軍師官兵衛、週に11回入浴!?関西の奥座敷・有馬温泉歴史たび

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軍師官兵衛、週に11回入浴!?関西の奥座敷・有馬温泉歴史たび

軍師官兵衛、週に11回入浴!?関西の奥座敷・有馬温泉歴史たび

更新日:2014/05/29 13:57

塚本 隆司のプロフィール写真 塚本 隆司 ぼっち旅ライター

日本で一番古い温泉といわれ、日本三古泉(有馬・白浜・道後)・日本三名泉(有馬・草津・下呂)にも数えられる有馬温泉。関西都市部からのアクセスもよく、宿泊はもちろん、日帰りでも気軽に楽しめる温泉街だ。
大河ドラマ「軍師官兵衛」でも登場するように、現在の有馬温泉を形作った太閤秀吉のいた戦国時代に思いを馳せながら“歴史たび“をしよう。

有馬温泉の歴史ダイジェスト

有馬温泉の歴史ダイジェスト

写真:塚本 隆司

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戦国時代を中心に見所を紹介したいので簡単に有馬温泉の歴史を振り返るとする。

神代の昔、赤い水を浴びて傷を癒している三羽のカラスを見て温泉を発見と湯泉神社縁起にある。湯泉神社(とうせんじんじゃ)の名は、日本書紀(720年)や延喜式神名帳(927年)にも登場し、神社としての歴史の古さを物語っている。
奈良時代(約1300年前)、僧の行基が薬師如来の導きで有馬温泉が栄える基礎を築く。
鎌倉時代(約800年前)、 天災で壊滅していたのを仁西上人が再興。
安土桃山時代(約400年前)、太閤豊臣秀吉が戦乱や天災で荒廃していたのを整備し、現在の発展につながっていくのである。

写真の温泉寺は僧行基が薬師如来を本尊にして建立したもの。以来、有馬温泉の中心として庶民と共にあったという。
現在ここには、小さいながらも歴史を紹介する資料室「御祖師庵(みそしあん)」がある。歴史に興味はなくとも、わかりやすくコンパクトにまとめてあるのでオススメしたい。

有馬温泉における太閤秀吉の足跡

公式な記録でいえば、太閤秀吉(豊臣秀吉)が有馬に始めて訪れたのは、西暦1583年。織田信長の死後、覇権争いで重臣柴田勝家と戦った賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いの後である。以後、9度に渡り訪れている。

妻のねね(北政所)や側室、千利休などを伴い湯治に訪れ茶会などを催したようだ。太閤秀吉の詠んだ歌が残されている。
「月も日も いのち有馬の湯にうつり やまひはなしの花とちりけり」
有馬の湯に月も日も美しく写り、病もすっかり治ってしまった、とある。
有馬の湯を大変気に入った太閤秀吉は、多くの武将や有力者に湯治をすすめていたことから、「おもてなしの場所」として活用していたことが伺える。

有馬温泉には寺院のように「坊」の名のつく宿やホテルが多くあるが、これは仁西上人が再興したおり、薬師如来を守る十二神将にちなみ、十二の宿坊を建てたのがはじまりで、太閤秀吉の頃には20もの宿坊があったという。なかでも「北の坊」は、傷ついた兵士の療養先として使われていたことから、「兵衛」という屋号の使用を許された。これが、関西人なら誰でも歌える「♪ありまひょうえの こうようかくへ〜♪」でおなじみの老舗旅館「兵衛向陽閣」である。

写真は、有馬温泉駅近くのゆけむり広場にある「茶人太閤像」。その視線の先は、有馬川をはさんで建つ「ねねの像」と向かいあっているという。そう聴くと「ねねの像」は、今にも手に持つ扇子を掲げ合図を送ろうとしているかのように思えてくる。

有馬温泉における太閤秀吉の足跡

写真:塚本 隆司

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発見!太閤秀吉が造らせた湯殿

今、注目しておきたいのは「太閤の湯殿館」だ。
湯泉神社へと続く長い階段の半ば、極楽泉源のある「ねがい坂」へ向かう道へ折れると極楽寺がある。その脇にあるのが「太閤の湯殿館」だ。
阪神・淡路大震災で倒壊した極楽寺庫裏付近の地下から太閤の湯山御殿(ゆのやまごてん)跡が見つかった。街に残る伝承どおりの場所に実際に御殿があったことになる。この保存と展示の為に造られたのが「太閤の湯殿館」というわけだ。

写真は庭園跡。実際にはこの場からさらに1m掘り下げたところにあるものを復元しているのだが、石垣もあるとおり、それなりの規模と防御を備えた、天下人の御殿にふさわしいものであった事が伺える。

発見!太閤秀吉が造らせた湯殿

写真:塚本 隆司

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蒸し風呂が主流!?

蒸し風呂が主流!?

写真:塚本 隆司

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この湯殿館には、露天風呂跡と蒸し風呂跡が保存展示されている。この頃は蒸し風呂が主流であり、下帯をつけたまま入浴するのが一般的であったそうだ。湯に浸かる入浴が一般化するのは江戸時代に入ってからである。

残念ながら、この湯殿に太閤秀吉は入っていない。完成後訪れる予定であったが天候不良や体調が思わしくなく、訪れることなく亡くなった。以降、徳川時代にはいると太閤秀吉の足跡は消されていくのである。

軍師官兵衛の足跡を訪ねて

司馬遼太郎の播磨灘物語では、1579年に黒田官兵衛は伊丹有岡城での1年に及ぶ牢生活で病んだ体を癒すため、有馬温泉の「池坊」に宿泊したと書かれているが今はない。

有馬温泉での療養について、書状にしたものが残っており「1週間で湯に11回入って快気にむかっているから、見舞いに来なくて良い」旨のことが書かれている。有馬温泉には、異なる泉質の湯が湧き出ていることが特徴なのだが、どの泉質の温泉に入ったかは不明らしい。金泉と呼ばれる独特の赤褐色の湯ではないことは分かっているようだ。

公式な記録ではないが、官兵衛が訪れた翌1580年、三木城攻めの後、太閤秀吉(当時、羽柴秀吉)が有馬に来た記録が残っているという(温泉寺古写記)。
戦の疲れを癒すため訪れ、二日間眠り続けたと書かれており、もしかすると官兵衛からも話を聞き訪れたのかも知れない。

写真は、温泉中心街から徒歩10分程度のところにある鼓ヶ滝。上下二段になって落ちる滝の音が鼓を打つ音に似ていることから名づけられたそうだ。官兵衛は和歌にも通じていたことを思えば、この滝を見に訪れたのではないだろうかと想像しながら歩いてみるのも良いだろう。現在は天災の影響で地形がかわり、鼓の音を聴くことはできなくなっている。

軍師官兵衛の足跡を訪ねて

写真:塚本 隆司

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おわりに

有馬温泉は温泉街を散策していても派手な呼び込みなどなく、ゆったりとした時間を過ごせる観光地だ。
見所は他にもあり、太閤秀吉が「いくら見ていても飽きない」と褒め称えたことから「日暮らしの庭」と呼ばれる紅葉の名所「瑞宝寺公園」など、散策していても飽きがこない。歴史好きの観点からご紹介したが、昔の人のことを思いながら旅をしてみるのもいいものだ。是非、関西の奥座敷を楽しんで頂きたい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/05/22 訪問

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