墳群」から紹介します。ここでは10基もの古墳が同時に発掘され、これは都内でも唯一の例です。「四軒在家公園」の中に1号噴(直径20mの円墳)の石積横穴式石室の一部が復元されています。写真の赤い部分は古墳の周りを囲む“周溝”を示しています。石室からは直刀や勾玉などが出土(くにたち郷土文化館に収蔵)しました。
次に、少し南の「ママ下湧水公園」に行きましょう。ここは都内有数の湧き水がでている場所ですが、前述の多摩川が形成した崖(青柳崖線)が通っている場所です。崖線の表情の面影をここで体感する事ができます。
<基本情報>
住所:国立市矢川3丁目(四軒在家公園内)
アクセス:JR南武線矢川駅から徒歩約10分
写真:松縄 正彦
地図を見る府中崖線沿いにあるのが「御獄塚古墳群」です。現在までに20基(全て円墳)ほど確認されていますが、古墳の大部分は残っていません。唯一残っているのが西府駅の南口、自転車置き場の入り口にある古墳です。この古墳も円墳(直径25m)で周囲に幅7mもの溝があったといわれます。この古墳(塚)だけが残った理由は、ここが山岳信仰(御獄信仰)の対象であった為です。
駅の側という位置からか、あまりにもありふれた光景の中に埋没しているのが非常に印象的な古墳です。
<基本情報>
住所:府中市西府町1丁目(御獄塚公園内)
アクセス:JR南武線西府駅南口徒歩1分
写真:松縄 正彦
地図を見る府中崖線沿いの古墳をもう1つご紹介します。「高倉塚古墳群」です。全部で27基確認され(墳丘が残っているのは5基)、古墳群の中心にあるのが写真の高倉塚と言われる古墳(直径25mの円墳)です。周りを建物に囲まれている小さな公園内に整備されています。
ご紹介してきた古墳は全て6世紀〜7世紀に築造されました。古墳というと前方後円墳が有名ですが、6世紀末にはこの形式の古墳は造られなくなり、代わりに方墳や円墳が造られるようになります。関東地方の円墳は直径80mという全国最大級の古墳がある(八幡山古墳、行田市)のが大きな特徴です。ご紹介してきた古墳はこのような大きな流れの中で造られたものです。
<基本情報>
住所:府中市分梅町1-11-2
アクセス:JR南武線分倍河原駅から徒歩約5分
写真:松縄 正彦
地図を見る御獄塚古墳の北方約500m、崖線の内側に位置し、全国でも珍しい上円下方墳という形式の古墳が熊野神社の境内にある「武蔵府中熊野神社古墳」です。この形式の古墳は全国で6基しか確定されておらず、この古墳はその中でも国内で最古かつ最大のものです(御獄塚古墳よりも後の7世紀中頃に築造)。
上方の円形が天を、下方の方形が地を表現しているといわれ、これは中国の道教の思想の影響を受けているといわれます。この古墳は実は3段になっており、下の1段目が1辺32m、次の2段目が1辺約24mの方形で3段目が直径16mの円形をし、写真のように1,2段目の表面には葺き石が、3段目の外周には切石が並べられています。
写真:松縄 正彦
地図を見るこの古墳の南側に展示館があり、無料で各種解説資料を見る事ができます。
建物に入る前に敷地面にご注目下さい。黄色の円形や褐色の方形は古墳と同じ大きさで作られ、古墳の大きさを体感できるようになっています。
写真:松縄 正彦
地図を見る展示館では1階に御獄塚古墳から発掘された円筒埴輪が展示してありますが、主展示場は2階です。
2階では写真のような葺き石や後述の石室の切り石などの実物の展示、またこの古墳は地盤改良のため、耐荷重を向上させる“版築工法”(突き固めながら層状に積み上げる)という寺院の基壇建築に使われた当時の最新土木技術が使われており、その解説など、パネルが豊富にあります。
写真:松縄 正彦
地図を見るこの古墳の中心には、切石が積まれた3室からなる横穴式の石室がありました。展示館の裏手に“石室復元展示室”があり、復元された石室の内部に入る事ができます。
なお、石室内部は入り口が狭く天井も低いために頭をぶつけます。展示館の受付でヘルメットと懐中電灯を貸りてから入るようにして下さい。
写真:松縄 正彦
地図を見る写真は石室の一番奥の玄室から入り口側を撮影したものです。ここは壁が円筒かつドーム状に切石を積み上げて作られています。また、切石の表面は滑らかで、直角に加工されている部分も多く、かなり工夫してつくられている事が分かります。
写真:松縄 正彦
地図を見る石室は古墳の中で、写真のような配置になっており、玄室が上円部の真ん中に来る位置に作られていました。また、石室の入口は古墳の南側に位置しています(写真の模型は後述の府中郷土の森博物館展示品)。
ちなみに、当古墳は磁石の東西南北方向からわずかにずれて造られています。
<基本情報>
住所:府中市西府町2-9(熊野神社境内)
電話番号:042-368-0320(展示館)
アクセス:JR南武線西府駅から徒歩約9分
写真:松縄 正彦
地図を見る府中市の古墳からの出土品は「府中市郷土の森博物館」で展示されています(常設展示室)。その中からいくつかをご紹介しましょう。
写真:松縄 正彦
地図を見るまず前出の御獄塚古墳(10号噴)からの出土品で、写真は刀、いわゆる直刀です。古墳出土の刀というと稲荷山古墳から出土した鉄剣(5世紀)が有名ですが、東京の古墳からも刀が出土しているのです。
これらの刀の部品展示もありますが、他の出土品として鉄製の鏃(やじり)や耳飾りなどもあります。
また高倉塚古墳などからの出土品として勾玉や耳飾りなどのアクセサリーの展示もあります。高倉塚古墳群からは他に銀象眼の大刀やその鍔が出土しておりこの博物館に収蔵されていますが、その写真は武蔵府中熊野神社古墳展示館でも見る事ができます。
写真:松縄 正彦
地図を見る写真は武蔵府中熊野神社古墳から出土した、“七曜紋”の銀象眼が施された刀の鞘の金具(鞘尻金具)です。この紋様は、七つの丸い模様で万物の生成や変転の原理、また宇宙観などを表現していると言われ、7世紀後半につくられた貨幣”富本銭”(有名な和同開珎よりも古い)でも使われました。
鞘尻金具は方頭大刀と言われる刀に使用された金具といわれ、通常は鉄や銅性で質素な作りがなされています。しかしこのように銀で象眼された出土品は他に例がなく、この古墳の被葬者が特別な人物(首長クラス)であった事が窺えます。
また方頭大刀は、官位十二階の制定など官僚的なシステムが整備されつつある時期に登場している事から、豪族が地方の役人へと変貌しつつあった時代の象徴といえる発掘品です。この地方の円墳が比較的小さい規模である事を考えると、当時はこの古墳の被葬者のような有力者の下に小さな豪族達が再編成されつつあったのかもしれません。
<基本情報>
住所:東京都府中市南町6-32
電話番号:042-368-792
アクセス:JR南武線分倍河原駅から徒歩約20分、分倍河原駅から路線バスで「郷土の森正門前」下車すぐ
東京にも古代を偲ぶ遺物が数多く残されています。
大都会の忙しい生活の傍らにひっそりとたたずむ古墳、その存在に気づくと出土品から古代への理解が進み、ロマンが広がってくるはずです。歴史好きのあなた、さあ古墳巡りに出かけましょう!
2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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