南蛮人の見つめる先は?数々の歴史を有する大阪府の「旧堺港」

南蛮人の見つめる先は?数々の歴史を有する大阪府の「旧堺港」

更新日:2020/02/22 15:31

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
大阪府堺市といえば、世界遺産・百舌鳥古墳群をはじめ、古代以来の長い歴史を持つ地。中世には日本有数の自治都市として、その名を歴史の一ページに刻んでいます。そんな堺の海の玄関口こそ「旧堺港」。「旧堺港」とその周辺を歩くと、堺がいかにさまざまな歴史の舞台となって来たかがわかります。今回はそんな「旧堺港」とその周辺の観光スポットをご紹介しましょう。

新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴い、外出自粛要請が出されている都道府県があります。各種報道機関の発表や自治体のホームページなどで最新情報をご確認ください。(LINEトラベルjp)
LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

いまもなおヨットハーバーとしての役割を残す「旧堺港」

いまもなおヨットハーバーとしての役割を残す「旧堺港」

写真:乾口 達司

地図を見る

「旧堺港(きゅうさかいこう)」は大阪府堺市にある港。中世、日本有数の自治都市として名を馳せた「堺」の海の玄関口で、畿内における海外貿易の拠点となった港です。江戸時代中期になされた大和川の付け替え事業によって港としての機能は失われましたが、現在もヨットハーバーとしてたくさんのヨットが停泊しています。

いまもなおヨットハーバーとしての役割を残す「旧堺港」

写真:乾口 達司

地図を見る

その一角に立つのが「呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)」の像です。呂宋助左衛門は安土桃山時代に活躍した商人。現在のフィリピンに位置するルソン島へ渡り、貿易によって巨万の富を得たといわれています。助左衛門は、その後、豊臣政権から贅沢を戒められて国外に追放されてしまいますが、当時、助左衛門のような豪商が堺にはたくさん暮らしていたのです。その意味でかつての堺の繁栄を象徴した銅像であるといえるでしょう。

いまもなおヨットハーバーとしての役割を残す「旧堺港」

写真:乾口 達司

地図を見る

呂宋助左衛門像と港を挟んで対峙するように立っているのが、こちらの「龍女神像」。1903年に内国勧業博覧会が大阪で開かれた折、大浜水族館前に置かれていた像で、長らく「乙姫さん」の愛称で親しまれていました。しかし、水族館の廃館によって撤去され、2000年、現在の位置に復元建設されました。

呂宋助左衛門像が中世から近世初頭の堺を象徴した銅像であったのに対して、龍女神像は堺の近代における繁栄を象徴した像であるといえるでしょう。

<旧堺港の基本情報>
住所:大阪府堺市堺区北波止町
アクセス:南海本線線「堺駅」より徒歩約5分

旧堺港から流れ込む掘割

旧堺港から流れ込む掘割

写真:乾口 達司

地図を見る

旧堺港からは引き込み用の水路が内陸方面にのびており、そのまま旧市街地を取りかこむ掘割となっています。掘割は、中世、自治都市として繁栄した堺の旧市街地にとって外敵からの防衛と水上輸送の役割を果たしていました。

写真は旧堺港から引き込まれた水路が左右に分岐していく栄橋付近の様子を撮影したもの。ここからは堺の旧市街地を取りかこんだ掘割がいかに立派であったかがわかりますよ。

旧堺港から流れ込む掘割

写真:乾口 達司

地図を見る

そんな掘割をじっと見つめているのが、こちらの御仁。安土桃山時代、堺を訪れた南蛮人(西洋人)の像で、その名のとおり、「南蛮橋」と呼ばれる橋の上にたたずんでいます。南蛮人の像まであるとは、さすがはかつての国際都市・堺ですね。

<栄橋・南蛮人の像の基本情報>
住所:大阪府堺市堺区市之町西
アクセス:南海本線線「堺駅」より徒歩約5分

現存する日本最古の木造洋式灯台「旧堺燈台」

現存する日本最古の木造洋式灯台「旧堺燈台」

写真:乾口 達司

地図を見る

旧堺港の周辺には、港にゆかりの遺構も点在しています。その代表格が、国指定史跡となっているこちらの「旧堺燈台」。1877年に築造された、現存する日本最古の木造洋式灯台です。灯台としては1968年にその役割を終えますが、現在も往時をしのぶものとして残されています。

現存する日本最古の木造洋式灯台「旧堺燈台」

写真:乾口 達司

地図を見る

旧堺灯台のすぐ横を通っているのは、阪神高速4号湾岸線。灯台と高速道路とが共存している点に、堺の過去と現在が象徴されていますね。

<旧堺燈台の基本情報>
住所:大阪府堺市堺区大浜北町
アクセス:南海本線線「堺駅」より徒歩約10分

LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

幕末維新史の舞台も!天誅組上陸碑と堺事件の碑

幕末維新史の舞台も!天誅組上陸碑と堺事件の碑

写真:乾口 達司

地図を見る

堺といえば、自治都市として繁栄をきわめた中世から安土桃山時代の歴史をつい思い浮かべてしまいがちですが、幕末から明治維新にかけての時代にも大きな足跡を残しています。

その代表的な石碑が、旧堺港の脇に立つ「天誅組義士上陸遺蹟碑」です。天誅組は、幕末、中山忠光を中心にして結成された尊皇攘夷集団。大和国で挙兵し、幕府方の大和国・五条代官所や高取城を攻撃しましたが、幕府軍の追討を受けて壊滅しました。都を旅立った彼らが淀川を下り、大阪湾を経由して旧堺港に上陸したのは、1863年8月のこと。彼らは堺から大和国へ進撃したのです。

幕末維新史の舞台も!天誅組上陸碑と堺事件の碑

写真:乾口 達司

地図を見る

その横にあるのが、1868年3月、旧堺港において発生した「堺事件」の石碑で「明治初年佛人撃攘之處」と刻まれています。森鴎外の『堺事件』や大岡昇平の『堺港攘夷始末』によって知られる「堺事件」とは、土佐藩士によるフランス兵殺傷事件のこと。明治維新によって成立したばかりの明治新政府はフランスの要求を聞き入れ、事件にかかわった土佐藩士に切腹を命じました。

天誅組の騒乱や堺事件でも旧堺港が歴史の舞台であったこと、ご存知でしたか?

<天誅組義士上陸遺蹟碑・明治初年佛人撃攘之處の石碑の基本情報>
住所:大阪府堺市堺区栄橋町
アクセス:南海本線線「堺駅」より徒歩約5分

海防や海難事故をいまに伝える旧跡の数々

海防や海難事故をいまに伝える旧跡の数々

写真:乾口 達司

地図を見る

ほかにも、旧堺港の周辺には、黒船の来航以降、諸外国からの脅威に対抗するために築かれた「台場」の遺構も見られます。「台場」とは、砲台場の略称。写真は旧堺港に隣接する大浜公園内の南台場の遺構で、港を挟んで北側にも台場が設けられていました。

海防や海難事故をいまに伝える旧跡の数々

写真:乾口 達司

地図を見る

珍しいのは「擁護璽(ようごじ)」と呼ばれるこちらの石碑。1854年に発生した安政南海地震にちなんだ石碑で、地震とそれによって引き起こされた津波の規模、それに対する当時の人々の対処内容などが刻まれています。貴重な歴史史料として、現在、堺市指定有形文化財となっています。

<大浜公園の基本情報>
住所:大阪府堺市堺区大浜北町
アクセス:南海本線線「堺駅」より徒歩約10分

旧堺港をめぐり、堺の知られざる歴史を学ぼう

旧堺港とその周地域にいかにさまざまな歴史があるか、おわかりいただけたでしょうか。堺の街の海の玄関であった旧堺港歴史を知ることは、そのまま堺の歴史を知ることになるのです。そのような観点から旧堺港とその周辺を散策してみてはいかがでしょうか。

2020年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら
掲載内容は執筆時点のものです。 2020/01/26 訪問

- PR -

条件を指定して検索

LINEトラベルjpで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -