写真:那須 マッキー
地図を見る頭や顔に触れんばかりのいろはもみじの下で、大勢の見物客が思わずスマホやカメラで撮りたくなる紅葉の風景が目の前に広がっています。大山元帥(大山巌・旧薩摩藩士・公爵)は西那須野町に約271ヘクタールの農場を持っていました。その一角には別荘も造られました。現在ではその農場の一部は那須拓陽高等学校(旧・那須農業高等学校)となっています。
写真:那須 マッキー
地図を見る明治期に日清・日露の戦いを勝利に導き、陸軍大臣や警視総監などを歴任した大山巌がこの世を去ったのは大正5年(1916年)12月10日。東京での国葬の後、列車で運ばれ、生前こよなく愛し、大山が開いた農場の一角に墓所がつくられました。
この参道のもみじは、大山の命日にあたる12月初旬まで色ずき、訪れる人々を楽しませてくれています
写真:那須 マッキー
地図を見るこの参道は大山巌の没後、大正5年12月下旬から翌大正6年にかけ、宮内省技師の山本直三郎の設計により整備されました。当時参道の両脇には様々な木が植えられました。墓所手前の約100メートルにはヒノキが、参道の約200メートルにはモミジと桜、ツツジなどが植えられました。モミジと桜は一本おきに植えられましたが、桜は枯れてしまったため伐採されてしまいました。
写真:那須 マッキー
地図を見る大山巌を描いた作品としては、司馬遼太郎の「坂の上の雲」やNHK大河ドラマの「八重の桜」などがあります。八重の桜では反町隆史さんが大山巌を演じました。記憶に新しいのは「西郷どん」などが有名ですね。
また、戊辰戦争の会津攻めの際に、会津若松城には、のちに後妻となる山川捨松とその家族が籠城していました。
写真:那須 マッキー
地図を見る写真:那須 マッキー
地図を見る大山家のご意志により、大山巌墓所以外の参道は市に寄贈され、市民の憩いの場となっています。
写真:那須 マッキー
地図を見るこの「大山参道」を含む那須野が原一帯は、2018年に「明治貴族が描いた未来〜那須野が原開拓浪漫譚」として日本遺産に認定されています。大山参道には樹齢100年を超えるイロハモミジが見事な色彩のグラデーションをみせてくれます。
11月の最も紅葉が美しい期間は夜間ライトアップも実施されます。
写真:那須 マッキー
地図を見る写真:那須 マッキー
地図を見る写真:那須 マッキー
地図を見る大山参道の墓所と向かい合うように「戦没者慰霊の碑」が建っています。紅葉トンネルの最終地点ということもあり、紅葉狩りに訪れた方々の休憩場所にもなっています。
写真:那須 マッキー
地図を見る戦没者慰霊碑の直ぐ脇には無料の駐車場やトイレがあります。
写真:那須 マッキー
地図を見る写真:那須 マッキー
地図を見る大山巌は薩摩(現在の鹿児島)出身でしたが、栃木県の那須野原の地をこよなく愛していました。西南戦争で兄と慕い尊敬する西郷隆盛を死なせてしまった後悔が生涯残り続けていました。それもあってか、故郷の鹿児島ではなく、西那須野に葬られた云われています。この墓所には大山巌をはじめとして、先妻の大山沢、後妻の大山捨松などの一族が葬られています。
遺品は陸上自衛隊宇都宮駐屯地の資料館に多数収蔵展示されています。
写真:那須 マッキー
地図を見る鬱蒼とした100メートル続くヒノキの森の奥に「大山巌元帥」の墓所があります。また、ここから徒歩約15分ほど大田原市寄りには、同じ明治期に生きた、学習院初代学長・陸軍大将・乃木希助の暮らした那須野別邸や銅像も建っているのですが、参道や墓所には大山の銅像はありません。しかし、東京上野公園にある西郷さんの銅像は、作者の高村光雲によると、いとこの大山巌をモデルにして銅像を制作したとも云われています。
住所: 栃木県那須塩原市下永田2丁目1023
アクセス:JR西那須野駅から徒歩約10分、西那須野塩原ICから国道400号方面(西那須野方面)約10分
2019年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/12/2更新)
- 広告 -