新たな天孫降臨の地?「ニギハヤヒ」をめぐる奈良県大和郡山市の旅

新たな天孫降臨の地?「ニギハヤヒ」をめぐる奈良県大和郡山市の旅

更新日:2020/08/27 15:24

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
「天孫降臨」の地として知られるのは、宮崎県の高千穂地方。『古事記』や『日本書紀』によると、その地に勢力を築いた神武天皇がやがて大和国に入り、即位。大和王権の礎を築いたとされます。しかし、そんな神武天皇に先駆けて大和国に「降臨」していた天孫族がいること、ご存じですか?今回は神武天皇に先駆けて大和国に降り立った「ニギハヤヒ」とそのゆかりの地が残る奈良県大和郡山市を旅してみましょう。

「ニギハヤヒ」ゆかりの地に立つ矢田坐久志玉比古神社

「ニギハヤヒ」ゆかりの地に立つ矢田坐久志玉比古神社

写真:乾口 達司

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『古事記』で「邇芸速日命」、『日本書紀』で「櫛玉饒速日命」と記される「ニギハヤヒ」は日本の神話に登場する神。後の大王家(天皇家)の流れをくむ「天孫族(てんそんぞく)」の一員で、『日本書紀』の記述によると、九州の日向国に勢力を誇っていた後の神武天皇が大和国を目指して「東征」するよりも前に、大和国に「降臨」していたとされています。

降臨に際して、ニギハヤヒは天照大神から十種の神宝を授かります。そして、「天磐船」に乗ってまずは河内国の河上の地に降臨。その後、大和国に移りました。そして、大和国の豪族・長髄彦の妹・御炊屋姫命をめとりますが、彦火火出見がやってくると、帰順。物部氏の祖先となり、神武天皇を支える大和王権の有力氏族となりました。

そんなニギハヤヒが大和国に降臨した地とされるのが、奈良県大和郡山市の矢田地区。降臨に先立ち、ニギハヤヒが天磐船から放った3本の矢が落ちたところが「矢田」の名の由来となっています。そんな矢田地区の中心に鎮座するのが、こちらの「矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)」です。

「ニギハヤヒ」ゆかりの地に立つ矢田坐久志玉比古神社

写真:乾口 達司

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矢田坐久志玉比古神社の主祭神は、ニギハヤヒを指す「久志玉比古神」とその妻・御炊屋姫命。本殿は国の重要文化財となっています。

境内の一角には「二之矢塚」と呼ばれる古跡が残されています。ニギハヤヒが天磐船より放った3本の矢の2本目が地上に刺さったところであると伝えられており、神聖な場所となっています。

「ニギハヤヒ」ゆかりの地に立つ矢田坐久志玉比古神社

写真:乾口 達司

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写真の楼門に注目。よく見ると、前面に木製のプロペラがとりつけられているのが、ご確認いただけるでしょう。その上に掲げられた扁額には「航空祖神」と刻まれています。

プロペラは旧帝国陸軍初の単葉戦闘機「九一式戦闘機」(中島飛行機製)にとりつけられていたもの。ニギハヤヒが天磐船に乗って空を駆け巡ったという神話にちなんで奉納されたもので、矢田坐久志玉比古神社は航空の神さまとしても崇敬されているのです。

ニギハヤヒの放った矢にちなんだもの

ニギハヤヒの放った矢にちなんだもの

写真:乾口 達司

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ほかにも、ニギハヤヒが放った矢にちなんだものが各所に見られます。

写真は「矢落社」と刻まれた燈籠。現在は矢田坐久志玉比古神社と呼ばれていますが、昔はニギハヤヒの矢の落ちたところという伝承にちなんで「矢落神社」と呼ばれていました。

ニギハヤヒの放った矢にちなんだもの

写真:乾口 達司

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絵馬にも「二之矢塚」の古跡にちなんだ二本の矢が描かれています。

ニギハヤヒの放った矢にちなんだもの

写真:乾口 達司

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屋根に葺かれた丸瓦の文様も同様。矢田坐久志玉比古神社がいかにニギハヤヒの矢と深いかかわりをもっているかが、これらからもうかがえますね。

<矢田坐久志玉比古神社の基本情報>
住所:奈良県大和郡山市矢田町965
アクセス:近鉄郡山駅よりバスで約10分

邪馬台国の候補地!?「三之矢」伝承地

邪馬台国の候補地!?「三之矢」伝承地

写真:乾口 達司

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矢田坐久志玉比古神社から北に5分ほどのところには、ニギハヤヒが放った3本目の矢が刺さったとされる「三之矢塚」があります。

ご覧のように、現在、伝承地にはそのことにちなんだ石碑が建立されています。

邪馬台国の候補地!?「三之矢」伝承地

写真:乾口 達司

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注目したいのは、同じ敷地に「伝承邪馬台国想定地」と刻まれた石碑が建立されていること。

当地に邪馬台国があったことを提唱したのは、大阪教育大学や大阪経済法科大学で教鞭をとった民俗学者の鳥越憲三郎。鳥越はその著書『大いなる邪馬台国』のなかで邪馬台国を、ここ、矢田の地に比定しました。ニギハヤヒと邪馬台国の女王・卑弥呼が同じ矢田の地にいたという説、刺激的だと思いませんか?

<三之矢塚の基本情報>
住所:奈良県大和郡山市矢田町
アクセス:近鉄郡山駅よりバスで約15分、「横山口」バス停から徒歩約15分

すべてはここからはじまった!?「一之矢塚」

すべてはここからはじまった!?「一之矢塚」

写真:乾口 達司

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矢田坐久志玉比古神社の摂社・主人神社の南方200メートルほどの田畑のなかに、小さな土盛りがあります。その上に立つのが「一之矢塚」の石碑。ニギハヤヒの放った最初の矢はここに落ちたとされています。矢田地区はここからはじまったというわけですね。

ほかにも、矢田坐久志玉比古神社の北東約1.5キロメートル付近には、やはりニギハヤヒを祭神としてまつる登美神社があり、付近一帯にニギハヤヒの伝説が残されています。

すべてはここからはじまった!?「一之矢塚」

写真:乾口 達司

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付近を眺めると、田畑の広がる矢田地区が実にのどかなところであるという印象を受けることでしょう。西側には矢田丘陵が連なり、北側には矢田丘陵からのびる丘陵が広がっています。東側には富雄川も流れており、古代人の定住地としては格好の場所であったといえるでしょう。のどかな風景も眺めながら、ニギハヤヒが降臨したとされる地をめぐりましょう。

<一之矢塚の基本情報>
住所:奈良県大和郡山市矢田町
アクセス:近鉄郡山駅よりバスで約15分、「矢田東山」バス停から徒歩約5分

ニギハヤヒ降臨の地をめぐろう!

大和郡山市の矢田地区にいまでもニギハヤヒの神話が息づいていること、おわかりいただいたでしょうか。神武天皇よりも先に大和国に入った謎の天孫族ニギハヤヒとはいったい何者だったのでしょう。大和郡山市の矢田地区をめぐり、その謎に迫ってみてください。

2020年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2020/05/05 訪問

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