写真:乾口 達司
地図を見る当地が公園に指定されたのは、明治9年(1876)のこと。それ以前は「千代の松原」と呼ばれる、風光明媚な博多湾沿いの名所でした。では、なぜ、そのような名所が元寇ゆかりの地なのでしょうか。実は東公園の付近は、元寇・文永の役(1274年)に際して、日本軍と蒙古軍との合戦が繰り広げられた古戦場なのです。そういった関わりから、当地は愛国思想の持ち主で、福岡警察署長でもあった湯地丈雄主唱による元寇記念碑建設運動の中心地となったのでした。
東公園の北側を歩くと、写真のような、巨大な銅像が屹立する光景に出遭います。これは隣接する宗教法人日蓮聖人銅像護持教会が管理する銅造日蓮上人立像。日蓮上人が当時の最高権力者・北条時頼に『立正安国論』を提出し、蒙古の襲来を予言したことは、ご存知でしょう。そのエピソードにちなんで、元寇の古戦場である東公園の敷地内に日蓮聖人の銅像が建てられたのです。
本像は明治37年(1904)に完成した青銅製の像で、福岡市の文化財に指定されています。その重量は74.25トン、像高は10.55メートル!その度肝を抜くスケールの大きさに、ぜひ、圧倒されてください!
写真:乾口 達司
地図を見る日蓮上人像にお参りする際は、銅像を支える巨大な台座にも注目!台座には上人と元寇との関わりを画いたレリーフが、複数枚、はめ込まれています。写真は、文永の役の際、襲来した蒙古軍が対馬の島民を虐殺するシーンを描いたもの。ほかにも、上人の辻説法やいわゆる「龍ノ口の法難」を描いたシーン、日本軍と蒙古軍との合戦の様子を描いたシーンなどが刻まれており、蒙古の襲来を予言した聖人の偉大さを思い知らされるとともに、元寇そのものの経過までも学ぶことができます。
写真:乾口 達司
地図を見る東公園において、日蓮上人像と並ぶ主役といえば、現在、福岡県指定の有形文化財に選ばれている写真の銅造亀山上皇立像でしょう。元寇の折、ご子息である後宇多天皇とともに伊勢神宮に参拝した上皇は「我身を以って国難にかえたまえ」と神前で祈願し、未曾有の国難に立ち向かったとされています。台座部分を除いた高さは4.8メートル。高村光雲の弟子・山崎朝雲によって木彫の原型が制作され、明治37年(1904)に建立された銅像です。
写真:乾口 達司
地図を見る日蓮上人像の近くに位置する元寇史料館は、その名のとおり、元寇関連の史料を多数展示した資料館。蒙古軍の兵士が着ていた当時の鎧兜や武器類などが展示されており、当時の元寇の様子を学ぶのに格好の施設です。ただし、ただし、開館は土日のみ。館内を観覧する際には注意をしましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る東公園を訪れたら、公園ならではの魅力も満喫したいものです。特に私がお勧めしたいのは、亀山上皇像からの眺め!周囲に比べて高台になっているその頂上から四方を眺めると、高層ビル群にかこまれた東公園がまさしく都会のオアシスであることを実感できるはず。元寇関連の歴史を学んだ後は亀山上皇像が立つ高台に腰を下ろし、歴史のロマンにひたりながら、一息ついてみてはいかがでしょうか。
東公園が有する意外な歴史に驚かれた方も多いのではないでしょうか。特に元寇の歴史を学びたい歴史愛好家には、ぜひ、訪れていただきたいスポットです。JR博多駅や福岡空港からだと、地下鉄を利用して20分足らずで到着してしまうので、アクセスも便利。歴史好きはもちろん、それ以外の方も、博多散策の折に足を伸ばしてみることをお勧めします。
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(2023/12/10更新)
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