大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!山崎合戦史跡めぐり

大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!山崎合戦史跡めぐり

更新日:2020/04/19 15:10

amica maicaのプロフィール写真 amica maica 旅番組聖地巡礼派、オバちゃんインスタグラマー
2020年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀。史料に乏しく、いまだ謎多き人物として知られる光秀ですが、本能寺の変で主君・織田信長を討ったこと、山崎合戦で羽柴秀吉に敗れて三日天下に終わったことが知られています。
そこで今回は、彼の最後の戦いとなった山崎合戦ゆかりの地をご紹介します。


新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴う緊急事態宣言が解除されましたが、2020年6月18日(予定)までは一部都道県との間の移動の自粛が求められています。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新の情報をご確認ください。(LINEトラベルjp)
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山崎合戦に備えて明智光秀が入城した「勝竜寺城公園」

山崎合戦に備えて明智光秀が入城した「勝竜寺城公園」

写真:amica maica

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勝龍寺城は、1582年の本能寺の変直後に、明智光秀が山崎合戦に備えて入城した城です。山崎合戦に敗れて敗走した光秀は、勝龍城に帰城したものの羽柴秀吉軍の追撃を受けて城を放棄、その後本来の拠点である近江国坂本城へ逃走する途中で、落武者狩りの農民に襲撃されて亡くなります。

山崎合戦に備えて明智光秀が入城した「勝竜寺城公園」

写真:amica maica

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勝龍城と光秀のつながりは、光秀の娘・細川ガラシャにあります。1578年に細川忠興とガラシャが婚礼を挙げ、新婚時代を過ごしたのがこの城だったのです。そのため現在も公園内には2人の銅像のほか、名水の地として知られる長岡京市内に3ヶ所ある、地下水100%の水道水供給施設の1つ「ガラシャおもかげの水」があります。

山崎合戦に備えて明智光秀が入城した「勝竜寺城公園」

写真:amica maica

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現在、本丸にある管理棟と櫓は、1992年に建てられたものですが、敷地内には当時の遺構も散見されます。そのうちの1つが北門に残る石垣で、一部は当時のままの姿を留めています。さらに光秀は、本拠地の坂本を目指して城から逃亡する際にこの北門から落ち延びたと伝えられています。

勝竜寺城公園内展示室では「麒麟がくる」関連のパネル展示が

勝竜寺城公園内展示室では「麒麟がくる」関連のパネル展示が

写真:amica maica

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勝竜寺城公園の管理棟は、2019年11月に展示室が全面リニューアルされ、戦国を駆け抜けたこの城ゆかりの4人(光秀・ガラシャ・忠興・細川藤孝<幽斎>)の波乱万丈の生涯を、パネルや映像(10分)を使って紹介しています。

勝竜寺城公園内展示室では「麒麟がくる」関連のパネル展示が

写真:amica maica

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こちらが展示室の様子。出土品や資料の展示だけではなく、ゆかりの4人がイラスト化され、その生涯がわかりやすく展示されているので、歴史に興味がある人だけではなく、子ども連れのファミリーでも楽しめます。

勝竜寺城公園内展示室では「麒麟がくる」関連のパネル展示が

写真:amica maica

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勝竜寺城公園は、キリシマツツジの名所としても知られています。この写真の橋を渡った場所に一列に並んでいる植木がキリシマツツジで、4月の中旬頃から赤いきれいな花が城の白壁に映えて美しい姿を見せてくれます。

<勝竜寺城公園の基本情報>
住所:京都府長岡京市勝竜寺13-1
電話番号:075-955-9515(長岡京市役所商工観光課)
開園時間:9:00〜17:00(4〜10月は〜18:00)

光秀の本陣跡とされる「恵解山古墳」「境野一号墳」

光秀の本陣跡とされる「恵解山古墳」「境野一号墳」

提供元:長岡京市

山崎合戦の際に光秀が本陣を置いたとされる場所には2つの説があり、その1つ目が恵解山古墳です。発掘調査で火繩銃の玉や、兵が駐屯するために古墳を平らに整形した曲輪の跡、さらには堀跡も確認されたこと、さらには江戸時代の絵図に本陣とするものがあることなどから、光秀の本陣として使用された可能性が指摘されています。(写真は恵解山古墳)

光秀の本陣跡とされる「恵解山古墳」「境野一号墳」

写真:amica maica

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恵解山古墳は、5世紀前半頃に作られたとされる全長128メートルの前方後円墳で、国指定史跡の乙訓古墳群の1つです。1980年に発掘調査が行われ、約700点にもおよぶ鉄製武器を納めた副葬品埋納施設が見つかり、これらの鉄製武器は、1999年に京都府指定有形文化財として指定されています。現在敷地内は公園として整備され、墳丘上には埴輪などが復元されて並べられています。

<恵解山古墳の基本情報>
住所:京都府長岡京市勝竜寺・久貝2丁目
電話番号:075-955-9515(長岡京市役所商工観光課)
開園時間:散策自由

光秀の本陣跡とされる「恵解山古墳」「境野一号墳」

写真:amica maica

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山崎合戦の際に光秀が本陣を置いていた場所の2つ目の説が、大山崎町にある境野一号墳です。現在は「明智光秀本陣跡」の石碑と説明板が建てられています。

古墳時代前期の前方後円墳で、南面方面へ向けて段差があり、山崎合戦の際に光秀軍と秀吉軍が両岸に対峙した円明寺川(現・小泉川)周辺が見渡せたことから、光秀の本陣があった「おんぼうか塚」であるとされています。本陣跡とされる2つの地を訪れて、秀吉の本陣があったとされる宝積寺や実際の合戦上の場所との配置などから、どちらに本陣があったのか推理を巡らせるのも楽しいはずです。

<境野一号墳の基本情報>
住所:京都府乙訓郡大山崎町下植野宮脇1-107
電話番号:075-956-2101(大山崎町政策総務課)
開園時間:散策自由

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山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)

山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)

写真:amica maica

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本能寺の変のわずか11日後に、光秀と秀吉が覇権をかけて戦った山崎合戦は、「天下分け目の天王山」という有名な言葉の影響もあり、天王山がその主戦場のように思われがちです。しかし主戦場となったのは、天王山のふもとにある円明寺川(現・小泉川)周辺でした。その古戦場跡は現在天王山夢ほたる公園として整備され、石碑やパネルが設置されています。(石碑の後ろの小高い山が天王山)

山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)

写真:amica maica

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写真は、主戦場となった円明寺川で、現在は小泉川という名称に変わっています。天王山の位置からして写真右手が秀吉軍、左手が光秀軍だったはず。ここでの戦いに敗れた光秀は、勝龍寺城へ退却しました。

山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)

写真:amica maica

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公園内には、山崎合戦を解説するパネルが置かれています。合戦の屏風図の写真もあるので、現在の地図と比較してみるのも面白いはずです。

<山崎合戦古戦場跡(天王山夢ほたる公園)の基本情報>
住所:京都府乙訓郡大山崎町円明寺松田
電話番号:075-956-2101(大山崎町政策総務課)
開園時間:散策自由

光秀の天下への夢が潰えた地で歴史散策を楽しもう!

山崎合戦は、明智光秀の人生のエピローグを飾る重要なエピソードです。光秀の天下取りの野望や、戦国武将たちの影を追いながら、史跡巡りを楽しんでみてはいかがですか?

2020年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

取材協力:乙訓・八幡広域観光連絡協議会

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掲載内容は執筆時点のものです。 2020/02/28 訪問

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