写真:いまづる めぐ
地図を見る炭鉱事業は昔の日本にとって欠かせない経済成長の一つでしたが、1975年ころになると品質劣化や外国の炭鉱が活性化したことにより、日本の炭鉱事業は下降し閉山に追い込まれました。多くの炭鉱が閉山に追い込まれる中、九州で唯一残っていた炭鉱が「池島」だったんです。
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地図を見る世界遺産でもある軍艦島は日本でも一番有名な元炭鉱ですが、老朽化、そして現存保護のため立ち入ることができるエリアがかなり限られている上、ツアーでしか上陸することができません。それに比べて同じく長崎県にある池島は自分の足で探索することができます。
1959年に始まった池島炭鉱は、現在人口は約130人ほどしかいませんが炭鉱事業ピーク時は7500人もの人で賑わっていました。低価格の外国の炭鉱に押され人員削減、コストカットも行いましたが2001年11月29日に閉山し、その後は日本の石炭技術を海外に移転するため海外研修に力を入れました。
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地図を見る現在の池島港は昔「鏡池」と呼ばれていました。それには日本の第14代の天皇である仲哀天皇の皇后「神功皇后」にまつわる伝説が関わっています。三韓征伐から帰還途中、神功皇后が池島に上陸し湖畔をあゆみ、池のほとりで遠征の労を癒し、清き水面に英姿を映されたと言われており、その後「鏡池」(現池島港)というようになりました。
写真:いまづる めぐ
地図を見る池島に訪れる方が一番目当てにして訪れる、旧炭鉱住宅はなんと8階建てのアパート!離島で8階建てというのにも驚きですが、地形をうまく利用し、正面の道路から1階から4階、裏側からは5階から8階に行けたためエレベーターを必要としませんでした。
写真:いまづる めぐ
地図を見る8階建てアパートの他にも、炭鉱住宅跡があり、これらは1953年頃から建設が開始され1978年までに50棟が建てられました。ちなみに建物内には入ることはできませんが、ツアーに参加すればアパートの一室、屋上に行くことができます。その他、アパートではありませんが、池島中央会館は宿泊することが可能です。
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地図を見る第2立坑の立坑ゲージ(エレベーターかご)は上中下段に各30人乗りの合計90人を海面下650mまで、なんと100秒で運んでいました。地下で作業する作業員を見守る女神像も1983年に建立されています。それは第2立坑の立坑ゲージ近くの地を見つめ、作業員の安全を願うものでした。
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地図を見る日本の離島には猫がいっぱいいる島が多くありますが、池島もその一つ。暖かい日は日向ぼっこしています。歩いて探索できるからこそ楽しめる風景ですよね。
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地図を見る池島は立ち入り禁止区域以外、自分の足で探索できますが、炭鉱体験できるツアーもありますので、歴史や成り立ちを知りたい方にはツアー参加もおすすめです。
住所:長崎県長崎市池島町
アクセス:神ノ浦港からフェリーで26分、瀬戸港からフェリーで28分
2020年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
いまづる めぐ
海外を中心に多くの場所を訪れて来ました。東京→フィリピン→フランス→ベトナム→大阪と転々としております!現在は数年後にヨーロッパで働く為に日本で準備中。ベトナムでは旅行会社に勤務していたので、ベトナム…
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(2025/1/17更新)
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