江戸時代初期、日本では幕府の命令でキリスト教が禁止されましたが、今回紹介する長崎県の外海地方では、比較的メスが浅かったこと、また数多くの信徒の努力により、キリスト教の信仰を守られてきました。
しかしながら、世間の目から逸れるようにひっそりと暮らすことは、潜伏キリシタンにとって経済的な厳しさをもたらしました。そこで、その貧しさを補うために様々な生活の努力が行われました。
その一つが「石積み文化」。外海の位置する西彼杵(にしそのぎ)半島で豊富に産出される石材(結晶片岩)を活用する生活の知恵が定着したのです。
写真:土庄 雄平
地図を見る一方、それから時は過ぎて明治時代初期、この外海の地に新たな変化がもたらされます。それはフランス人宣教師のド・ロ神父の来日です。彼はこの外海の地を訪れ、キリスト教(カトリック)の復活を支援する傍ら、生活に苦しむ外海の人々のため、社会福祉活動に尽力したのです。
教会の建設をはじめとして、救助院(病院)の創設のほか、マカロニ・ソーメンといった授産事業など、人々の宗教的指導者であるとともに地域の経済的発展にも貢献しました。
その結果、経済的に疲弊していた外海が立ち直り、日本で何とか残ってきた希少な隠れキリシタン集落の文化的景観が、今でもこの地に根付いています。
写真:土庄 雄平
地図を見るそんな広範な事業を手がけ、外海を支えてきたド・ロ神父の最大の事業と言えるのが「教会」の建設。外海での活動の中心である「出津教会堂」、遠藤周作の「沈黙」の舞台にもなった黒崎の地に立つ「黒崎教会」、山中にひっそりと佇む瓦葺の「大野教会堂」など、三つの教会が建てられました。
写真:土庄 雄平
地図を見るこのうち、特に注目したいのが今回紹介する「大野教会堂」。他の二つの教会とはまるで違うその佇まいには、これまで潜伏キリシタンが歩んできた日本の文化、そしてド・ロ神父が新たにもたらした文化が共存しています。
例えば、この教会の外壁は、なんと江戸時代より外海地方の家屋で伝統的に用いられている石積の技術を用いて、設計されているのです。そして、その北面・東西側面は、ド・ロ神父が伝えた土木技術・漆喰で固められています。
写真:土庄 雄平
地図を見るまたこの大野教会堂は、ゴシック様式も垣間見せながら、扉を引き戸にして大工の技術を生かしたり、木造建築ならではの柱と梁の配置を取っているなど、日本の伝統文化を重んじた建築様式となっているのも特徴です。
まさに外海に根付く日本文化と西洋からもたらされた土木技術が融合した、和洋折衷の教会と言えるでしょう。この地だからこそ成立し得た貴重な建築物です。
写真:土庄 雄平
地図を見るそんな大野教会堂ですが、できれば一番訪れてほしい時間帯が日の出から2時間〜3時間ほど経過した早朝のタイミング。なぜなら太陽が教会堂の裏手から昇り、マリア様の像を照らしてくれるから。神々しいその瞬間に、思わず手を合わせて拝んでしまうことでしょう!
写真:土庄 雄平
地図を見るなお、この「大野教会堂」のポイントはその立地にもあります。教会の入り口は角力灘や東シナ海を見渡す展望は素晴らしいのですが、その一方で教会の建物自体は、森の中に静謐に佇んでいるのです。潜伏時代を経てなお、自らの信仰を慎ましく守る外海キリシタンの姿が想起される場所ですね。
写真:土庄 雄平
地図を見る長崎市街から車で1時間ほど走った西彼杵半島の外海。この場所は、江戸時代から多くのキリシタンが潜伏し、いくつもの画期を経ながら、絶えず文化を変容させてきた、日本でも極めて稀有な地域と言えるでしょう。
今回紹介した「大野教会堂」は、その外海の歴史的な背景が作り上げた唯一無二の教会建築。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つとして世界遺産に登録された今、ぜひ隠れキリシタンの歴史を紐解きに、一度訪れてみてはいかがでしょうか?
住所:長崎県長崎市下大野町2619
電話番号:095-823-7650
アクセス:長崎市街から車で約1時間
※現在は建物の老朽化・保存上の関係で堂内へ入ることはできません。
※世界遺産のため、見学の際には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」への事前連絡が必要。
2020年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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