写真:小々石 曲允子
地図を見る現在の大阪南部と奈良の県境にまたがる葛城・金剛山系は、古代より神奈備山(神宿る山)としての信仰を集めてきました。
高天彦神社は金剛山系に連なる白雲岳という山の麓に祀られた神さびた古社で、大昔にこの山中の聖林で行われていた祭祀が神社の起源であると言われています。
創建年代は不詳ですが、平安時代の延喜式神名帳では、古くから特に霊験が著しいとされる名神大社のうちの一社として記載されており、元々は山そのものを御神体として拝する原始的な信仰の形態がとられていたことからも、かなり古い時代からの信仰の場であったと考えられます。
また、高天彦神社が鎮座するこの御所市の山麓一帯は、日本神話に登場する天孫降臨の舞台・高天原であるとの伝説が残る地として知られています。
神社の御祭神である高皇産霊神(タカミムスビノカミ)は、天地の始まりの時に現れた造化三神の一柱であり、天孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高天原から降臨する際に天孫降臨の命令を下した神。それがこの地に伝わる天孫降臨神話の大きな由縁でもあります。
高天彦神社には、宗像三女神のうちの一柱である市杵嶋姫命、学問の神として有名な菅原道真公も御祭神として併祀されていますが、延喜式神名帳での御祭神は1座となっていることから、元々は高皇産霊神だけがお祀りされていたようです。
写真:小々石 曲允子
地図を見る境内社としてほかに八幡神社や春日神社、三十八社などが配祀されていますが、特に注目すべきは三十八社で、この御社には大和朝廷が成立する以前の時代(初代神武天皇から開化天皇までの時代)にこの山麓一帯を中心に居住し、葛城王朝を築いたとされる有力豪族・葛城氏の歴代の王が祀られているとも言われています。
そもそもこちらの神社の主祭神とも言える高皇産霊神はその葛城氏の祖神ともされており、そのことからも往古の時代に王朝を築いていたとされる葛城一族と非常に深いゆかりがある神社であることは想像に難くありません。
このように、高天彦神社は、天孫降臨から初期の天皇の時代に至るまでのいわゆる神話の時代以来の永い信仰の歴史と由緒を持つ神社と言えます。
神話の虚実の範囲はさておいても、大和盆地を眼下に一望できるこの高台の地域が神住まう天上の国であったと想定されても不思議ではない雰囲気があることは確かで、周辺の葛城古道沿いに古代よりの云われある寺社や遺跡が数多く存在していることもこの一帯が総じて神々の故郷と称される所以でもあるのでしょう。
なお、神社へ向かう上り坂の途中左手に、上の写真のような原始的な形態の鳥居が現れます。
「高天彦神社 参道」とあるようにこちらが元々の参道ではありますが、小山の中にある少々険しい坂道を登っていくコースであり、また山を抜けた先に柵が設置されていて現在では通り抜けできなくなっていますので、自動車以外の方でもこの鳥居の右手にある車道の方を歩いて下さい。
写真:小々石 曲允子
地図を見るそれではここからは、社殿以外の境内外の見所をご案内していきましょう。
まずは境内から道を挟んで延びる、樹齢数百年の杉の大木で覆われた参道です。
それほど長くない幅の狭い参道ですが舗装もされておらず、昔の人々の神社参拝の様子に思いを馳せることができる古社らしい素晴らしい景色と言えます。
古くからある神社ではこうした古道的な参道(の残された一部)を時折見かけますが、老木の並木の向こうに見えてくる鳥居と社殿の存在がより神秘的に感じられる気がします。
写真:小々石 曲允子
地図を見る次に、神社の境内に鎮座している「磐座(いわくら)」です。
この磐座は蜘蛛塚(古代、天皇に逆らったとされるその土地の土着の勢力=土蜘蛛が征伐されて埋められた場所)であるとの噂が一部にありますが、実際は御神体山である白雲岳の中腹にあった磐座が神社創建の際に移されたもので、太古の時代には、山にあったこの磐座の周辺で祭祀が執り行われていました。
ということで、こちらはおそらく高天彦神社で見ることができる最もプリミティブな信仰の痕跡ということになるでしょうか。
本殿に向かって左側の春日神社の真裏でお祀りされているため、見落としやすい位置にありますが、神聖かつ貴重な太古よりの神籬(ひもろぎ=神の依り代)は必見です!
写真:小々石 曲允子
地図を見るそして最後にご紹介したいのが、高天彦神社の境外にあるパワースポット、鳥居に向かって右手に置かれているこの石です。
昔からこの村落の道端に「幸せを呼ぶ福蛙」として安置されていた石で、神社との関係はありませんが、幸せを願って触れると幸運が舞い込むというジンクスがあると伝えられています。
写真:小々石 曲允子
地図を見るさて、高天彦神社をご案内するにあたって、是非とも一緒にご紹介しておきたい重要な史跡が近隣にあります。
神社から田んぼや参拝者用の駐車場を挟んだ向かい側に見えるこんもりとした森の一帯、その中にある「蜘蛛窟(くもくつ)」のことです。
先程、神社の境内に祀られている磐座の説明をした際に「土蜘蛛」という朝廷に抵抗した土着勢力がいたことに触れましたが、その土蜘蛛が住んでいた場所=蜘蛛窟とされています。
写真:小々石 曲允子
地図を見る初代神武天皇が東征した際、土蜘蛛たちが天皇の使者によって征伐されたという伝説が残っていますが、この蜘蛛窟は実は蜘蛛塚(墓)でもあり、さらには何とここは先でも触れたこの地の有力豪族・葛城一族が埋められた墳墓であるとする説もあるのです。
もしそうだとすると、土蜘蛛というのはこの地にかつて王朝を築き、後に滅んだ葛城氏でもあったという可能性があります。こうなってくるといよいよ、上古の時代にまで遡る超古代史ミステリーの世界ですね!
諸説ありますが、いずれにせよ高天原伝説のみならず、神武東征神話に関連した史跡がこうして存在するということもまた、神話の舞台としてのこの地の奥深さ・神秘性を更に如実に物語っているように思えます。
なお、以前は駐車場付近から蜘蛛窟へと通じる道がありましたが、現在では柵があって森の中にはこのルートからは入れなくなっています。
高天彦神社への旧参道が山道で現在では柵があり通り抜けできなくなっていることを先述しましたが、そう、実はこの2つの柵は同じもので、つまりは葛城氏の祖神と歴代の王を奉斎する高天彦神社への旧参道沿いに蜘蛛窟(蜘蛛塚)の史跡があるということです。この位置関係も何とも意味深と言えます。
写真:小々石 曲允子
地図を見る現在、蜘蛛窟の史跡は、神社の近くにある「高天山草園」という植物園の入口から入園することで見学できます。
入園料300円を払って山草園の入口からわずかに歩くと、森林の中に入っていく道と仮設のお手洗いに行く右手の脇道とに分かれる箇所があり、そのお手洗いから見上げてほぼ真上の地点に蜘蛛窟の史跡の碑が位置していますので、そのポジションを頭に入れながら園内を歩くと、程なく辿り着けるかと思います。
提供元:高天彦神社(高鴨神社)
地図を見るさて、高天彦神社の歴史とその周辺を含めた見所をご紹介して参りましたが、いかがでしたか?
高天彦神社前の道は金剛山への登山ルートにもなっています。古の時代から殆ど変わらない周囲の豊かな自然に身を浸しつつ、神話の里の上古よりの歴史を存分に堪能、探究していただければと思います。
なお、高天彦神社は現在は無人ですが、御朱印や御札はこちらから徒歩40分程の場所にある高鴨神社にて戴くことが可能ですよ。
住所:奈良県御所市北窪158
アクセス : JR・近鉄「御所駅」下車。
近鉄御所駅バス停から御所市コミュニティバス(西コース)に乗車し、「高天口」バス停下車。徒歩約15〜20分。(コミュニティバスは1日に3本しか便がないのでご注意ください)
もしくは「近鉄御所駅」バス停から奈良交通バス「五條バスセンター」行きに乗車し、「鳥井戸」バス停下車徒歩約60分。
JR・近鉄御所駅からタクシーで10〜15分。高鴨神社より徒歩約40分。
※なお、年やシーズンによっては近鉄御所駅から高天彦神社にも停まる臨時バスが出る可能性があります。
2019年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/29更新)
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