太平洋戦争を戦った戦車を祀る若獅子神社〜富士宮市〜

太平洋戦争を戦った戦車を祀る若獅子神社〜富士宮市〜

更新日:2014/05/29 17:58

陸軍少年戦車兵学校があった跡地に、兵学校出身の教官や生徒など戦争で活躍した御霊が祀れている若獅子神社。その境内に、サイパンの戦闘で実際に使用された、痛々しい姿の戦車が置かれています。戦争での激戦を物語る貴重な戦車を見て、戦争と平和について考えてみませんか?

ひっそりとした静かな境内

ひっそりとした静かな境内
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白い鳥居と高い塔が目を引く、若獅子神社。
かつてここは、陸軍少年戦車兵学校があった場所。学校は30万坪もの広大な敷地をもち、昭和17年から終戦まで、20歳にも満たない少年約2400人が、戦車隊として訓練を受けていたそうです。

「若獅子」の名の元に、ここから出征した教官や生徒約600人が戦地で命を落としたそうです。昭和40年12月、学校跡のこの地に戦没した同窓生の慰霊・顕彰のため、若獅子の塔を建立し、それ以来毎年慰霊祭を行ってきました。その後、建塔20年を期に永久平和への祈りをこめ、有志の奉賛によって若獅子神社は創建され今日に至っています。

激戦をくぐった戦車

激戦をくぐった戦車
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神社の境内(左側)にある戦車。もう動かないと分かっていても、銃口がこっちを向いていると思わず「ドキッ」としてしまうくらい凄みがあります。

この戦車は、昭和19年に玉砕したことで知られる島・サイパンの戦闘で機甲部隊の主力として投入された「九七式中戦車」(チハ車)。戦後30年余り経ってからサイパンの地中深くで発見され、昭和51年に帰還してここに安置されました。戦車の操縦は、ここの兵学校出身の少年兵達だったそうです。

生々しい傷跡

生々しい傷跡
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丸焼けになった戦車の車体には、無数の弾痕の跡が。硬い鉄にめり込んで出来た跡は、戦火の激しさや厳しさを物語り、まるで砲弾や銃などの轟音が聞こえてくるような生々しさ。
戦争を知らない世代でも、充分に戦争の悲惨さや酷さを実感できる場所です。

若獅子神社の詳細はMEMOの【若獅子神社】よりご確認下さい。

おわりに

若獅子神社の西側入口には「陸軍少年戦車兵学校」の門柱などの、当時の兵学校跡の名残りを見ることができます。
神社へは、国道139号線バイパス上井出インターで降りて約3分。案内看板も出ているので、分かり易いです。

神社近くに「白糸の滝」・「ミルクランド」などの観光名所もありますが、併せて是非一度訪れてほしい場所。日本の礎を築いて下さった感謝の気持ちと共に、平和の尊さを考えてみてはいかがでしょうか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/05/26 訪問

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