写真:東郷 カオル
地図を見るJR伊丹駅のすぐそばにある有岡城。立派な石垣が積まれていますが、これがお城だといわれなければ、駅前の公園かなと思ってしまうような便利な立地。この有岡城は中に入ってみると、外観とは全く違う遺構を見ることができます。石垣の一部は当時のまま。何度も伊丹駅を利用していても、外観からは想像のつかない、時代を超えた光景を見ることができます。最近は大河ドラマの影響か、訪れる人も以前よりは増えたように思えます。
写真:東郷 カオル
地図を見る有岡城は特に大きなお城ではありませんが、総構えと言われるお城で、城だけでなく城下町を含めて堀や石垣、土塁で囲い込んだ構造です。その規模は南北に600m、東西に400mあったと言われています。今でも伊丹の町のところどころにその名残を見ることができます。
土牢があったと思われる場所は、写真を撮る人や地面をさわってじっとしている人など、それぞれ歴史ロマンに思いを馳せているようです。
写真:東郷 カオル
地図を見る村重は信長に対して反旗を翻し、説得に赴いた官兵衛を幽閉してしまう、というのは度々戦国時代を扱ったドラマでも出てくる場面。有岡城は信長に攻められ、単身脱出した村重は、嫡男の居城である尼崎城へと逃亡します。信長から、尼崎城と花隈城を明け渡すなら、家族と家臣の命は助けると提案されますが、村重はこの和平案を拒否。信長の逆鱗に触れ、「今楊貴妃」と称された絶世の美女、妻の「だし」も例外なく、一族・家臣ともども悲惨な末路を辿ったというのは有名な話です。
村重が逃げ込んだ尼崎城は、大物(だいもつ)城のことだと言われています。現在一般に「尼崎城」と呼ばれているものは、江戸時代に築城された城のことで、戦国時代の尼崎城(大物城)とは別物です。江戸時代の尼崎城はこの大物城の上に築かれたという説と、大物城と江戸時代に築かれた尼崎城は別の場所という説があり、はっきりしたことはわかっていません。
現在、尼崎城の復元された石垣の中のいくつかは、矢じりの痕が残る、江戸時代以前のものが使われていますので、探してみるのもおもしろいです。
有岡城跡から尼崎城跡までは、JR伊丹駅で乗車、JR尼崎駅で下車し、徒歩またはバスで阪神電車・尼崎駅まで行くと便利です。
有岡城からではなく、大阪や神戸方面から直接尼崎城跡へ行く場合は、阪神電車・尼崎駅を利用すると駅からすぐの場所にありますのでアクセスが良いです。
写真:東郷 カオル
地図を見る尼崎城から逃亡した村重は花隈城へ。花隈城跡は神戸の街中にあり、今では駐車場として利用されていて花隈公園という名称になっています。有岡城跡と同じく、ぱっと見、歴史ある城跡とは気が付きません。この城で村重はしばらく籠城し、池田恒興らに敗れると、最後は毛利の元へと逃亡することとなります。
尼崎城跡から花隈城跡へのアクセス方法は複数あります。一番安くてしかも乗り換えなしで行けるのは、阪神電車の尼崎駅で乗車、阪神電車の元町駅下車、というルートです。
有岡城跡、尼崎城跡、花隈城跡ともに、駅から近いので一気に回ることができるでしょう。この3つは荒木村重の逃亡にまつわる城跡。できれば時代に沿って、有岡城跡⇒尼崎城跡⇒花隈城跡、の順で訪れたいものです。
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(2024/10/15更新)
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