写真:沢原 馨
地図を見る阿部浩は1852年に南部藩士の子息として生まれました。明治維新後は政府の職員を経て政界へ進み、群馬県知事や東京府知事、貴族院議員などを歴任しています。その阿部浩が50代の頃に、郷土である盛岡に庭園を造り、邸宅を建てました。それが「一ノ倉邸」。阿部浩が他界した後に一ノ倉氏が所有し、その後、盛岡市が取得したため、「一ノ倉邸」と呼ばれています。
写真:沢原 馨
地図を見る一ノ倉邸庭園は昭和46年(1971年)に制定された盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例に基づいて、昭和49年(1974年)に保護庭園に指定されています。盛岡の貴重な財産です。
一ノ倉邸は盛岡の観光名所としてはそれほど有名ではありませんが、明治大正期の建築や庭園に興味のある人、レトロなものに心惹かれる人にはお勧めです。
写真:沢原 馨
地図を見る一ノ倉邸は明治40年(1907年)頃に造られたもの。木造平屋の建物は面積約145坪(約480平方メートル)、大小14の和室と玄関、廊下を備えています。立派な建物です。
10間通しの杉丸太の桁や凝った意匠の欄間、職人手作りの波打つ板ガラスなど、材料と技法に費用を惜しまず造られたことが窺えます。細部まで丁寧に見ていきたい建物です。
写真:沢原 馨
地図を見る館内には阿部浩関連の事物も展示されていますが、“資料館”という性格は薄く、堅苦しさもありません。室内には往時を偲ばせる調度品の他、来館者が楽しめるようにさまざまな小物が展示されています。レトロな雰囲気が漂っていて、そうしたもののお好きな人にもお勧めですよ。
写真:沢原 馨
地図を見るお風呂場も覗いてみましょう。五右衛門風呂です。若い方は入り方がわからないかもしれませんね。係の方にお話を伺ってみましょう。
写真:沢原 馨
地図を見る一ノ倉邸の庭園は明治35〜36年(1902〜1903年)頃、邸宅に先立って造られました。東京から庭師を呼び寄せて造らせたといいます。中央に池を置いた回遊式庭園でした。残念ながら現在は池の水は涸れてしまっていますが、緑濃い庭園の景観に往時を偲んでみるのもいいものです。
写真:沢原 馨
地図を見る庭園は京都から移植したという、さまざまな種類のモミジを中心に、アカマツなどが植栽されています。かつては池の中に浮かぶ島だったところに、おもしろい枝振りのアカマツがあります。くるりと円を描くように丸まった枝がとても印象的です。ぜひ見てみましょう。
写真:沢原 馨
地図を見る庭園の、かつて池だったところの隅に、小さな蓮池が設けられています。このハスは東日本大震災の犠牲者への鎮魂と復興の象徴として、“中尊寺ハス” を株分けしてもらったもの。
昭和25年(1950年)、中尊寺金色堂に安置されている藤原氏四代の遺体学術調査が行われましたが、このとき、四代泰衡の首桶から80粒余りのハスの種が見つかりました。この種から発芽に成功し、栽培したものが“中尊寺ハス”。
実は一ノ倉邸のある辺りは平安時代後期に起きた「前九年の役」の終結の地。東北で権勢を誇っていた安部氏が滅亡したところです。「前九年の役」で安部氏に味方したのが、藤原清衡の父である経衡。この縁で、“中尊寺ハス”を株分けしてもらったというわけです。
現在は「前九年の役」を偲ぶ遺構などはまったく残っていませんが、遠い昔の出来事に思いを馳せるのもいいものです。
写真:沢原 馨
地図を見る明治期の政治家が郷里に造った庭園と邸宅、少しでも興味を覚えた方は訪ねてみる価値ありです。建築物にあまり興味のない方でも、春の新緑や秋の紅葉の時期に訪れると楽しめるでしょう。“中尊寺ハス”が花を咲かせる7〜8月頃に訪ねるのもいいですね。
一ノ倉邸は入館無料ですが、暖房費などの維持費捻出のために“協力金”を募ってらっしゃいます。見学させていただいた後は、少しでもお力添えをさせていただきましょう。
住所:岩手県盛岡市安倍館町
電話番号:019-646-1817(一ノ倉邸管理保存委員会)
アクセス:
盛岡駅東口から岩手県立大学行きバス、「安倍館」バス停すぐ
来館者用駐車場10台分ほど(公共の交通機関での来訪をお勧めします)
開館日、開館時間等の詳細は盛岡市の公式サイトなどをご確認ください。
2020年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
沢原 馨
旅行好きと言うより、散歩好き。旅先の町でもカメラ片手に散歩を楽しんでいます。特にマニアックにこだわっているものがあるわけではありません。さまざまなものに興味を持って目を向けつつ、気の向くままに足を運ん…
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