写真:塚本 隆司
地図を見るJR七尾駅から循環バスで約10分ちょっと、城史資料館前で降り、城山を目指して少し歩くと、七尾城史資料館がある。
北陸随一といわれた七尾の歴史を紹介する資料館で、なぜか中世の城をしのばせるモダンな外観をした建物だ。
規模は小さい資料館ではあるが、城跡や城下から発掘された品々が展示されている。隣接する懐古館「飯田家」は、かやぶき屋根で約200年前の庄屋の住まいだという。能登民家の典型的な間取りが特徴であり古民家好きにはたまらない。また、日本最小の茶室もあるので必見だ。
七尾という名は「七つの尾根」から由来し、尾根に無数の砦を配置した大規模な城郭であったようだ。また近年の調査によると、単なる城砦ではなく、多数の家屋敷が集まり政治活動はもとより、生活の場でもあった山上都市としても機能していたようである。
七尾城史資料館の脇の山道から本丸のある山頂を目指すことができる。登山道として整備はされているが、観光地化はされていないため当時の面影を多く残しているという。登山を満喫しながら見て回るには往復で150分ほどのコースとなる。
本丸あたりを中心に見に行きたいなら、車で本丸近くの駐車場まで行くことができる。七尾城史資料館からタクシーを呼ぶことも可能だ。駐車場から本丸の他中心部を散策しても約50分、本丸だけなら徒歩5分で辿り着ける。
タクシーで行くなら帰りのことを考える必要があるが、駐車場で待っていてくれるよう交渉してみるといい。本丸だけの散策になるだろうが、駐車場から本丸へと続く道は、比較的整備されているので安心して見学ができる。
写真:塚本 隆司
地図を見る七尾城は攻城戦によって落城したわけではない。畠山氏を攻めた上杉勢も1年もの間攻めあぐね、やっと内応により城を陥落させている。
後に前田利家が入城するのだが、不便な山城から交通の要所に拠点を移した(小丸山城へ移転、後に金沢城)ために廃棄された城なのである。さらに、天災や開発の手が入ったわけでもないので石垣をはじめ多くの遺構が当時の面影を残したまま今に至っているのだ。
最も象徴的なのが写真にある桜馬場石垣のように、低石垣を積み重ねたものである。
写真:塚本 隆司
地図を見る写真:塚本 隆司
地図を見る七尾城本丸は、標高300メートルの山頂部を削平して造られたという。本丸を中心として長屋敷、西の丸、二の丸、三の丸などを備えている。
現在は、城山神社がこの場所の主のようだ。
毎年9月に行われる七尾城祭りでは、全国詩吟大会・剣舞・太鼓・ちびっこ演技等の奉納演武、お茶会、歴史探訪等多彩な行事が催されている。七尾城の往時を偲びながら催される演舞など、見応えがありそうだ。
初めて七尾城に登城した上杉謙信は、その絶景に感嘆し家臣に次のような手紙を送っている。
「聞きしに及び候より名地、(加)賀・越(中)・能(登)の金目(きんもく)の地形と云い、要害山海に相応し、海頬嶋々(うみづらしまじま)の躰(てい)までも、絵像(えぞう)に写しがたき景勝までに候」
本丸跡から一望できる七尾湾の景色に感嘆した上杉謙信の気持ちがよくわかる光景が広がる。この眺望の為だけでも登る価値があるだろう。
写真:塚本 隆司
地図を見るあまりガイドブックには載っていない七尾城。だが、中世から戦国時代にかけての様式を残した屈指の山城は、城跡好きにはたまらないはずだ。日本百名城のひとつにも数えられているとおり、名城と呼ぶに相応しいこの史跡を是非訪ねてみて欲しい。
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この記事を書いたナビゲーター
塚本 隆司
好むと好まざるとにかかわらず、一人旅がやたら多い。姫路城が見えるところで育ったためか、城や歴史が大好き。歴史ミステリーを追い求め、現実逃避。新スポット・人気スポットと聞けば、行ってみる。郷土料理と聞け…
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