写真:藪内 成基
地図を見るアブルッツォ州は、首都ローマのあるラツィオ州の東隣にあり、アドリア海を望むイタリア中部の州です。イタリア半島を縦断するアペニン山脈最高峰、標高2914mのコルノ・グランデ(Corno Grande)などの山々が連なる緑豊かな土地。石灰岩の岩に囲まれ、希少な植物や固有の野生動物が生息しています。
写真:藪内 成基
地図を見る海抜1460メートルの尾根上に、円筒状の塔を四棟もつ廃墟感ただよう城砦ロッカ・カラショ(Rocca Calascio)が姿を残しています。
ロッカ・カラショ付近に立つ小さな寺院、サンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会(La chiesa di Santa Maria della Pieta)は、15世紀に建築家・ブラマンテの設計に基づいて建てられたとされています。
写真:藪内 成基
地図を見る西暦1000年頃、ロッカ・カラショは単純な望楼(見張り台)として築かれました。
15世紀の終わり頃にシエナの名門貴族・ピッコロミーニ(Piccolomini)家が領有すると、丸石の壁と軍事用の円筒状の塔を四棟もつ、四角い要塞へと強化されました。
16世紀に入ると、フィレンツェの名門貴族・メディチ(Medici)家の領有となります。メディチ家は、ロッカ・カラショ周辺のサント・ステファノ・ディ・セッサニオ村(Santo Stefano di Sessanio)を購入し、羊毛の取引を拡大しました。
写真:藪内 成基
地図を見るロッカ・カラショのあるラクイラ地方は、毛織物業の中心地として発達してきました。夏はアブルッツォの山々で放牧し、冬になると南部の州へと羊を連れて大移動する習慣は「トランスマンツァ(transmanza)」と呼ばれます。
シエナのピッコロミーニ家にとっても、フィレンツェのメディチ家にとっても、重要な経済的資源だったのです。
写真:藪内 成基
地図を見るロッカ・カラショは、1703年の地震で大きな被害を受けてしまいますが、1986年から1989年にかけての修復によって、今日では自由に旅行者が訪ねることができます。
この地震の影響によって、ロッカ・カラショの南西麓に広がるカラショ村に人々は逃げこみました。
写真:藪内 成基
地図を見るカラショ村には石畳が広がる中世の面影が残ります。バールでは地元の人々が語らい、町なかではネコたちが気持ち様さそうに昼寝をしているような、のんびりした風景が見られます。
写真:藪内 成基
地図を見るロッカ・カラショへ行くには、アブルッツォ州の州都ラクイラ(L’Aquila)が起点となります。ラクイラ・バスターミナル(L’aquila-bus terminal collemaggio)から、カステル・デルモンテ(Castel del Monte)行きに乗って約50分。山道をどんどん登るうちに、車窓から羊の群れが見えることもあります。
写真:藪内 成基
地図を見るカラショ広場(Calascio-piazza)停留所で下車すると、石畳が美しいカラショ村が目の前に広がります。山上のロッカ・カラショまで約4kmの山道になりますので、装備や天候に注意をして目指してみてください。
カラショ広場停留所の目印はありませんので、バスから下車した場所を忘れないようにしてください。カラショ広場停留所付近のバールで、確認しておくと安心です。
住所:67020 Calascio AQ
電話番号:+39-0862930132
アクセス:ラクイラ・バスターミナルからカラショ広場停留所までバス約15分、下車後徒歩約60分(4km)
ラクイラからの公共バスについては、関連MEMOをご参照ください。
2020年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
藪内 成基
国内・海外で年間100以上の城を訪ねて執筆・撮影。著書に『講談社ポケット百科シリーズ 日本の城200』(講談社/2021年7月発売)。出版社にて旅行ガイドブック『るるぶ』海外シリーズや旅行雑誌『ノジュ…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索