写真:木村 岳人
地図を見るフィジャックの町の歴史は8世紀初頭に修道院が築かれたことに始まります。中世に入りサンティアゴ巡礼が盛んになると、フィジャックは重要な巡礼地である「ロカマドゥール」とサンティアゴへの巡礼路「ル・ピュイの道」を結ぶ結節点に位置することから数多くの巡礼者で賑わいました。
町には巡礼者に宿泊場所や医療などの提供を行っていた施設である「救護院」が5つも設けられ、また他所の町からの移住者も増加し、フィジャックの町は大いに発展しました。
写真:木村 岳人
地図を見る14世紀にはフランス国王より自治権が認められ、市街地を取り囲む市壁や掘、監視塔が築かれるなど、町は城塞化されました。しかし16世紀のユグノー戦争においてユグノー軍に攻め立てられ陥落、多大な被害を受けました。
復興した後の18世紀には市壁が取り除かれて掘も埋められたのですが、市壁内部の家々は現在も旧市街地として残っており、中世の趣を残す町並みを目にすることができます。
写真:木村 岳人
地図を見るフィジャックの旧市街は複雑に入り組む路地に昔ながらの建物が軒を連ねています。中でも旧市街地の中心に位置する「シャンポリオン広場」には、華やかなゴシック様式の尖塔窓を持つ「テンプル騎士団の家」など、見応えのある歴史的建造物が密集しています。
写真:木村 岳人
地図を見るシャンボリオンという広場の名前は、フィジャック出身の古代エジプト学者「ジャン=フランソワ・シャンポリオン」に由来します。シャンボリオンはロゼッタストーンを解読した傑物で、「古代エジプト学の父」と称されています。
シャンポリオン広場にはシャンボリオンの生家も現存しており、その建物横の路地を進んだ裏手にある「文字の広場」には巨大なロゼッタストーンのレプリカが展示されており必見です。
写真:木村 岳人
地図を見るフィジャックの旧市街には象徴的な教会が二つ存在します。一つは旧市街北側の高台に鎮座する「ノートルダム=ド=ピュイ教会」。フィジャックに残る教会の中で最も歴史が古く、その創建は9世紀にまで遡ると伝わります。現存する建物は13世紀にゴシック様式で築かれたものですが、部分的に12世紀のロマネスク彫刻も見られます。14世紀には拡張され、その後の修理を経て現在の姿になりました。
写真:木村 岳人
地図を見るもう一つは旧市街の南側、セレ川沿いの広場にそびえる「サン=ソヴール教会」です。こちらは12世紀にロマネスク様式で建てられ、その後の14世紀から15世紀にかけてゴシック様式で改築されました。残念なことに19世紀に正面ファサードを含むロマネスク様式の部分がほとんど破壊されてしまいましたが、内装の一部に12世紀のロマネスク彫刻が残っています。
写真:木村 岳人
地図を見る旧市街の町並みを堪能した後は、ぜひとも旧市街の西側にある「サン=ジャック病院」にも足を運んでみてください。フィジャックとロカマドゥールを結ぶ巡礼路沿いに位置しています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラに眠る聖人「サン=ジャック(聖ヤコブ)」の名を冠する「サン=ジャック病院」は、フィジャックに設けられた5つの救護院のうちの1つにルーツを持つといいます。
写真:木村 岳人
地図を見るその創建は13世紀の初頭にまで遡ると考えられており、実際13世紀から14世紀にかけての寄付の記録が数多く残されています。1682年からは病院として使用されるようになり、以降、度々の拡張と改装を繰り返してきました。
写真:木村 岳人
地図を見る現在の「サン=ジャック病院」では、北側が開いたコの字状に病棟が配されています。そのうち西棟は1770年、南棟は1779年の建造で、解体された市壁の石材を再利用して築かれたと伝わります。その後の19世紀には東棟が建てられ、今に見られる姿となりました。
写真:木村 岳人
地図を見る世界遺産になっているのはこれら3棟の病棟と、東棟の北側に付随する14世紀の礼拝堂です。現在も病院として利用されているので内部の拝観はできませんが、中世より数多くのサンティアゴ巡礼者を受け入れてきた、救護院としての歴史を感じ取ることができるでしょう。
住所:Figeac, lot, Occitanie
電話番号:+33 5 65 34 06 25(フィジャック観光案内所)
アクセス:ロデズからバスで約1時間30分
2020年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索