第二奇兵隊防塁と海軍レーダー跡が残る山口・文珠山と嘉納山

第二奇兵隊防塁と海軍レーダー跡が残る山口・文珠山と嘉納山

更新日:2019/10/30 15:02

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家
第二奇兵隊とは、高杉晋作が結成した「長門国の奇兵隊」に対して、元奇兵隊士で後に海援隊士になる石田英吉らが結成した「周防国の奇兵隊」。その第二奇兵隊は慶応2年、第二次長州征討で幕府軍に占領された周防大島を奪還します。その時築かれた防塁が文珠山に残っています。文珠山と尾根続きの嘉納山には海軍レーダー跡があり、島東部には戦艦陸奥の副砲が保存されており、各山からの絶景と島の歴史に触れることができます。
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軍艦の砲撃跡と周防大島屈指の絶景・文珠山

軍艦の砲撃跡と周防大島屈指の絶景・文珠山

写真:春野 公比呂

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第二次長州征討は長州側では「四境の役」と呼ばれます。四ヶ所の国境付近で戦いがあったからですが、周防大島での攻防は「大島口の戦い」になります。

幕府は周防大島から長州を攻めるにつき、四国各藩に出兵を要請したものの、応じたのは島の東部が藩領の飛び地になっていた松山藩だけでした。が、松山藩は当時、最強の軍艦・富士山丸を保有しており、慶応2(1866)年6月8日、12隻の艦隊として大島の由宇沖に現れ、島に砲撃を開始し、11日には島の北西、久賀から上陸して島を占領します。

この時、富士山丸は島に何百発もの砲弾を撃ち込んだのですが、その内の一発による被弾跡が今でも由宇の浄西寺の石垣に残されています。この砲撃跡は今日では記念モニュメント的扱いを受けており、四境の役の戦跡巡りの一つとして、自治体もホームページ等で紹介しています。

<浄西寺砲撃跡の基本情報>
住所:山口県大島郡周防大島町油宇1176
電話番号:0820-78-0700(周防大島町教育委員会)
アクセス:JR山陽本線大畠駅から防長バス「周防油宇」行きに乗車して72分、終点降車、徒歩10分。無料駐車場あり

軍艦の砲撃跡と周防大島屈指の絶景・文珠山

写真:春野 公比呂

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第二奇兵隊は元々、私隊の勤王諸隊「真武隊」でしたが、藩論が討幕路線に統一されると編成し直して「南奇兵隊」となり、更に藩の公隊となると人員が大幅に削減され、「第二奇兵隊」と改称されました。この時、土佐浪士である石田英吉も隊を去るのですが、後に亀山社中に入り、四境の役の「小倉口の戦い」では、長州勢として龍馬の元、砲手長として活躍します。

第二奇兵隊を主力とする長州軍による大島奪還作戦は6月15日から行われ、各地で松山藩軍と銃撃戦を展開しましたが、翌日、松山軍が四方から攻めて来る情報を得て、文珠山から嘉納山、源明山にかけて陣形を取り、備えました。この時、文珠山から嘉納山にかけての尾根直下に長大な防塁を築いたのです。

文珠山(662.7m)は山頂が草原になっており、島屈指の絶景を誇ります。文珠山から嘉納山、源明山、嵩山等は「大島アルプス」と呼ばれ、縦走路もあり、ハイカーに人気です。文珠山登山口は北の中腹にある文珠堂。今は無住ですが、弘法大師が大同元年(806)に開山した古寺です。そこから石段を上がっていくのですが、石灯籠や石仏の背後には、何十トンもありそうな巨石が複数あり、圧倒されます。

軍艦の砲撃跡と周防大島屈指の絶景・文珠山

写真:春野 公比呂

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文珠山山頂は遮る物が何もない草原で、360度のパノラマが広がり、周防灘、安芸灘、伊予灘と多島美の絶景が展開します。

第二奇兵隊の防塁の先にはトトロのトンネル

第二奇兵隊の防塁の先にはトトロのトンネル

写真:春野 公比呂

文珠山から南東に下り、鞍部の作業道を横切って植林帯に入ると、右手の尾根沿いに涸れ沢跡のようなものが現れます。これが第二奇兵隊の防塁なのです。幕末ファンならこれを辿りたい所ですが、最初の部分は急勾配なので、この後、登山道と並行する形で再び現れる箇所を見学するといいでしょう。

第二奇兵隊の防塁の先にはトトロのトンネル

写真:春野 公比呂

登山道が再度鞍部を横切る所の付近の防塁はヤブ化していますが、道が長い一直線になった箇所では、防塁が道に沿って延々と続いています。

下から山の斜面を這い上がってくる松山藩軍は、防塁に隠れた第二奇兵隊の姿は見えません。第二奇兵隊の銃弾に松山兵は次々と倒れて行き、6月19日、遂に松山軍は大島を後にしたのです。四境の役では、他の三境の戦いでも長州軍が勝利し、幕府の権威は失墜しました。

第二奇兵隊の防塁の先にはトトロのトンネル

写真:春野 公比呂

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大島アルプス縦走路を進んで行き、嘉納山(691m)が近づいてくると、道の両側の草木が頭上を覆い、「となりのトトロ」に出てくる樹木のトンネル状になった箇所があります。

絶景の海軍レーダー跡と戦艦陸奥の副砲

絶景の海軍レーダー跡と戦艦陸奥の副砲

写真:春野 公比呂

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三角点を過ぎた先のピークが嘉納山山頂で、巨大な六角形のコンクリート台座があります。自治体や地元の郷土史家等はこれを太平洋戦争中の砲台跡としていますが、そのような記録は存在しません。

正しくは昭和17年に設置された呉海軍警備隊の電波探信所の電波探信儀(海軍に於けるレーダーの呼称)台座で、その記録は防衛省防衛研究所にあります。そんな戦争遺跡ですが、海軍のレーダー跡を見たことがない一般のハイカーらにとっては、興味深いものでしょう。

絶景の海軍レーダー跡と戦艦陸奥の副砲

写真:春野 公比呂

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レーダー跡の先にはまた絶景が待っており、雄大な瀬戸内海を見渡すことができます。尚、この北東下は大島口の戦い時の三石古戦場跡でもあります。

<文珠山と嘉納山の基本情報>
所在地:山口県大島郡周防大島町西三蒲から久賀、東屋代にかけて
電話番号:0820-72-2134(周防大島観光協会)
アクセス:大島大橋(本土と大島に架かる橋)から車で15分にて文珠堂。そこから約40分で文珠山、更に約50分で嘉納山。文珠堂前に無料駐車場あり

絶景の海軍レーダー跡と戦艦陸奥の副砲

写真:春野 公比呂

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島の東部、かつて松山藩領飛び地だった松ヶ鼻の陸奥公園には、兵器そのものの海軍の戦争遺跡があります。
連合艦隊は戦艦の大型化に伴い、停泊地を呉港から周防大島北方沖の柱島西側に変更したのですが、昭和18年6月8日、悲劇は起こります。停泊していた巨大戦艦陸奥の第三砲塔火薬庫で突如爆発が起こり、沈没したのです。乗員1474人中、艦長以下1121人が陸奥と共に海に消えたのでした。

昭和45年、陸奥記念館の建設が計画された際、海底に沈む陸奥の引き揚げが行われ、後年、陸奥公園に艦首の一部、副砲、スクリューが展示されました。
陸奥は竣工した大正10年当時は世界屈指の巨大戦艦で、副砲でも砲身の長さは7m、重量は砲座を含めると18トンにもなります。

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瀬戸内のハワイで戦時中の悲劇に想いを馳せる

瀬戸内のハワイで戦時中の悲劇に想いを馳せる

写真:春野 公比呂

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日本国内で戦艦の副砲が、これだけきれいな状態で残っていることは非常に貴重なことです。

瀬戸内のハワイで戦時中の悲劇に想いを馳せる

写真:春野 公比呂

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艦首も高さ2m、幅5mという大きさで16トンの重量がありますが、これは艦首先端のごく一部に過ぎません。実際は艦首部の甲板から船底までの高さは17mあったのです。
この野外展示場の側の陸奥記念館には、陸奥の各種引き揚げ品や乗組員の遺品等、展示しているので、より深く知りたい方は見学するといいでしょう。

瀬戸内のハワイで戦時中の悲劇に想いを馳せる

写真:春野 公比呂

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周防大島は「瀬戸内のハワイ」とも呼ばれ、風光明媚な地も多いのですが、陸奥公園内には、ハワイの夕焼けを若干彷彿させるような箇所もあります。
尚、この南方の伊保田港からは愛媛県の松山へフェリーが出航しているため、幕末ファンは、松山藩の史跡巡りを行うのもいいでしょう。

<陸奥公園の基本情報>
住所:山口県大島郡周防大島町伊保田
電話番号:0820-75-0042(陸奥記念館)
アクセス:JR山陽本線大畠駅から防長バス「周防油宇」行きに乗車し、1時間6分で「陸奥記念館前」降車。無料駐車場あり

大島口の戦いの史跡巡りを時系列で

周防大島にはまだまだ多くの大島口の戦いの史跡があり、自治体の公式サイトでは、戦いの様を紹介した動画も公開されています。それを見ると、幕府が第二次長州征討に至った経緯や、長州軍の戦法等がよく分かります。史跡の背景や進軍の様子が分かれば、史跡巡りを行っても楽しいものです。

また、大島には展望の優れた山も多く、山頂近くまで車で登れる山も少なくありません。海も美しく、干潮時に陸続きになる島もある等、海岸美も優れています。史跡や自然を探訪し、瀬戸内のハワイを満喫しましょう。

2019年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2011/09/18 訪問

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