写真:土庄 雄平
地図を見る神聖視され、崇拝の対象になった霊山へ登る行為「禅定(ぜんじょう)」。奈良時代に泰澄上人が、開山をして以来、白山は聖なる山として位置付けられ、越前・美濃・加賀から三つの登拝道(禅定道)が開かれました。
その禅定道の登山口は、いわば修行の拠点。そこで白山の名を冠する三つの神社・寺院が創建されたのです。
写真:土庄 雄平
地図を見る今回紹介する「白山平泉寺」は越前禅定道の起点となる寺院。このお寺を出発し、30kmもの道のりを歩いて、多くの山伏が山頂を目指しました。
平安時代には天台宗の末寺として発展し、最盛期の戦国時代には、6000の坊院が建ち並び、寺領は9万石、8,000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教勢力であったと判明しています。
写真:土庄 雄平
地図を見るしかし、当時味方についていた織田信長の敵対勢力・大阪本願寺の一向一揆に攻められ、全山が消失してしまい、その栄華は幕を閉じました。現在の境内は、同じく安土桃山時代、焼き討ちの10年後に一部再興されたもの。当時の痕跡を残しながら、北陸の山中にひっそりと佇んでいます。
写真:土庄 雄平
地図を見るそんな様々な変遷を辿ってきた「白山平泉寺」ですが、唯一昔から変わらず、そして悠久の歴史を感じさせてくれるものが、寺院一帯を覆う「苔」。杉林の中に、まるで大地と一体となって呼吸しているような、鮮やかな苔の庭が広がり、荘厳な佇まいを見せてくれます。
写真:土庄 雄平
地図を見る特に白山平泉寺の中核である本殿と拝殿、それをつなぐ精進坂一帯の苔庭は、その美しさから「苔宮(こけみや)」と讃えられるほど!一面の緑と拝殿のコラボレーションは、思わずうっとりと眺めてしまうことでしょう。
写真:土庄 雄平
地図を見る大きな杉の根に繁茂する苔、石や灯篭などにも苔が生い茂り、かつて焼失してしまった旧境内が自然へと帰っていくような、そうした不思議な空間。自然の生命力を感じ、リフレッシュすることができる場所です。あまり多くの人が訪れず、静謐な雰囲気となっているのもポイント!
写真:土庄 雄平
地図を見る精進坂の他にも、もう一つの「苔」の見どころとなっているのが国名勝「旧玄成院庭園」。一向一揆により焼け落ちた白山平泉寺を再興した江戸時代の中心的な坊院・玄成院の庭園で、今は社務所の役割を果たしています。
この「旧玄成院庭園」の成立年代は、なんと室町時代の享禄年間!戦火を奇跡的に免れた場所で、知る人ぞ知る北陸エリアに現存する最も古い庭園です。
写真:土庄 雄平
地図を見る庭園はこぢんまりとしていますが、一面に緑が敷き詰まった見事な景観!様式は枯山水ですが、通常よく見る砂でなく、苔で表現をしている点が面白いですね。少ししゃがめば、苔のミクロな世界が!ふわふわな質感と相まって、いつまで眺めていても飽きません。
写真:土庄 雄平
地図を見る古くから自然と宗教が結びついて成立した「白山平泉寺」。そこでパワースポットも幾つか有しているため、苔鑑賞と一緒に訪れるのがオススメです。
まず本殿へ向かう参道の左手に現れる「御手洗池」は、この平泉寺の起源となった泉。実は、白山の山頂に向かおうとした泰澄上人が、この場所を通った際、白山の女神に遭遇。そしてその女神の導きにより、上人は白山へ登頂を達成し、のちに「白山信仰」そして「白山平泉寺」が成立することになったのです。今でも泉から神様が現れそうな神秘的な雰囲気は健在!
写真:土庄 雄平
地図を見るそして平泉寺に隣接した若宮神社には、樹齢450年上の大杉が佇んでおり、巨樹マニアから密かに人気を集めています。実は、この杉は戦国時代に一時、白山平泉寺が焼失してしまった際に残った7本スギの1本。しめ縄を冠した神木と、小さな祠が組み合わさって神秘的な雰囲気を醸し出しています。
写真:土庄 雄平
地図を見る日本三大霊山「白山」を起点として、日本の山岳宗教は発展していきました。「白山」を冠する全国各地の神社は、この白山の山麓に起源があります。今回紹介した「白山平泉寺」は、白山信仰の聖地、大きな宗教勢力、そして悠久の自然を感じさせる苔宮と、姿や形を変えながら、この地に息づいた寺院。一度、霊峰の自然と信仰が織りなす独自の世界を体験してみてはいかがでしょうか?
住所:福井県勝山市平泉寺町
電話番号:0779-88-1591
アクセス:福井ICから車で30分、白鳥ICから車で約1時間
2020年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/4/19更新)
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