写真:旅人間
地図を見る文明開化の風情が今も残る「大衆洋食 自由軒」の暖簾が目を引くこの店は、庶民臭さがにじみ出てるレトロ的な店。店の前には看板娘として派手な洋服を着た女将さんの写真がドーンと飾ってあるのが印象に残ります。さて、この女将さんですが、店内に入ると入り口付近に座っていますので「あ♪出会えた!」と少し芸能人に出会った時のようなトキメキを感じさせてくれます。
お店の中は昭和の時代にタイムスリップしたような、どこか懐かしい雰囲気。そんな雰囲気の中で食べる「名物カレー」は実に美味しいのです。100年と言う時の流れを超えて今も変わらない味に感動すら覚えます。店内の看板には「東京にない味、大阪市民の好物」と書かれていたり、外観も店内も見どころが沢山あります。これぞ「ザ・大阪!」にふさわしい店。大阪に来たら、ぜひ一度は立ち寄っておきたい店と言えるでしょう。
大阪の鬼才作家と呼ばれた織田作之助は、毎日食べに来るほどの自由軒ファンで、小説「夫婦善哉」では、主人公が自由軒のカレーを「うまい」と言う場面が登場してきます。その文面を抜粋してみると・・・
『この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で、玉子入りのライスカレーを食べた。「ここのラ・ラ・ライスカレーは、ご飯にあんじょうま・ま・まむしてあるよってうまい」と、ほめて柳吉が云った言葉を想ひだしながら、 カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いきなり甘い気持ちが湧いた』
この小説が出版された昭和15年頃は、まだ洋食もカレーも庶民にとっては一般的でない時代。小説を読んだ読者からは、「自由軒でライスカレーを食べると言うのはハイカラ」とされ、店は大いに賑わい、自由軒は一躍有名となったのでした。
写真:旅人間
地図を見る自由軒の店内には、一番目立つ場所に「夫婦善哉」を執筆中の織田作之助の写真があります。そこには、十訓抄の「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という言葉にかけて、作之助が「トラは死んで皮をのこす、織田作死んでカレーをのこす」という名言を残しています。彼がこの店をいかに愛していたかが分かりますね。
また、その横には大きく「名物カレー」と書かれた看板があり、「東京にない味、大阪市民の好物」の文字も!この看板を見ると歴史的な風情を感じると共に、大阪の味に対するプライドと強い思いも感じさせられます。
写真:旅人間
地図を見る座席に付くと「名物カレーのお召し上がり方」があり、ここには「好みでソースをかけて、玉子とご飯をよくかき混ぜてお召し上がりください」と書かれています。
この店に来ると、この「名物カレー」を注文する人が大半なので、店内にはスプーンがお皿に当たるカツカツという音があちらこちらで聞響き渡ります。「あぁ〜みんな混ぜてる!混ぜてる!」と心の中で呟きながら、名物カレーの到着を待ちましょう。
写真:旅人間
地図を見る目の前にやって来たカレーは、既にルーとご飯が混ざったもの。そして上には生卵が!この独特な風貌こそが自由軒の名物カレーなのだ♪テーブルの上にある「お召し上がり方」には、「混ぜてお召上がり下さい」と書かれていますが、既に混ざったカレーにソースを加えて生卵を潰して、さらに混ぜて食べるのは実に愉快です。
ただ、この「名物カレー」を食べるときは、まず最初は混ぜずにそのまま食べ、そして途中でソースを加えて混ぜて食べてみてください。するとカレーとソースの相性の良さに驚かされるはず。さらに生卵を潰してルーとご飯が混ざったものの中を、カツカツカツとスプーンを回し本格的に混ぜ、再度少しソースを追加して食べるのがおススメの流れ!うん♪実にうまい!
写真:旅人間
地図を見る大阪で100年以上の歴史を持つ「自由軒」ですが、実は自由軒と言う名の店は2つあります。今回紹介した難波の千日前にある元祖の「自由軒」と、そしてもう一つは、大阪の船場に本店を構える「せんば自由軒」・・・。
この2つの店は、それぞれ創業者の吉田四一氏の味を受け継いでいるので、どちらの店で食べても「自由軒のカレー」である事は間違いありません。しかし、「せんば自由軒」が関東に進出したり数多くの店を出店して行くのに対し、大阪の名物として、大阪の地にこだわり、100年この場所で営業を続けている元祖の店は、この大阪難波の千日前にある「自由軒」なのです。店の名前が似てるので、少しややこしいですが、やはり大阪に来たら、大阪でしか食べれない元祖の自由軒に行ってみたいですね。
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(2025/1/22更新)
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