チュニジア・貝紫で栄えた古代フェニキア都市「ケルクアン」へ

チュニジア・貝紫で栄えた古代フェニキア都市「ケルクアン」へ

更新日:2020/04/27 15:55

澁澤 りべかのプロフィール写真 澁澤 りべか 西洋史ブロガー
北アフリカのチュニジアには、かつてフェニキア人と呼ばれる民族が暮らしていました。
彼らがボン岬に建設したケルクアンの町は、ローマ人に破壊されたのち再建されることなく放置されたため、北アフリカがローマ化される以前の純粋なフェニキア時代の遺跡として貴重な存在です。
そこでは、クレオパトラやローマ皇帝を魅了した古代地中海世界の高級品、貝紫(赤紫の染料)が作られていました。

新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴い、海外渡航が難しい状況です。各種報道機関の発表や外務省、各航空会社のホームページなどで最新情報をご確認ください。(LINEトラベルjp)

職人の町ケルクアン

ケルクアンは紀元前6世紀ごろに建設された古代フェニキア人の都市で、1.5キロほど離れた墓地(ネクロポリス)とともに世界遺産になっています。

この街が壊滅したのは第一次ポエニ戦争中の紀元前256年。ボン岬に上陸した執政官レグルス率いるローマ軍により攻略され、人々は町を去りました。
その後、カルタゴのようにローマ人によって都市が再建されることなく放置されたため、当時のフェニキア人の暮らしぶりを伝える遺跡として稀有な存在となっています。

職人の町ケルクアン

写真:澁澤 りべか

地図を見る

地中海に面する東側以外の三方を、二重の城壁が円形に取り囲んでいる町は、広さ約9ヘクタール。1時間もあれば見て回れるほどの規模で、最盛期の人口は2000人程度と推定されます。
住居跡は数本の街路によって整然と区画され、計画都市だったことがわかります。どの家も大体同じような大きさで、井戸を備えた中庭があり、奴隷を含む5〜7人で暮らしていました。

住居以外には公衆浴場や神殿があり、陶工、石工、ガラス職人、金細工師、などの工房もありました。フェニキア人といえば海洋民族というイメージがありますが、手仕事にも長けていたのです。写真は陶器を焼く窯の跡。

職人の町ケルクアン

写真:澁澤 りべか

地図を見る

「帝王紫」は悪臭の中で生まれる

フェニキア人の手工業といえば特に重要なのが染色の技術。彼らが貝から作る赤紫の染料いわゆる「貝紫」は、アクキガイ科の巻貝の内臓からとるもので、1つの貝からほんのわずかしか採取できません(1グラムを得るのに1000〜2000個の貝が必要)。
そのためこの染料で染めた布は古代地中海世界で大変珍重され、富と権力の象徴にもなっていました。

クレオパトラが乗っていた船の帆やカエサルのマントに使われていたことでも知られており、ローマ帝国では皇帝だけがこの色をまとうことを許されたことから、「紫衣(しえ)」という言葉はのちに皇帝位や王権の代名詞となりました。
写真の円形のくぼみは、染料を取りだす過程で貝を腐らせるために入れておいた穴です。

「帝王紫」は悪臭の中で生まれる

写真:澁澤 りべか

地図を見る

貝を腐らせる…生の海産物が腐るとどうなるか、想像してみてください。そうです。すざまじい悪臭を放ちます。ケルクアンの町は高価な特産品で財をなす一方、つねに悪臭に悩まされていたと考えられます。

古代都市としては珍しく、ケルクアンの住居の多くは浴室を備えています。街には公衆浴場もあるのに。人々はおそらく、体についた染料や髪についた臭いを、自宅のお風呂でしっかりと洗い落としていたのでしょう。

写真中央のレンガ色の部分が浴槽です。かなり小さく、中に腰かけられる段があり半身浴をしていました。遺跡には水路の跡もたくさん残っていて、排水設備が整っていたことがわかります。浴槽や排水路を探しながら歩くのも、ケルクアン見学の楽しみ方の一つです。

「帝王紫」は悪臭の中で生まれる

写真:澁澤 りべか

地図を見る

タニトの家とスフィンクスの家

先に紹介した陶器用の窯の近くに白い屋根で保護されている住居跡があり「タニトの家」と呼ばれています。タニトはフェニキア人に崇拝されていた女神です。
家の入口の床に白い石で描かれた、丸と棒と三角から成る記号。これが女神タニトのシンボル。古代エジプトの生命の象徴「アンク」に影響されたものとも考えられ、フェニキア時代の石碑などによく刻まれています。

このように家の玄関に記されている場合は魔除けの役割を果たします。ちなみにタニトのある床は白い石(または貝殻)がランダムに配置されたフェニキア時代のモザイクで、他の家にも見られます。
タニトの印はチュニジアでは「MARS」というタバコの箱にもデザインされていてよく知られています。

タニトの家とスフィンクスの家

写真:澁澤 りべか

地図を見る

ケルクアン遺跡の中央部あたりには「スフィンクスの家」があります。この家は一部が二階建てになっていたと推測され、その二階部分からスフィンクスの像が出土したことにちなみ、このように名付けられました。この家にもやはり浴槽があります。画面やや右です。

実はケルクアンは、ポエニ戦争以前にも大規模な破壊を受けたことがあります。それは紀元前310年ごろの、シチリア島シュラクサイの僭主アガトクレスによる攻撃です。
アガトクレスの軍隊はこの辺り、まさにケルクアンの町の真ん中まで攻め込んできました。

遺跡を見終わったら、右手に地中海を見ながら海岸沿いの道を入口の方へ戻ります。見えるわけではありませんが、この海を挟んだ向こうにシチリア島があります。

タニトの家とスフィンクスの家

写真:澁澤 りべか

地図を見る

ケルクアン考古学博物館で奇跡の女神と対面

遺跡のチケット売り場近くには博物館があり、古代の墓地(ネクロポリス)から出土した、土器、彫刻、装飾品、日用品、タニトが刻まれた石碑などが展示されています。
またケルクアン遺跡のジオラマを見ると、発掘された部分が遺跡全体の4割程度に過ぎないことがよくわかります。費用や保存の問題があり、最近は発掘があまり進んでいないようです。

ちなみに「ケルクアン」というのは近くを流れる川の名前で、この都市のフェニキア時代の呼び名はわかっていません。

ケルクアン考古学博物館で奇跡の女神と対面

写真:澁澤 りべか

地図を見る

ここで必見の展示品は「ケルクアンの婦人」と呼ばれる木棺。香り高いレバノン杉で作られた女性の形の棺で、紀元前4〜紀元前3世紀のものです。
レバノン杉が腐食に強いとはいえ、フェニキア時代のもので現存しているのはこれだけ。考古学者もびっくりの、まさに奇跡的遺物。

ネクロポリスの墓穴の中から副葬品とともに見つかったこの棺は、おそらく死と再生の女神アシュタルテを表現していると考えられます。
貴重な遺物からフェニキア人の暮らしぶりがうかがえる博物館。遺跡見学と併せてぜひ訪れてみてくださいね。

ケルクアン考古学博物館で奇跡の女神と対面

写真:澁澤 りべか

地図を見る

ケルクアン遺跡の基本情報

住所:Kerkouane, Kelibia, Tunisia
アクセス:チュニスからルアージュ(乗合タクシー)でケリビアまで。そこからタクシーで約20分

2020年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2020/02/05−2020/02/12 訪問

- PR -

条件を指定して検索

ナビゲーターアワード2020 ナビゲーターアワード2020

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- PR -