玉石石垣なんて初めて!?静岡県掛川市「横須賀城」は驚きの石垣

玉石石垣なんて初めて!?静岡県掛川市「横須賀城」は驚きの石垣

更新日:2020/04/29 18:16

田中 秀昭のプロフィール写真 田中 秀昭 歴史と文化財の解説ナビゲーター
静岡県掛川市にある「横須賀城」は、余程のお城マニアでもない限り訪れる人は多くありません。でも大変変わった特徴があり、石垣が河原によくある「玉石」で積まれており、丸みを帯びて柔らかそうで、とても戦いのための城とは思えません。

お城の石垣というと角張っていて、上へ行くほど反りが厳しくなっている、そう思われている方が多いと思います。そんな方にこそぜひ見て頂きたいお城、それがこの横須賀城です!


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玉石石垣からは想像できない、徳川と武田の戦いの歴史が!

玉石石垣からは想像できない、徳川と武田の戦いの歴史が!

写真:田中 秀昭

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この石垣を見るとなんとなく朗らかな気分になってきます。歴史を知らずにこの城を訪れると、きっと平和な時代に造られて、きれいなお姫様が楽しい日々を過ごしていたんだろうと考えてしまいますが、事実は違います。

武田氏と領地を巡り戦いを続けていた徳川家康は、天正6年(1578年)家臣の大須賀康高(初代城主)に命じて、高天神城攻略の拠点として横須賀城を築かせました。そして天正9年(1581年)高天神城は落城し、そのまま廃城となってしまいました。

玉石石垣からは想像できない、徳川と武田の戦いの歴史が!

写真:田中 秀昭

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見れば見るほど横須賀城の石垣はユニークであり、よく崩れ落ちることなく形状を保っていると感心できます。石垣を積む技術力の高さが示されています。

玉石石垣からは想像できない、徳川と武田の戦いの歴史が!

写真:田中 秀昭

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通常のお城はほとんど、石垣の角は「算木積み」と言って、長方形の大きめの石を互い違いに積んで両側の石垣の強度を支えています。ところがこの横須賀城は他の石垣と同じように、玉石が石垣の角にも使われています。益々持って不思議な石垣ですよね。

天守台に登ると周りの景色が一望に、城主気分でお城探索を!

天守台に登ると周りの景色が一望に、城主気分でお城探索を!

写真:田中 秀昭

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天守台は玉石石垣の上の一段と高くなった部分にあり、四重の天守(屋根が四つある)があったと伝わっています。この横須賀城も明治時代の廃城令で天守は壊されてしまいました。もし残っていれば道行く人たちが見上げて、海を望めるふるさと自慢の天守だったに違いありません。

天守台に登ると周りの景色が一望に、城主気分でお城探索を!

写真:田中 秀昭

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現在ではここからだと海岸線は見えませんが、江戸時代は城のすぐそばまで波が押し寄せていました。天守台を背にして左側に船着き場がありましたが、18世紀の初めに起こった「宝永地震」で海面隆起が起こり、海岸線が沖合へと移動してしまいました。

天守台に登ると周りの景色が一望に、城主気分でお城探索を!

写真:田中 秀昭

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玉石石垣の間の道を上ってくると幾つかの段差があり、それぞれに建物跡と思われる礎石(建物の土台でこの上に柱を建てる)が再現されています。戦(いくさ)が終わった後の江戸時代でも、海岸線にある浜街道や行き来する船を見張る役目を、この横須賀城は担っていました。

本丸の周りの城郭遺構は、家々に囲まれ歴史の跡に埋もれて

本丸の周りの城郭遺構は、家々に囲まれ歴史の跡に埋もれて

写真:田中 秀昭

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お城で重要な建物の一つに年貢で集めたお米を貯蔵する「米蔵」があります。呼び方は藩によってもいろいろあります(区画一帯を御用米曲輪と言うお城もあります)が、武士が日々食べるお米の貯蔵庫としての用途もあれば、飢饉の際に農民などに炊き出すための備蓄米(お助け米)としての用途も兼ね備えています。

本丸の周りの城郭遺構は、家々に囲まれ歴史の跡に埋もれて

写真:田中 秀昭

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本丸を降りて天守の裏手に回ってみると大きな広場と右奥に山があります。広場は北の丸(サッカーコートが優に一面取れる広さです)といい、幾つかの建物群の跡が確認されています。山の名称は松尾山と呼ばれ、もともとはこの辺りに本丸があったという説が有力です。

本丸の周りの城郭遺構は、家々に囲まれ歴史の跡に埋もれて

写真:田中 秀昭

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天守の左側(西寄り)には二の丸があり、ここにもいくつかの建物跡があったのですが、すぐそばには近隣の住民の方のお住まいがあります。お城の城域としては更に西方に拡がっていました。

本丸から離れて辺りをぐるっと回ってみると、様々な遺構が!

本丸から離れて辺りをぐるっと回ってみると、様々な遺構が!

写真:田中 秀昭

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お城の右側に向かう途中に三ケ月池があります。ここは真田丸でお馴染みの出丸の一種で、馬出と呼ばれた遺構の一部です。三ケ月の形がよくわかります。ほかのお城でもよく見かける形なので、覚えておいて損はありません。

本丸から離れて辺りをぐるっと回ってみると、様々な遺構が!

写真:田中 秀昭

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お城の右側(東寄り)には三の丸があり、北の丸の倍以上の広さが確認できます。非常に大きな敷地に見えますが、江戸時代のころは下級武士の住まいや倉庫などが立ち並んでいたようです。

本丸から離れて辺りをぐるっと回ってみると、様々な遺構が!

写真:田中 秀昭

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横須賀城を離れて少し歩くと横須賀の古い町並みの通りに出ます。東海道ではないのですが、そこはかとなく江戸時代の旅人の姿が見えてくるような、面影の残る街並みです。

ここから更に東に向かうと、江戸時代の番所跡も残っています。

横須賀城の基本情報

住所:静岡県掛川市西大淵
電話番号:0537-24-8711(掛川観光協会)
アクセス:
(列車とバス)JR袋井駅前3番乗り場から秋葉中遠線「大東支所」行き
または「横須賀車庫前」行で「七軒町」で下車して徒歩5分
(列車とタクシー)袋井駅タクシー乗り場より乗車約30分
(車)東名掛川ICより約30分 ※駐車場は二の丸に15台分

2020年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2019/11/19−2019/11/20 訪問

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