『麒麟がくる』明智光秀ゆかりの京都・亀岡の城下町を歩こう

『麒麟がくる』明智光秀ゆかりの京都・亀岡の城下町を歩こう

更新日:2020/01/14 16:52

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
京都府亀岡市は、2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀が、戦国時代に丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城と城下町を築いたことが始まりです。のちに織田信長から丹波を拝領した光秀は、各地から商人を呼び寄せ城下町を発展させ、さらに丹波亀山城は「本能寺の変」の際に光秀出陣の地となりました。明智光秀が築いた城と城下町を歩いて、光秀の数奇な運命とその生涯に思いをはせてみませんか?
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城下町の散策に便利「JR亀岡駅観光案内所かめまるマート」

城下町の散策に便利「JR亀岡駅観光案内所かめまるマート」

写真:モノホシ ダン

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丹波亀山城址と城下町の散策には、JR亀岡駅の2階にあるJR亀岡駅観光案内所かめまるマートの利用が便利です。ここでは、城下町散策マップや明智光秀に関する資料の入手やグッズを購入することができます。

<JR亀岡駅観光案内所かめまるマートの基本情報>
住所:京都府亀岡市追分町谷筋1-6(JR亀岡駅2階)
電話番号:0771-22-0691
営業時間:9:00〜17:30
定休日:12月29日〜1月3日
アクセス:JR京都駅から山陰本線(嵯峨野線)快速で約20分

城下町の散策に便利「JR亀岡駅観光案内所かめまるマート」

写真:モノホシ ダン

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JR亀岡駅近くの南郷公園には、明智光秀公の銅像があります。歴史教科書でおなじみの本徳寺(大阪府岸和田市)所蔵の肖像画をもとに、市内在住の彫刻家とーじ・まサトシ(田路雅敏)氏によって製作され、2019年(令和元年)5月3日に「第47回亀岡光秀まつり」の中で除幕式が行われたものです。知将であり教養人でもあった光秀公の人柄がよく伺える像です。

<南郷公園の基本情報>
住所:京都府亀岡市古世町西内坪
アクセス:JR亀岡駅から徒歩約3分

光秀が本能寺の変の際に出陣した「丹波亀山城」

光秀が本能寺の変の際に出陣した「丹波亀山城」

写真:モノホシ ダン

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丹波亀山城は、1577年(天正5年)頃に、織田信長の命を受けた明智光秀が丹波攻略の拠点として築城しました。1582年(天正10年)の本能寺の変では、光秀がここから出陣し、信長を討ちました。

豊臣政権を経て、江戸時代になると幕府は西国大名に命じ、天下普請により近世城郭として大修築がなされました。しかし、明治の廃城令で、威容を誇った高さ約31mの層塔型の天守はもとよりすべてが払い下げられ、城址は荒れ放題となりました。

1919年(大正8年)、亀岡出身の宗教法人「大本」の教祖・出口王仁三郎師は、荒廃した丹波亀山城址を買い取り、大本信徒を動員して残った石を土中から掘り起こし、元の亀山城石垣を復元しました。
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光秀が本能寺の変の際に出陣した「丹波亀山城」

写真:モノホシ ダン

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現在、丹波亀山城址は自然あふれる大本の聖地「天恩郷」として蘇っています。天恩郷の参観・見学には、みろく会館1階の総合受付で署名して「大本と丹波亀山城址」と書かれたパンフレットをいただきましょう。パンフレットには、詳しい散策図が載っています。なお、観光地ではありませんので、神域と書かれた場所には立ち入り禁止です。

写真の石碑上にそびえる大イチョウは、光秀公の手植えと伝えられるもので、江戸中期に台風で倒れ、後継ぎに若木を植えたとの記録が残っています。

<宗教法人大本・亀岡天恩郷の基本情報>
住所:京都府亀岡市荒塚町内丸1
電話番号:0771-22-5561(宗教法人大本)
アクセス:
JR亀岡駅下車徒歩約10分
京都縦貫自動車道「亀岡」IC下車約10分

城下町散策のオアシス「本町カフェ」

城下町散策のオアシス「本町カフェ」

写真:モノホシ ダン

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丹波亀山城の城下町は、1680年(天正8年)に明智光秀が本格的に整備し、京格子や虫籠窓など当時の風景や、紺屋町・呉服町・塩屋町といった城下町の名称が今も残っています。

旧山陰街道に面した本町通りに建つ本町・町家カフェは、築約100年の町家を「城下町歴史町並み案内所」として公開しています。トイレを借りることもできますので、城下町散策のおやすみ処として気軽に立ち寄ってみましょう。

城下町散策のオアシス「本町カフェ」

写真:モノホシ ダン

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四間続きの部屋の奥には庭があって、一間一席のゆったりした空間でくつろぐことができます。丹波亀山城から譲り受けた襖絵や欄間もみどころです。

城下町散策のオアシス「本町カフェ」

写真:モノホシ ダン

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本町・町家カフェでは、ランチやカフェを楽しむこともできます。写真は、ジンジャーハニーホットミルク。メニューなど詳しくは、関連MEMOの本町カフェのホームページをご覧ください。

<本町カフェの基本情報>
住所:京都府亀岡市本町51番地
電話番号:090-1598-5420
営業時間:10:00〜17:00
定休日:火・木および年末年始
アクセス:JR亀岡駅から徒歩約15分

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城下町きってのパワースポット「王地山稲荷大明神」

城下町きってのパワースポット「王地山稲荷大明神」

写真:モノホシ ダン

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形原神社は、かつて丹波亀山城にあった5つの入口のひとつであり、大手門跡に建っています。主祭神は、1748年(寛延元年)、丹波篠山から亀山藩へ入封した形原松平家の松平信岑(まつだいらのぶみね)で、歴代藩侯を祀る社として、1880年(明治13年)に創祀されました。

<形原神社の基本情報>
住所:京都府亀岡市横町
電話番号:0771-22-0691(JR亀岡駅観光案内所)

城下町きってのパワースポット「王地山稲荷大明神」

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王地山稲荷大明神は、「負けきらい稲荷」とも呼ばれ、勝利の守護神として厚く信仰されています。江戸時代、江戸両国の回向院で毎年開催される将軍上覧の相撲大会に、各藩は選りすぐりの力士を送り競い合いました。しかし、亀山藩の力士は負けてばかりでした。

ある時、亀山藩の力士が他を圧倒する連戦連勝の強さを見せました。殿様は大喜びで褒美を遣わそうとしたところ、この力士が忽然と消え、やがて王地山稲荷の化身であったことが分かりました。

このことがあってから大勝利の守護神として広く信仰され、本殿にも力士を描いた絵馬が奉納されています。

<王地山稲荷大明神の基本情報>
住所:京都府亀岡市北古世町1丁目17
電話番号:0771-22-0691(JR亀岡駅観光案内所)

城下町きってのパワースポット「王地山稲荷大明神」

写真:モノホシ ダン

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王地山稲荷大明神のすぐ近くにある古世親水公園は、丹波亀山城の外堀だったところで、豊富な水が湧き出ることから野菜洗い場など、地域の生活に欠かせない憩いの場になっています。

<古世親水公園の基本情報>
住所:京都府亀岡市北古世町1丁目17
電話番号:0771-22-0691(JR亀岡駅観光案内所)

足をのばして「光秀寺」と呼ばれる谷性寺も訪れるのもいい

足をのばして「光秀寺」と呼ばれる谷性寺も訪れるのもいい

写真:モノホシ ダン

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京都の奥座敷と呼ばれる湯の花温泉の近くにある谷性寺は、通称「光秀寺」と呼ばれる、不動明王を本尊とする真言宗大覚寺派の寺です。光秀は、丹波攻略の際にこの不動明王を尊崇し、その御加護を受けたといわれています。

1580年(天正8年)、光秀が丹波を攻略し、平定を成し遂げた際には、織田信長から「天下の面目をほどこし候」とその軍功を絶賛されていることから、織田家家中でいかに光秀が優秀であったかが分かります。しかし、本能寺の変はそのわずか2年後に起こりました。

境内には山崎の戦いで敗れて、小栗栖で落命した光秀の首塚が祀られ、命日にあたる6月14日には回向が行われています。また初夏には明智家の家紋である桔梗が咲き乱れ「桔梗寺」とも呼ばれています。

<谷性寺の基本情報>
住所:京都府亀岡市宮前町猪倉土山39
電話番号:0771-26-2054
アクセス:
京阪京都交通バス「猪倉」下車徒歩約5分
京都縦貫自動車道「亀岡」IC下車約15分

足をのばして「光秀寺」と呼ばれる谷性寺も訪れるのもいい

写真:モノホシ ダン

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谷性寺の門前にある「ききょうの里」では、例年梅雨から初夏にかけて約5万株のききょうの花が咲き誇ります。谷性寺を拝観した際に時期が合えばあわせて訪れてみてはいかがでしょうか。

<ききょうの里の基本情報>
住所:亀岡市宮前町猪倉(谷性寺門前)
電話番号:0771-22-0691(JR亀岡駅観光案内所)
開園期間:6月下旬から7月中旬(開花時期によって異なる)
開園時間:9:00〜17:00
入園料:600円(中学生以上)

麒麟がくる 京都大河ドラマ館とともに訪れたい

いかがでしたか。明智光秀がなぜ「本能寺の変」を起こしたのかは、いまだにもって謎とされています。信長を本能寺に襲って斃すことはたやすいとしても問題はその後です。

織田家中で同僚だった羽柴秀吉や柴田勝家、あるいは信長の盟友の徳川家康らが、本能寺の変の結果を受け入れて、素直に光秀の指示に従うとは到底考えられず、それは聡明な光秀には分かりすぎるほど分かっていました。

ここで、信長を斃すことは“天下人レース”を再び勃発させることでもあり、光秀にとってこれほどばかばかしいことはありませんでした。それでも光秀は、あえて本能寺へと向かわねばならなかった。この光秀の心の葛藤は今後も解き明かされることはないと思われます。

なお、亀岡では京都スタジアム内の特設会場で、2020年1月11日(土)〜2021年1月11日(月・祝)まで「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」が開催されています。光秀とは何者か。大河ドラマの進行とともにこちらも楽しんでみてはいかがでしょうか。

2020年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/30−2020/01/11 訪問

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