沖縄の歴史にふれる旅

沖縄の歴史にふれる旅

更新日:2012/11/28 10:36

結月 ここあのプロフィール写真 結月 ここあ 旅行ブロガー
琉球時代の面影が残される、首里城。
戦争の爪跡の残る、ひめゆりの塔など、少し歴史にふれてみましょう。

沖縄のシンボル、守礼の門

沖縄のシンボル、守礼の門

写真:結月 ここあ

羽田から、ほぼ2時間半で那覇空港へ、到着。
曇りなので、南国特有のモワッとした感じは少ないです。

レンタカーを借りて、ランチは、沖縄そば。
腹ごしらえも済んだところで、まず首里城へ向います。

守礼の門。
青空だったら、この朱塗りが映えるのでしょうね。
思っていたよりも、小さい感じがします。

鮮やかな首里城

鮮やかな首里城

写真:結月 ここあ

首里城正殿です。
沖縄サミットの記念写真は、たしか、ここでしたよね。


首里城は、15世紀前半琉球を統一した、尚巴志が造ったとされています。
戦争で破壊されたり、度重なる火事で、今は復元されています。園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)という石造物が世界遺産となっています。

韓国の王宮に比べると、かなり小規模ですが、
中が見学コースになっていて、玉座などが、見ることができました。

沖縄の歴史って、ご存知のない方も多いと思います。
リゾートを楽しむのもよしですが、こんな歴史にもふれてみませんか…

悲しみが溢れる、ひめゆりの塔

悲しみが溢れる、ひめゆりの塔

写真:結月 ここあ

日本国内で唯一、悲惨な地上戦が、行われた沖縄。
その中でも、悲しい歴史が残る、ひめゆりの塔。

昭和20年3月、旧沖縄県第一高等女学校、沖縄女子師範学校の生徒たちは、特使看護婦として陸軍病院に配属されます。
暗い壕の中で負傷兵を必死に看護をしてました。
戦線とともに、あちこち病院も移動しながら、最後にたどり着いたところが、摩文仁伊原の壕で、ここで最期を迎えました。
この塔の下に、第3外科壕が残っています。

今でも、訪れる方が多いのか、たくさんの花が手向けられてました。

ひめゆりの平和祈念資料館で、彼女たちにふれて…

ひめゆりの平和祈念資料館で、彼女たちにふれて…

写真:結月 ここあ

ここには、彼女たちのはかなく散った青春がこめられてます。
私は、この中に入ったと同時に、なぜか、涙が溢れ
ここを出るまでずっと止まりませんでした。。。

第四展示室に、掲げられた、ひめゆり学徒200名余りの遺影は、あまりに辛くて、直視できず。

しかし、平和の大切さをあらためて感じ、
後世に、語りつがねばいけないことだと思いました。

戦争を知らないお子さまや若者たちの、平和学習には、とても、よい教材になると思います。

少し気分を変えて、アウトレットでお買いもの

少し気分を変えて、アウトレットでお買いもの

写真:結月 ここあ

沖縄の歴史にふれて、少し気持ちも暗くなりましたが、今のしあわせを、ありがたく、受け入れなくては、いけないですね。


沖縄アウトレットモールあしびなーへ、足を運んでみました。
広い敷地に、見逃せないショップもたくさんあります。
雨の日、どこに行こうと迷った時にも、おススメです。
濡れずにお買いものもできますよ。

掲載内容は執筆時点のものです。

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