明治の西洋式灯台に旧官舎!愛媛県・釣島で明治期の産業遺産を巡る

明治の西洋式灯台に旧官舎!愛媛県・釣島で明治期の産業遺産を巡る

更新日:2020/03/01 15:10

いづやんのプロフィール写真 いづやん 島旅フォトライター
瀬戸内海には数多くの島がありますが、愛媛県松山市にも島があることをご存知でしょうか。忽那諸島と言われる有人島9島からなる島々は、海の幸もさることながら、どの島でも柑橘栽培が盛んです。

古くから人が住み、様々な産業や歴史に彩られてきた島々のうち、訪れる人も少ない釣島(つるしま)にある歴史的価値の高い灯台と史跡をご紹介します。

三津浜港か高浜港から船で釣島へ

三津浜港か高浜港から船で釣島へ

写真:いづやん

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釣島を含む忽那諸島の島々に渡るには、松山市の西側に位置する三津浜港か高浜港からフェリーか高速船に乗ります。

フェリー、高速船の便は、忽那諸島最大の島・中島の東側を行き来する「東線」と、西側の「西線」に分かれています。釣島は、そのうち「西線」の「フェリーのみ」が就航しています。

三津浜港か高浜港から船で釣島へ

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松山本土側の港の、三津浜港か高浜港から朝の9時過ぎのフェリーに乗ると、10時前に釣島に到着します。帰りの便は、15時半頃です。

島内には宿泊施設や商店、飲食店はないので、何か昼食や飲み物は用意してから島に渡るようにしましょう。

釣島灯台までの道のり

釣島灯台までの道のり

写真:いづやん

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フェリーが徐々に釣島に近づいていくと、島の中腹に顔をのぞかせている灯台が見えることでしょう。釣島灯台は、島の岬ではなく島の山の上にあるのです。

釣島の港は一つですので、フェリー到着後に迷うことはありません。港に降り立つと、すぐ目の前に小さな船の待合所、そばに島の地図看板があるのがわかります。

松山本土と行き来する船便は一日一往復なので、待合所で帰りの便の時間を確認するのを忘れずに。また、船を降りる時に島の方が「帰りの便のチケットも買うように」と声をかけてくれることもあります。素直に買っておくと帰りに慌てずに済みます。

釣島灯台までの道のり

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釣島に寄る船は、港に誰もいないとそのまま通り過ぎることがあるので、乗る便の時間が迫ってきたら、港付近にいるのがよいでしょう。

待合所では釣島を含む忽那諸島のパンフレットが置かれているので、1部いただいて灯台までの道のりを確認しましょう。帰りの便の時間と道順を確認したら、釣島灯台に向けて出発です。

待合所に向かって右手に伸びる海沿いの道を歩きます。静かな漁港の町並みが続き、やがて道はつづら折れの上り坂になります。

釣島灯台までの道のり

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途中、神社や海水淡水化施設、斜面に植えられたミカンの畑の向こうに広がる海が一望できるスポットもあり、気分良く休憩できます。

港から15分ほど歩くと、坂の途中に灯台が見えてきます。

明治期の姿を今に残す釣島灯台

明治期の姿を今に残す釣島灯台

写真:いづやん

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ミカン畑を横切る石段を登ると、小さくて可愛らしい釣島灯台がお目見えです。

釣島を含む忽那諸島は、安芸灘と伊予灘とを繋ぐ場所にあり、さらに釣島の北に位置する釣島水道は、数多くの船が行き来する重要な航路であり、潮の流れの早い海の難所として知られています。

そこを行き来する道標として、ここ釣島に建てられているのが釣島灯台です。

明治期の姿を今に残す釣島灯台

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明治政府によって雇われたスコットランド出身の土木技術者、「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によって灯台が建設、初点灯されたのが1873年(明治6年)。以来150年近く、瀬戸内海の難所を照らし続けてきました。

釣島灯台は、近隣の倉橋島の御影石を用いて作られ、愛媛県で初の西洋式灯台でもあります。明治時代に築かれた灯台は約120基、そのうち今も動いているものは67基ありますが、大きな改修もなく明治期の姿をそのまま残しているのは、釣島灯台だけとなっています。

そのため、海上保安庁が選定し保存処置を講じている「保存灯台」の最上位、歴史的文化的価値が高いAランク灯台に選ばれています。

また、2009年には経済産業省の「近代化産業遺産」にも選ばれています。

明治期の姿を今に残す釣島灯台

写真:いづやん

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灯台のそばに立つと、眼下に釣島の集落、その向こうに瀬戸内の多島美が見渡せます。灯台は高さ10mほどでこぢんまりとしていますが、高台に位置しているため、その役目を立派に果たしています。

灯台は、日没から日の出まで赤と白の光を交互に放ちますが、釣島には宿泊施設がないので間近にその光を見ることができないのが少し残念といえるでしょう。

<釣島灯台の基本情報>
住所:愛媛県松山市泊町1433番地
アクセス:伊予鉄道松山市駅から高浜駅下車、高浜駅から中島汽船のフェリーでおよそ30分。釣島港下船後、徒歩15分ほどで釣島灯台

松山市文化財に指定されている旧官舎

松山市文化財に指定されている旧官舎

写真:いづやん

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釣島灯台のすぐそばには石造りの立派な旧官舎・倉庫があります。これは、灯台職員用の宿舎として1873年(明治6年)に建てられたもので、灯台と同じくブラントンの設計です。

明治期にあちこちで建てられた「西洋風建築」とは違い、れっきとした洋式建築です。

1963年(昭和38年)に、釣島灯台が無人化された際に、官舎も遊休施設となり手つかずの状態でした。その後、1989年(平成元年)に、香川県高松市の「四国村」に官舎移築の話が持ち上がりますが、島民は現地保存を希望。

松山市文化財に指定されている旧官舎

写真:いづやん

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島民が現地保存を望んだ理由は、「官舎がなくなると、島には灯台しか名所がなくなってしまうから」。

その要望を受け、1995年(平成7年)には、松山市の文化財に指定されると同時に、解体復元工事が開始されます。3年後の1998年(平成10年)には復元工事が完了し、美しい花崗岩づくりの建物が甦ります。

松山市文化財に指定されている旧官舎

写真:いづやん

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官舎内は中央に廊下があり、その左右に部屋を配置。別棟の倉庫は、炊事場、浴室、トイレなどが設けられていますが、通常は内部の見学はできません。年に2、3回ある松山市主催の公開日に見学が可能です。

それでも、旧官舎の外観と敷地の見学は自由となっていますので、当時のままのドアノブや、6割はそのまま残っているという窓ガラス、花崗岩を切り出した石壁など、明治期の洋式建築を偲ぶことはできます。

<釣島灯台旧官舎の基本情報>
住所:愛媛県松山市泊町1433番地
アクセス:伊予鉄道松山市駅から高浜駅下車、高浜駅から中島汽船のフェリーでおよそ30分。釣島港下船後、徒歩15分ほどで釣島灯台旧官舎

静かな島に残る明治期の貴重な保存灯台と官舎

釣島は、アクセス至便な松山の離島・忽那諸島にあって船の便の関係で一番行きづらい島ですが、明治期の重要な産業・文化遺産がひっそりと残されています。島は歩いて回れる大きさなので、灯台見学が終わったら、集落や海沿いを歩くのも楽しいでしょう。

海に面した斜面にはミカン畑が広がっているので、冬場であれば木々に生った橙色の実が景色を彩っている様子も楽しめます。

松山の静かな離島、釣島にぜひ訪れてみてください。

2020年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/09/01 訪問

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