写真:旅人間
地図を見る妻木城跡は土岐市の南部、妻木町を見下ろす標高409mの山頂に築かれた山城跡です。諸説ありますが、この城は土岐氏が代々治め、そして明智氏、妻木氏に変わっていったと伝わり、また明智光秀の正室で、細川ガラシャの母と伝わる煕子の故郷と言われています。
その北側山麓には、御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれていました。この屋敷跡は「妻木城士屋敷跡」として県史跡に指定されています。
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地図を見る土岐南多治見ICから車で15分。県道388号沿いにある妻木城士屋敷跡は、山城跡とは違い気軽に行くことができます。屋敷との境にある石垣は苔むし、そこを侵食し根をはる樹木の姿など異空間が広がっています。
この屋敷跡を散策する時は、入口付近の案内板に復元想像図がありますので、その絵をスマホなどで写真に撮り、それを見ながら歩くとより楽しめます。
写真:旅人間
地図を見る妻木城跡へは、妻木城士屋敷跡の先にある遊歩道から歩いて行く事も出来ますが、より簡単に行く方法があります。それは車に乗り県道19号で「名岐国際ゴルフ倶楽部」を目的地に設定し、途中から林道を走るルートです。
ただし、この林道は未舗装の部分があります。その先にある駐車場は地主の方の好意で使える私有地です。マナー守り利用するようにしましょう。
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地図を見る妻木城跡の麓にある駐車場から歩き始めると本丸跡までは20分ほど。このルートを使えば妻木城跡の散策は本当に楽チンです。
遊歩道を歩き始めると、土塁が所々にあり、大きな岩がゴロゴロと転がる「巨石群」に遭遇します。ここでは山城跡に残された歴史的な情緒以外に、自然の造形美が楽しめる事も魅力的なポイントの一つと言えるでしょう。
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地図を見る巨石群の中には、人が積んだ石垣のように見える岩もあります。これは「節理」と言う現象でマグマが地下で冷えて花崗岩になる時に収縮して等間隔に割れ目(節理)が多数出来て、風化浸食によって四角形の塊に分かれたもの。
「これが自然の力で?」「石垣にしか見えない」と思わず何度も見直してしまいます。まさに地球の神秘ですね。その高さは6m以上の場所もあります。
写真:旅人間
地図を見るこの妻木城跡を歩いていると、前述の士屋敷跡のあった北側を除いては堀切などによって尾根続きが分断され、曲輪や土塁など防御跡などが所々に見られます。歴史好きにはたまらない見所が続きます。
写真:旅人間
地図を見る山頂部分にあたる本丸跡(一の曲輪)は、廃城後の江戸時代中期に八幡神社が建立されています。この本丸跡では建物の礎石跡も見ることができます。
八幡神社の後方には「物見杉」と呼ばれている巨木があり、戦後に下駄を作るために切り取られた跡が今も残っています。同じく本丸跡にある「旗立岩」の伝承がある高さ5m以上の巨岩は、下から見上げると、その大きさが良く分かり迫力満点です。
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地図を見る本丸跡より一段低く造成されている二の丸跡(二の曲輪)は、調査の結果建物の礎石の跡があり、北側に虎口があり門跡が確認されています。現在は鳥居が見られます。
写真:旅人間
地図を見る本丸跡、二の丸跡を見たら、次は三の丸跡(三の曲輪)も行きましょう。ここでは土岐市北部から多治見市の市街地まで一望できる素晴らしい眺望が広がっています。
写真:旅人間
地図を見る太鼓櫓の南側には巨岩に十字架のような模様が見えます。「こんな処に謎の十字架?」と思ってしまいますが、実は“くさび跡のある花崗岩”なのです。
この岩に残る十字の跡は、岩の除去を断念した跡で十字架ではありません。この遊歩道を歩くとき「くさび跡の石」と案内がありますので見逃さず見ておきたい。まさに隠れた名所と言えるでしょう。
住所:岐阜県土岐市妻木町
電話番号:0572-57-6441 (八幡神社社務所)
尚、明智光秀ゆかりの地に関しては、諸説様々です。歴史ロマンの一つとして、妻木城跡も巡ってみて下さい。見ごたえ抜群で、とっても楽しいですよ。
2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
取材協力:岐阜県
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この記事を書いたナビゲーター
旅人間
レンタカーでアメリカの国立公園を中心に3ヵ月ほど旅した時、ガイドブックにのっていない大自然の魅力に出会い、これらを紹介したいと感じたのがライターになったキッカケ。その後、シンガポールに長期滞在し、東南…
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