滋賀県・長浜「木之本」で歴史と絶景に出会う旅に出かけよう!

滋賀県・長浜「木之本」で歴史と絶景に出会う旅に出かけよう!

更新日:2020/05/01 13:22

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
滋賀県長浜市の木之本は、中山道鳥居本宿を起点に、米原、長浜を通って越前に至る北国街道の宿場町として栄えた町です。また、木之本は、“木之本のお地蔵さん”で名高い、「木之本地蔵院」の門前町としても栄えました。旧本陣や造り酒屋など歴史ある建物が残る木之本の古い町並みや、紅葉のほかに“青もみじ”も美しい「鶏足寺」で歴史と絶景に出会う旅に出かけてみませんか?

木之本のかつてのメインストリート「北国街道」

木之本のかつてのメインストリート「北国街道」

写真:モノホシ ダン

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木之本のかつてのメインストリートである「北国街道」は、昭和の初め頃までは、道の中央に小川が流れ、馬や牛をつなぐ街道並木がありました。現在は、小川は埋め立てられ、街道並木は舗装道路になっていますが、街道沿いにはうだつのある古い町家が連なり、宿場の面影を色濃く残しています。

写真は、木之本で酒造りを始めて480年余りの老舗「山路酒造」。山路家は、伝馬所で脇本陣も兼ねていました。今の建物は、大正時代のものです。

看板酒は、「桑酒」「清酒北国街道」などで、とくに「桑酒」は、ほのかな香りと口触りのよさが特徴で、詩人で小説家の島崎藤村も愛飲した名酒です。ぜひ、お土産にいかがでしょうか。

<山路酒造の基本情報>
住所:滋賀県長浜市木之本町木之本990
電話番号:0749-82-3037
アクセス:JR「木ノ本」駅より徒歩約7分

木之本のかつてのメインストリート「北国街道」

写真:モノホシ ダン

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木之本宿の本陣だった「竹内五左衛門家」には、江戸時代、大名などが宿泊した宿札や記録が残されています。その後、22代目の竹内五左衛門氏が本陣薬局を開業しました。

なお、竹内五左衛門氏は、1893年(明治26年)、栄えある「日本薬剤師第一号」の免状を取得された方でもあります。

木之本のかつてのメインストリート「北国街道」

写真:モノホシ ダン

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その竹内家の軒先には、「浅田飴」や「百毒下し」、「中将湯」などの木製の薬看板がずらりと並んでいます。現在、本陣薬局はJR木ノ本駅の西側にあるビルの1階で営業を継続されています。

<旧本店 本陣薬局の基本情報>
住所:滋賀県長浜市木之本町木之本941-1
電話番号:0749-82-3438(漢方の本陣薬局)
アクセス:JR「木ノ本」駅より徒歩約5分

木之本は、山内一豊や羽柴秀吉ゆかりの地

木之本は、山内一豊や羽柴秀吉ゆかりの地

写真:モノホシ ダン

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木之本では、室町時代から昭和の初期まで、毎年2回、この地区の20軒ほどの民家を宿として牛馬市が開かれました。当時の為政者の保護監督もあり、地元近江を始めとして、但馬・丹波・伊勢・美濃・越前などから数百頭以上の牛馬が集まり、盛況を極めました。

作家・司馬遼太郎氏の歴史小説『功名が辻』の主人公の山内一豊は、妻の千代が、夫のためにと蓄えていた黄金10両で、この牛馬市で名馬を買いました。

一豊は、馬揃えの場で、当時仕えていた織田信長からその心構えを絶賛され、その名は織田家中に知れ渡りました。山路酒造の向かい側にある、当時の牛馬市跡には石碑が建てられています。

木之本は、山内一豊や羽柴秀吉ゆかりの地

写真:モノホシ ダン

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さらに木之本では、すでにご紹介した山路酒造のほかにもうひとつ古い造り酒屋があります。それが、写真の「冨田酒造」。創業460余年の酒造で、看板酒は、1583年(天正11年)に羽柴秀吉と柴田勝家との間で行われた“賤ヶ岳の戦い”にちなんだ「七本槍」。

秀吉を天下人へと導くきっかけとなった七人の若武者たちを「賤ヶ岳の七本槍」といい、このことから七本鎗は「勝利の酒」または「縁起の良い酒」というおめでたい意味も兼ね備えています。

七本槍は、著名人では、芸術家であり当代有名な美食家でもあった北大路魯山人のお気に入りの銘酒でした。蔵元店内には、魯山人の筆による扁額『七本鎗』が掲げられています。

<冨田酒造の基本情報>
住所:滋賀県長浜市木之本町木之本1107
電話番号:0749-82-2013
アクセス:JR「木ノ本」駅より徒歩約7分

木之本は、山内一豊や羽柴秀吉ゆかりの地

写真:モノホシ ダン

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賤ヶ岳の戦いでは、当初秀吉は、美濃の大垣城に入っていて、勝家の攻勢の知らせを聞き、賤ヶ岳近郊の木之本宿までの約50kmを約5時間で踏破しました。当時は、通常なら2日かかる距離です。この秀吉の電撃作戦は、のちに「美濃大返し」と呼ばれました。

この時、秀吉の乗馬が、強行軍に疲れて死んだのを憐れみ、この地に埋葬されました。その際に、愛用の鞭を地面に刺して置いておいたところ、芽を出して、写真のような大木に成長しました。それが「轡(くつわ)の森」にあるイヌザクラの古木です。

<轡の森の基本情報>
アクセス:JR「木ノ本」駅より徒歩約5分

延命息災、眼病の仏として信仰を集める「木之本地蔵院」

延命息災、眼病の仏として信仰を集める「木之本地蔵院」

写真:モノホシ ダン

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賤ヶ岳の戦いの際に、秀吉が本陣を置いたのが、延命息災、眼病の仏として信仰されてきた「木之本地蔵院」です。

675年(白鳳3年)、奈良・薬師寺の祚蓮(それん)上人が、難波浦に漂着した地蔵を安置したのが始まりです。のちに空海、木曽義仲、足利尊氏、足利義昭も参拝した記録があります。

延命息災、眼病の仏として信仰を集める「木之本地蔵院」

写真:モノホシ ダン

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本尊の地蔵菩薩立像は秘仏で、国の重要文化財に指定されています。境内には、本尊と同じ姿の高さ約6mの銅製の地蔵菩薩像が立っています。日本一の大きさの地蔵菩薩の銅像で、信者から銅鏡を集め、それを溶かして1894年(明治27年)に建立されたものです。

第二次世界大戦中には、危うく供出されそうになりましたが、当時の住職や東條英機の妻である東條かつ子などの援助により、供出命令を免れたというエピソードがあります。

延命息災、眼病の仏として信仰を集める「木之本地蔵院」

写真:モノホシ ダン

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なお、木之本地蔵院の庭園に住む蛙は、“身代わり蛙”と呼ばれています。これは、多くの人々が眼の病気で困っているのを見て、「すべての人々の大切な眼が、お地蔵様のご加護をいただけますように」と、自らが片方の目をつむることによって身代わりの願をかけたと言い伝えられています。

境内の置物の蛙が、すべて片方の目をつむっているのはそのためです。なお、毎年8月の地蔵大縁日には、日本各地から参拝者が集まり、沿道は屋台が出て大いに賑わいます。

<木之本地蔵院の基本情報>
住所:滋賀県長浜市木之本町木之本944
電話番号:0749-82-2106
アクセス:
JR「木ノ本」駅より徒歩約5分
北陸自動車道木之本ICより車で約5分

足を延ばして「鶏足寺」で“青もみじ”の鑑賞もおすすめ

足を延ばして「鶏足寺」で“青もみじ”の鑑賞もおすすめ

写真:モノホシ ダン

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ほかに、木之本で紅葉の名所として知られる「鶏足寺(けいそくじ)」では、新緑の時期を迎えると美しい“青もみじ”を見ることができます。秋とは違い、訪れる人も少なく、ゆったりとみずみずしい青葉を楽しむことができます。ぜひ、足を延ばして訪れてみましょう。

<鶏足寺の基本情報>
住所:滋賀県長浜市木之本町古橋
電話番号:0749-82-5909(長浜観光協会北部事務所)
アクセス:JR木ノ本駅から路線バスで「古橋」バス停下車、徒歩約15分

天下分け目の「賤ヶ岳古戦場」とともに訪れたい

いかがでしたか。滋賀県長浜市の木之本は、歴史体験の旅はもちろん、豊かな自然に触れることのできる絶景の地でもあります。木之本で、歴史と絶景に出会う旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。

2020年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/20−2017/10/11 訪問

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