写真:服部 旅城
地図を見る上高津貝塚は、約4000〜3000年前の縄文時代後・晩期の遺跡で、ムラの跡です。
貝塚がある地域は、当時入り江だった霞ヶ浦に近く、周囲には森もありました。ムラの人たちは、魚貝類、木の実などを採取したり、森で狩りをして食料を得ていたと考えられます。
上高津貝塚は、霞ヶ浦沿岸の貝塚文化を語る貴重な遺跡として昭和52年(1977年)に国の史跡に指定されました。その後、復元整備を行い、平成7年(1995年)に登録博物館「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」として開館しました。
この施設は、上高津貝塚と考古資料館で構成されています。
写真:服部 旅城
地図を見る考古資料館の常設展示では、上高津貝塚と縄文人の生活について解説しています。上高津貝塚や他の遺跡の出土品などが展示されており、縄文時代について動画やジオラマを使ってわかりやく解説しています。
また、特別展や親子体験講座、考古学学習講座などを行っており、家族みんなで楽しく学べます。
写真:服部 旅城
地図を見る展示室の入口には、縄文時代の土器や石斧を再現したものが置いてあり、実際に触れることができますよ。
写真:服部 旅城
地図を見る貝塚は、縄文人が捨てた貝殻や動物の骨、土器などが積み重なった場所です。貝層断面展示施設があるので、実際に貝塚がどうようなものか知ることができます。
写真:服部 旅城
地図を見る貝層とは、貝殻が地中に堆積して、地層のように貝殻の層ができたものです。この貝層断面は、発掘調査時の貝層を同じ位置に再現したものです。貝層の断面に特殊な薬剤をつけて断面をはぎ取り、立体的に展示しています。
写真:服部 旅城
地図を見る近くで見てみると貝殻以外にも土器や動物の骨などがあります。
貝塚からは、石器や生活に使っていた道具なども出土しており、縄文人の生活の様子や食料などがわかる貴重な資料です。
写真:服部 旅城
地図を見る上高津貝塚は広場としても整備されており、竪穴住居、掘立柱建物、大型炉、墓など縄文時代のムラの様子を発掘調査の成果に基づいて復元しています。
当時のムラの人たちは、竪穴住居に住んでいました。
竪穴住居とは、地面を四角形に掘り込み、柱を建てて屋根を組み、葦などを屋根にしいてつくった建物です。住居の中には、火を燃やすための炉があり、屋根の頂部には換気口もつくられています。
写真:服部 旅城
地図を見るこちらは、集会所や作業場として使用されていたと考えられる掘立柱建物です。
掘立柱建物とは、地面に穴を堀り、柱をそのまま建ててつくった建物です。
広場の北側に竪穴住居が3軒、南側に掘立柱建物を復元しています。広場を散策しながら縄文時代の建築物をチェックしてみましょう!
写真:服部 旅城
地図を見る縄文時代の墓は、地面を掘って穴をつくり、そこに遺体を埋葬した後、土を盛り上げてつくっていました。土が盛り上がった部分は、時間がたつにつれて土がなくなっていき、発掘調査の時には周囲と同じ高さになっていました。広場の北側に、墓を復元しています。
写真:服部 旅城
地図を見るこちらは、広場の南側に復元された大型炉です。炉とは、火を燃やして物を加熱したりする施設です。大型炉の中から焼けた土器の欠片や塩を焼くときにできる不純物などが発見されており、海水を土器で煮詰めて塩をつくっていたと考えられます。大型炉は、炉の底を半分切り取った状態を復元しています。
縄文時代後・晩期には、すでに塩の採取が行われていたことや墓の形状など違った角度から縄文人の生活について知ることができますよ。
縄文時代のムラの様子を復元した広場や考古資料館がある「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」を巡って、縄文体験をしてみてはいかがでしょうか。
住所:茨城県土浦市上高津1843
電話番号:029-826-7111
開館時間:午前9時〜午後4時30分
休館日:毎週月曜日(祝日・振替休日の場合は開館し、火曜日が休館)
祝日の翌日(ただし祝日の翌日が土・日・休日の場合は開館し、火曜日が休館)
年末年始(12/28〜1/4)
アクセス:常磐自動車道「土浦北IC」より車で約15分
JR土浦駅西口6番乗り場からJRバス関東「イオンモール土浦」行き約10分
終点「イオンモール土浦」下車、徒歩約20分
※貝層断面展示施設・竪穴住居・掘立柱建物・縄文時代の墓(復元)・大型炉は、「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」所蔵です。
2020年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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