大阪平野を一望!最初の天下人“三好長慶”の居城「芥川山城」

大阪平野を一望!最初の天下人“三好長慶”の居城「芥川山城」

更新日:2020/04/02 17:55

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
大阪府高槻市の北側にそびえる三好山に、阿波から畿内にかけて勢力を有した戦国大名「三好長慶(みよしながよし)」が居城としていた「芥川山城(あくたがわさんじょう)」が存在します。

長慶は織田信長に先駆けて畿内を掌握し政権を握った人物で、いわば最初の天下人。三好政権の拠点であった芥川山城は山頂から尾根にかけて数多くの曲輪が連なる壮大な中世山城であり、日本城郭協会の続日本100名城に選ばれています。

新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴う緊急事態宣言が解除されましたが、2020年6月18日(予定)までは一部都道県との間の移動の自粛が求められています。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新の情報をご確認ください。(LINEトラベルjp)
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山道を歩いて尾根伝いの芥川山城跡へ

山道を歩いて尾根伝いの芥川山城跡へ

写真:木村 岳人

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かつての主君であった細川晴元を下剋上で追いやり、室町幕府第13代将軍・足利義輝を傀儡とする形で幕府の政権を握った三好長慶は、天文22年(1553年)に細川方の城であった芥川山城へと入城し、ここを拠点に当時天下と呼ばれていた畿内の支配を行いました。

その城山は東以外の三方を芥川によって囲まれており、まさに天然の要害というべき場所に位置しています。現在、城跡までの登山道は南東麓から続いているのですが、その周辺には住宅地が広がっており、登山口が少々分りづらくなっています。

摂津峡大通りにある脇塚バス停には城跡までのルート図が描かれた看板が設置されていますので、ここから歩き始めるのが良いでしょう。バス停の近くに立っている「妙力寺」への標識が、芥川山城へと続く登城路の目印となっています。

山道を歩いて尾根伝いの芥川山城跡へ

写真:木村 岳人

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そのまま道なりに進んでいくと、やがて住宅街を抜けて三好山へと向かう登山道が分岐します。ここからは未舗装路の山道を約40分ほど歩くことになりますので、登山に適した靴と服装で臨みましょう。

山道を歩いて尾根伝いの芥川山城跡へ

写真:木村 岳人

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急坂を峠まで上り詰めると、尾根伝いの比較的なだらかな道となります。そこは既に芥川山城の城域内。辺りには竹藪や森林が広がっていますが、よくよく目を凝らして見ると、人工的に掘削された曲輪(平らに整地された区画)が尾根に沿って続いていることが分かります。

城を敵から守る「竪土塁」と「土橋」に注目しよう!

城を敵から守る「竪土塁」と「土橋」に注目しよう!

写真:木村 岳人

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尾根伝いの道を進んで行くと、やがて山の下へと垂直に続く土塁(土で築いた壁)が現れます。これは敵が山の斜面を水平に移動することを防ぐための「竪土塁」なのですが、このような竪土塁が残る城は少なく極めて珍しい遺構です。

城を敵から守る「竪土塁」と「土橋」に注目しよう!

写真:木村 岳人

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また竪土塁のすぐ先には「土橋」が設けられていますので、こちらも忘れずチェックしましょう。土橋は尾根の左右を掘り切って道幅を橋のように狭くしたもので、敵の軍勢を足止めしつつ攻撃するためのものです。

このように、芥川山城では土塁や堀切など様々な築城技術を駆使し、城の守りを厳重に固めていました。その規模も著しく、いかに堅固な城であったのか想像に難くありません。

当時としては画期的!石垣で築かれた「大手門」

当時としては画期的!石垣で築かれた「大手門」

写真:木村 岳人

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さらに進むといよいよ頂上へと続く最後の登りとなりますが、その手前で南の集落へと下る山道が分岐します。これはかつて城へのメインルートであった大手道で、40mほど下りていくと城の正門にあたる大手門が残っています。

芥川山城の大手門は2mもの高さがある石垣で築かれており、その荒々しくも迫力ある姿に圧倒されます。この石垣は城の顔ともいえる大手門にピンポイントで築かれていることから、防御施設というよりは登城者に威厳を見せつけるためのものだと考えられています。

近世の城郭を見慣れている方はそれほど凄いもののようには思えないかもしれませんが、中世の山城は土だけで築かれているのが一般的。石垣が城郭に用いられるようになるのは、織田信長が小牧山城や安土城を築いた以降のことだとされています。

しかしながら、三好長慶は信長よりも早い時期に石垣を城郭に使っており、長慶が晩年を過ごした飯盛山城にも数多くの石垣が残っています。まさに最初の天下人にふさわしい、先進的な城郭技術を用いた人物でした。

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ほぼ当時のまま良好な状態で残る曲輪群

ほぼ当時のまま良好な状態で残る曲輪群

写真:木村 岳人

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頂上に近付いていくと途端に視界が開け、草木が切り払われた主要部の曲輪が姿を現します。いずれも状態が良く、戦国時代の姿を留めていることに驚かされます。

永禄3年(1560年)に三好長慶が居城を飯盛山城へと移し、芥川山城には嫡男の三好義興(みよしよしおき)が入城しました。しかし永禄6年(1563年)に義興はわずか22歳で早世し、長慶もまた後を追うように翌年亡くなりました。

その後、畿内は尾張から台頭してきた織田信長の支配下となり、永禄11年(1568年)に摂津三守護のひとりである和田惟政(わだこれまさ)が芥川山城へと入城します。その翌年、惟政は高槻城に移ったことで芥川山城は衰退し廃城となりました。

ほぼ当時のまま良好な状態で残る曲輪群

写真:木村 岳人

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なんとも儚い運命をたどった芥川山城ですが、戦国時代に廃されたことで近世に改修されることがなく、戦国時代のまま残っている貴重な山城だといえます。当時の様相に思いを馳せながら各曲輪を歩いてみてはいかがでしょうか。

主郭から眺める大阪平野は必見!

主郭から眺める大阪平野は必見!

写真:木村 岳人

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標高182.6mの山頂は、芥川山城において最も重要な曲輪であった主郭です。一般的に中世山城は戦時の際の避難所として使われるもので、城主の居館は麓に置かれるのが普通です。しかし芥川山城では発掘調査によって主郭に御殿建築が建っていたことが判明しており、その城域の広大さと相まって、普通の山城にはない風格が感じられます。

主郭から眺める大阪平野は必見!

写真:木村 岳人

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また主郭からは、生駒山地から大阪市内にかけて大阪平野の広大な範囲を見渡すことができ、その素晴らしい眺めに登山の疲れが癒されることでしょう。芥川山城は京都と貿易港・堺を結ぶ中間点に位置しており、政治と経済を一度に掌握できる、まさしく天下人にふさわしい拠点であったといえるのです。

芥川山城の基本情報

住所:大阪府高槻市大字原
アクセス:JR高槻駅から高槻市営バス51番循環「塚脇行き」で約15分「脇塚バス停」下車、登山口まで徒歩約10分

2020年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。

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